第11話 家族総出で
出産予定日は七月十日、そう医者に告げられた。もちろん前後はする物だが、一朗と萌の時はその日に生まれたのだからほぼ間違いないだろう。雄三とかなたの時は一日早かったが、午後十一時半だったからほぼその通りだ。
「あと二週間で生まれて来るんだなー」
「おとうとがいい」
「いもうとがほしい」
「母さんはいつも言ってるだろ、元気ならどっちでもいいって!」
「静かにしなさいよ兄さん」
子どもたちはわくわくしながらお腹をさすっている。こうやって子どもたちに囲まれているとすごく幸せな気持ちになって来る。あるいは子育てにひと段落着いたら、これを新たな仕事にするための資格を取りに行ってもいいかもしれない。大学時代もその志向がなかった訳ではないが、三年生になり今の夫と出会ってからは彼を射止める事に腐心してそちらに気が回らず、道半ばで事実上断念していた。ある意味で自分の今の生活のために諦めた夢を、全てが終わってから取り戻しに行くのもいい。そのためにはもちろん、今はこの子たちを立派に育てなければならない。
「双子の時よりは楽だから、まだまだ動けますよ」
「あなたってお腹に雄三とかなたを抱えてた時から、三日前まで家事に没頭してたからね」
「ありがとうございます」
「褒めてないわよ、あなたは少しうぬぼれすぎよ。一回目でも四回目でも出産は変わらないわよ、一度しかしてない人間がうんぬん言うのもどうかと思うけれど」
「ではあと一週間ぐらいにしておきます」
仕事量をセーブし、ゆっくりとエネルギーを出産に注ぎ込む。そのために私がいるのよと言う義母に任せてしまう。足りないところがあるのなら……おっとそれはもうやめよう、私はこれから私自身の手でやって行かなければならない。もちろん、技を盗む事をやめるつもりはないが。
専業主婦に有給休暇なんて物はない。勝手に働き、勝手に休む事ができる。でも最優先なのはあくまでも家族の都合であり、それを無視することはできる物ではない。家族が認めてくれて、初めて休む事ができる。今私は、義母と夫公認の元休みを取っている。前後一ヶ月、これからほどなくやって来る子どもたちの夏休みほど長くはないが、社会人のそれとしてはかなりの長期休暇だ。私はそんなのを十年間で五回も取っている。他に休みはないんだろとも言えるし、その後の仕事は加重されるんだぞとかとも言えるが、いずれにせよ夫から比べればいいご身分だ。その分、私は働かねばならない。自分にできる事をするのが、私の役目だから。
「おばあちゃんの言いつけを破っちゃダメだよ」
「でもやっぱり、ひろみの為にもね」
これまでと同じように、ついたくさん買い物をしてしまう。お目付け役のはずの萌に注意されても、なかなかやめられない。あれもこれもと思いながら、ついつい手を出してしまう。最近同じのばかりになるからと子どもたちから文句を付けられ、それでおばあちゃんがやれば少しはメリハリが生じるからいいなと一朗たちは言っていると義母から聞かされた時は正直はっとした。そのアイデアを考えるのも主婦の仕事であり、自分なりに目一杯こなして来たはずなのにまだまだ未熟だなと改めて思い知らされ、そしてまたそんな事を考えてる、そんなのは後でいいのにとついため息を吐きたくなる。これまでの三回にはなかった事だ。何が違うのだろうか、加齢か、経験か、それとも義母の言葉か。それよりまずは目の前の買い物だとばかりにレジを通ろうとすると、そこには奥田さんがいた。
「ポイントカードは、はい確認しました、加算いたします。毎度ありがとうございました」
口を大きく開かないまま、事務的なメッセージを並べながら商品を手に取って行く奥田さんの目は、あの時とはけた違いに冷たかった。一朗の同級生の母親である奥田さんではない、店員である奥田さん。彼女がここでこうしている事はすでに知っているが、この時の奥田さんはいつも以上に冷たい目をしていた。
当たり前かもしれない。私に迫った時のような目のままでいられたら、お客さんはたぶん寄って来ない。この時の奥田さんはあくまでもスーパーのレジ係であり、私はただの客だ。それ以上に踏み込む必要などどこにもない。
「おばあちゃんに言っちゃうぞー」
「だったらもっとたくさん買っちゃうべきだったかな」
