第9話 四児の母改め五児の母の生活

「ゴールデンウィークは野球観戦でいけたけどな」

「次の問題があるのよね」

 卒業証書より大事な一枚の千円札を眺めながら、私は夫と向き合う。


 五月五日、ゴールデンウィーク最終日の夜。明日からまた平日である。ゴールデンウィークはセ・リーグとパ・リーグの試合をひとつずつ計二試合家族五人で行く事で解決できたが、次の問題はすぐやって来る。

「もう少し用意できないのか」

「あなたがうんと言えばね」


 五月十九日、萌の誕生日だ。

 私と夫も含めなぜか十・十一月生まれが多い家族だというのに萌だけが遠い。もちろんバースデーケーキは必要だろうが、それだけで満足はしないだろう。去年はきれいな子供服を買ってやったが、今度はそうも行くまい。何せ、予算にかなりの問題がある。


「お前らしくもないな」

「見落としてた訳じゃないんだけどね、一試合だけってのもかわいそうって思ってつい勢いで」

 野球場に入ってみると、チケット以上にグッズと食べ物の料金がバカにならなかった。広い場所で気が大きくなったのか財布の中身をパカパカ空けてしまい、気が付いたら予算がこれ一枚だけになっていた訳だ。

 バースデーケーキ一つも買えないような千円札一枚で、何ができると言うのか。


「お前の悪い所は何だと思う」

「ついつい浮かれ上がっちゃう所」

「違うよ、すぐしょい込むとこだ。野球を二回見に行こうって決めたのは俺だぞ、俺にも責任がある。これ出すから何とかしろ」

「でも」

「お前はいいんだよ、今回は俺にいいカッコをさせてくれ」


 夫は財布を開き、一万円札をテーブルに叩き付けた。なるほど、プレゼントを買うには不足な額ではない。しかし夫の懐事情はどうなるのだろうか、と言う疑問を抱く前に夫は口を動かし続け私の反論を封じた。

「それで何がいい」

「お前この前靴買っただろ、それでいいと思うぞ」

 そしてプレゼントの中身についても的確にツボを押さえて来る。こうなってみると自分が思ったより無力であり、そして夫の言う通りしょい込んでしまう人間だなとも思えてくる。

「お前はもう少し楽に生きていていいんだよ、そりゃ五児の母だなんて大変だろうけど、まだおやじとおふくろは健在だから頼ってもいいんだよ。俺のも、お前のも。もちろん俺にもさ」

「ありがとう、あなたの奥さんでよかったわ」

 しかし、私はこの現状が辛いとはかけらも思っていない。ふがいないとは思ったが、辛いとは全く思わない。この現状を失うより辛いことは何なのか、どうにも思いつかない。

 それを回避する事が、この場における最重要ミッションだった。だからこそ、平気でこんな言葉も吐けた。


「って言うかお前は七か月なんだろ、その事をわきまえてくれよ」

「雄三とかなたの時も何とかなったしって思ったけどね」

 双子ができた時は驚きもあったが、それでも一朗や萌の励まし、二人の世話を見ている間に案外あっさりと時が過ぎた。そして二児を産んでいた経産婦であったためか案外とお産も軽く、産婦人科医の先生も驚いていたぐらいだ。七キロ近い重りを抱えて動いていたのに、疲れはしたが辛くはならなかった。

「この際だからはっきり言うよ。俺が仕事にかまけてるせいか知らないけどさ、お前と結婚してからお前の苦しい顔を見た事が一度もないぞ」

「そう?」

「俺の少ない稼ぎからいろいろ削りまくってるんだろ?それで俺に潤沢な小遣いを与えその上に四人の子供を育て上げて、その為には並大抵の苦労じゃ済まないだろ?」

 確かに雄三とかなたが生まれた頃は四人の子供を抱えて奔走し義母にも頼りまくり、その上で買い物や洗濯もこなした。大変ではあったが、一朗を孕んでからずっとそういう事が続く物だと思っていたし、萌についても同じだった。こんなに子どもを作ってどうする気だとか言われた事もあった、でも義父母は寛容だったし、それゆえにまたひろみを作る事にした。

「麦茶取って来るよ」

「ありがとう」

 夫が持って来た麦茶をコップ二杯分飲み干すと、夫は立ち上がろうとする私を制しながらコップとペットボトルを片付け、そして柿の種の袋を持ち出しながら再び歩み寄って来た。

「お酒でも飲むの」

「飲まないよ。別の相談をしたくってさ」

 夫はお酒はあまり好きではなかったようだが、それでも妊婦及び授乳期間が長かった私のせいでなかなかお酒を飲めなかったせいか、雄三とかなたが乳離れしてからのこの四年間はずいぶんとよく飲んでいた。それにしてもこの柿の種はいつどこにあったのだろう。もちろん勝手に買って来てとかとがめるつもりはないが、欲しいのならば言えばいいとも思う。

「実は職場の後輩の嫁がおめでたでさ」

「そうなの!」

「それで俺が名付け親頼まれてさ、五児の父だからできるってもんじゃないっつーのによ」

「その子は何番目なの?後輩っていくつでそのお嫁さんはいくつ?男の子なの?女の子なの?」

「女の子だそうだ。年齢はどっちも二十九歳、初産だよ。でもさ、俺らに相談されても困るんだよな。お前、画数とか気にするか?」

「全然してないけど、お義父さんもお義母さんも気にしない人だったし」

「その後輩の嫁のお父さんがかなり気にする人らしいんだよ、だからその旨言ったのに聞いてくれねえし」

 少子化と言う言葉がすっかり市民権を得た時代、五児の父と言うのは貴重品になっていた。その貴重品に縋り付こうとするのもなるほど無理はない話だ。

 しかし、五児の父と簡単に言っても種類がある。

 三十三歳の、国家公務員。第三者の目から見てそういうまったく珍しくない肩書きの男性。まるで五児の父と言うだけでそういう事に長けた人物のように見られるのは正直楽な話ではない。一朗と名付けたのは夫だが、萌と名付けたのは私で、雄三とかなたを命名したのは義父母だ。そしてひろみと名付けたのは私だ。

 つまり、夫は五人のうち一人しか命名していない。もちろん関わってはいるが、決定するのと関わるのではかなり差がある。

「はっきりと言った方がいいんじゃない?お互い気にするところなんて違うんだからさ。私だって、ひろみの性別なんて全然気にしてないんだし」

 一朗の時から今まで、私は子どもの性別を気にした事がない。一朗の時は医者から男ですと言われた事もあるが、ああそうですかそれより元気なんですかと聞き流していた。だから萌の時からは向こうから何も言って来なくなり、そしてそのまま今に至っている。何を気にするかしないかなど、お互いの勝手ではないか。自分にとっては胎児だった子どもの健康が第一であり、性別など二の次だった。

「じゃその旨はっきりと言い聞かせるからよ、にしてもお前また胸が膨らんで来たな」

「体が覚えちゃってるのかしらね」

 一朗の時は苦心したが、それでも萌から先はかなり順調に出て来た。今回は五年ぶりの出番だが、まるで体が覚えているかのように最近乳が張り出して来た。こうなるとこれまでCカップでごまかして来たブラジャーのまた新しいのを新調しなければならなくなる。数年前に付けていたDカップのを捨てた自分に後悔しながら、私はお腹を撫でた。

 でも実際七か月ともなると、かえって体が慣れて来る。いくら無理は禁物とは言え、自分のペースで出来る事はしたい。

 いつもよりはスローペースであったが、とにもかくにもするべき事はする。

 朝食を作る、その前にお弁当を作る。今日はおにぎり2つ×2個と唐揚げにハンバーグ、それからプチトマト2×2つ。おにぎりの中身はおかかとシーチキン。

 その上で朝食のトーストも焼かなければならない。ハムエッグにジャム、それを六人分だ。五時半起きでまずゴミ出しに行ってから一時間余り、子どもたちが何事もなく目を覚ましてくれたのは何よりだ。

「起きろ雄三」

 最近では年長の子どもたちも私を手伝ってくれる。まだ寝起きの悪い雄三を起こしたり皿を並べたりする程度だが、それでも手間は省ける。

「お父さんちゃんとしてよ」

「はははは」

 やがて食卓に六人が集まり、いただきますの大合唱が始まる。

 やがて食事が終わると夫がまず家を出て、そして私が雄三とかなたと共に幼稚園に向かい、一朗と萌が手を取り合って小学校へと向かう。幼稚園と小学校の道のりの差の関係でやや一朗と萌は時間を余してしまうが、それは仕方がない。

 とにかく、私が二人を幼稚園に送って帰って来ると今度は洗濯が始まる。自分の分も含めればやはり六人分、洗濯機は一回転では終わらない。天気予報とにらめっこしながら量も調整する。


 そしてそれが終わると今度は買い物だ。昼食を適当にすませてスーパーに行き、その時安い物だけを買ったりついでに欲しい物を買ったりする。エコバッグを持って買い物袋を断り、ポイントカードを差し出してポイントを貯める。

 その食材を持ち帰って冷蔵庫に詰めていると、ちょうどその頃萌が帰って来る。その後一朗が帰り、そして話を聞きながらおやつを出してやる。そしてその間に雄三とかなたを迎えに行き、そして夕飯の時間に帰れたり帰れなかったりする夫に合わせて夕飯を作り始める。

 終わったら食器を洗ってしまい、そして夫がいれば夫に男の子二人を任せるところだが、今日は上司の勧めとかでシェークスピアのオセローとやらを見に行くらしいので不在だ。そういう訳で雄三とかなたから私がお風呂に入れて行く。そして着替え終わったら雄三とかなたにパジャマを着せ、そして歯を磨かせる。仕上げは言うまでもなく私。最近、一朗や萌が自分で洋服を着られるようになったのはありがたいことだ。これが私のありふれた日常だった。

 ありふれた物でなくなるとすれば、かなたが布団に地図を描いてしまう時だ。だから、今でもかなたには夜おむつをはかせている。夫が借りて来た映画の主人公の十歳以上の女の子が寝る時にはまだおむつが取れないと聞いてからさほど抵抗もないようであったが、他の三人に比べるとやや遅い事もあり雄三からはからかいの対象だった。

 その度に五歳ではまだ半分がそうなんだしという又聞きのデータを持ち出して雄三を黙らせるのが、私のしつけの一つでもある。

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