「じゃわたしが二つ持つ、それちょうだい!」
「はい」
萌は二人しかいない女子の中では年長のせいか、しっかりとお姉ちゃんをやっている。雄三からからかわれているかなたが一番に助けを求めるのは、私でも一朗でもなく萌だった。雄三によれば、幼稚園でも一番好きなのは萌だと言ってるらしい。
「重いならばいつでも言いなさい」
「だいじょうぶだって!」
萌はビニール袋を両手に持ちながら、必死に歩いている。私には徒歩八分の道のりでも、萌には長い。割れ物を持たせてなかったかしらと一瞬不安になり、そして持たせていなかった事に気づいて安堵しながら進む。
「ただいまー!」
そして荷物を無事家に持ち帰った萌の顔は、何よりさわやかで美しかった。頭を撫ででやりながら後は任せたからとビニール袋を取り上げ、手を洗いに行かせる。
「なんで萌だけ多いんだよ」
「お手伝いしたからよ」
今日のおやつはチョコチップクッキーだ。一朗は三枚、雄三とかなたは二枚、萌は五枚。普段は自分が四枚で萌が三枚だから自分より多いのはなぜだよと一朗はむくれたが、こちらとしてはそうするしかない。
「えー、俺ばあちゃんといっしょにせんたく物たたんだんだぜ」
「それならおばあちゃんから受け取ってね」
「はいはい、おばあちゃんが今度チョコレート買ってあげるから」
義母の様子からすると、一朗もそれ相応のお手伝いはしているようだ。それはそれで何よりである。
「いい子にしてたのね」
「でもおにいちゃんさ、わたしのおようふくたたむときちょっとわらってた」
「それはだな、お前のじゃなくて雄三のだよ。シャツに名前なんか書いてるのかってさ」
「にいちゃんだってそうだろ!」
「去年まではな、今年からはちがうぜ」
今年買った物からはさすがに雄三と大きさが違いすぎるという事で識別のための文字を書いていないが、それでもまだ一部の靴下や下着にはなくさないように朗と言う字が書いてある。それもまた一つの通過儀礼であり、誰もが経験する事だろう。何せ、一人っ子である夫でさえやった事らしいから。ひろみの下着には、何と言う文字を書く事になるのだろう。
「なるべく軽い物だけにしたんですけどね」
「軽いねえ、それにしても相変わらずの量だね。もう最悪、今日来てもまったくおかしくないんだから、そのつもりでいなさい」
「だからおばあちゃんに言われて、わたしずーっとでんわのそばにいた」
「おいおい、でんわのそばにいるんならいまからだろ」
子どもたちの他愛ない言い争い。みんな私の事を思ってくれている。こう考えると私は本当に恵まれているんだなと思い、そしてこの運命に感謝せざるを得なくなる。
「今日のあなたのお仕事はこれで終わりだから、たっぷり食べなさい」
「配膳ぐらいならばしますけど」
「あなたならそういうと思ったわよ、うちの人は今日お仕事で夕飯いらないらしいから、一緒に食べましょ」
献立はカレーライスだった。二つの鍋に七人分のカレーが煮えている。赤い鍋には私たち向けの辛いのが、白い鍋には子どもたち向けのが。
「お母さんもっと食べてー」
「そうだよ、もうちょいさ」
私の皿にどれよりも多く盛られたごはん、そしてカレー。おなじみのいただきますのあいさつからみんなが楽しそうにカレーを口に運んで行く。
「あーしまったカレーなくなっちまった」
「お兄ちゃんカレーたべるの下手だね」
「しょうがねえ取って来るよ」
「あーお兄ちゃん、赤い鍋のダメだよ」
「俺はお兄ちゃんなんだぞ、これぐらい平気だい!」
私が水を飲みながらゆっくりと腹を満たしていると、一朗が背伸びしながらカレーを皿に盛り、そしてひと口入れるやそのまま一挙に食べ切ってその後水を二杯飲んで萌に笑われたのも、見ていて実に飽きない。
「やっぱりまだむりじゃなーい」
「お前にはできないだろ萌」
「お兄ちゃん、今日おねしょしちゃっても知らないよ」
「そうだよかなたみたいに」
「わたししないから!」
まもなく、ここにあと一人加わる事になる。そのためにも今は自分の気持ちを抑えなければならない。子どもたちに合わせて作っていた甘口ではなく、私の好きな味のカレーを噛みしめながら、私はまたお腹をさすった。
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