第8話 ハイスクール・ライフ

 高校時代、私は演劇部にいた。


 部員十名足らずの、同好会すれすれの小さな部ではあったがそれでも自分なりに必死に頑張った。もっとも、大した演技の才があった訳でもない。その十人の中の四~五番手、それが私の立ち位置だった。それでも顧問の先生からの受けは悪くなかった。



「にしても、あなたいったい一日何時間寝てるの」



 これは、高校で一番多く私に投げ付けられた質問だ。

 その度に私は七時間半と答えた。平均からすれば微妙に短い時間かもしれないが、それでも寝不足と言う事もないはずだ。だが、その正直な答えを投げかけるたびにやはり信じられないという表情をされて来た。

「ったく、デュガールは何をさせてもできるのよね」

 デュガールと言うのは、その時の私のあだ名だ。

 今でもあまり改善されていないが、遅刻を極端に嫌うあまり予定より早く集合してしまう事が多いのがその時の私の欠点だった。授業でも行事でも一番に来て、できる事があればしてなければじっと待っている。そんな事を繰り返していた。

 つまり待ちぼうけがやたらと多く、「待ちぼうけ」から「チボー家の人々」と言う小説になり、その作品の作者ロジェ・マルタン・デュ・ガールから取ってデュガールとなったという次第である。このあだ名を命名したのは、当時学校で二番目に成績の良かった近藤と言う女子生徒だ。


 私がなぜその高校を受験したのかは、あんまりよくわからない。

 偏差値60半ばぐらいの、名門校と言った言葉が似合う公立高。親からあなたならば受かるからの一点で半ば強引に押し切られ、そして受験して簡単に合格できた。

 一応自分の意思と滑り止めとして実家から徒歩十分の平凡な女子高も受けてみたが、その学校には私が何かを言う前に母が断りの電話を入れていた。確かに現母校の合格がわかったのがそっちより三日早かったので間違ってはいないが、それにしても何をあわてていたのか、その答えは今でも聞いていない。


 高校でも、私は中学校と同じ事をした。真面目に勉強し、真面目にスポーツも行い、真面目に部活も行い、そして適当にアイドルの情報もかき集めて適当に雑談もした。それが高校生の使命だとわかっているからだ。

「塾とか行ってるの」

「行ってないよ、通信教育が一つだけ」

 母はなぜか、習い事に関しては冷たかった。

 特に料理や裁縫など、自分が普段やっている事と同じ事をさせるのを嫌がった。だから私がしていた習い事は、通信教育だけだった。なぜと聞いても、要領を得る返答は返って来なかった。

 二言目にはお金が苦しくってで流され、だからとばかりに私が小遣いを使わずに貯めようとすると今度は私に服を買って来た。そんな風にどうにも嚙み合わない私と母を、弟も妹も胡乱な目で見つめていた。父は母に同調しており、弟や妹にはやはり母と同じようにやや甘かった。

「こんな服より、もっと何か別の教室でも」

「いいのよ、あなたにはもっと楽しんでもらわないと」

 当時の若者っぽい服ではなく、いかにも優等生的な服。流行り廃りなど関係のない服、母が買って来たのはそんなのばかりだった。私の現在のファッションセンスは、多分そこから受け継がれている。

「ねえ、大学に進みたい?」

「うん」

「そういうと思ったのよね、はいこれ」

 まだ一年生の時分から、母は大学の資料を集めていた。だがどれも実家から電車一本か二本で通えるような大学ばかりで、通学に一時間かかるのはひとつもなかった。

「お母さんはこの内どれかに通って欲しい訳?」

「そうしてくれると嬉しいなって思うのよね」

 穏やかな笑みの中ににじみ出る、そうしなければ許さないというものすごい圧力。私がまだ一年生だしと言って逃げると母の笑顔は苦笑いに変わり、アハハハと言う笑い声は棒読みになった。


「受験勉強ばかりしてると肩がこるわよ、そんなのはお父さんだけで十分だから」

「ただのテスト前の付け焼き刃のよ、ああそう言えば弟たちは中学受験するの」

「しないわよ、あなたじゃあるまいし。二人でゲームやってるわ」

 弟と妹と私(と母か父)で、一緒に遊ぶことは多くなかった。

 あなたも一緒にやればとかさえ言って来なかった。うまい下手で言えばまちがいなく下手だし、勝とうとしてもまずできない。

 ただし、それが電気を使わなくなると話が変わって来る。お互いの顔を突き合わせて戦うと私は負けない。今でもババ抜きなどは手を抜かないと私が負ける事はない。子どもたちだけならばまだしも、夫や義父母とやってもだ。




「娘さんはもう十六歳ですよって、まったく先生は何を見てるのかしら!」


 二年生の二学期、進路相談で母は私と共に担任の先生に会った。その際に一年前に見せた大学の資料と同じ名前のリストを提示した母に、先生は顔をしかめた。

 これらは全部娘さんの成績ならば滑り止めレベルの学校でしかない、もっと高い所を受けさせるべきですと言う理屈だそうだ。それに対し母は具体的にどこですかと身を乗り出して聞きにかかり、それに対し先生は早稲田や慶応、上智や一橋と言う名前を出して来た。簡単な所を選べば東大もできなくはなかったらしい。

 母は通学させるのは遠すぎると言うと先生は私の年齢を盾に一人暮らしさせるべきだと言い出した。それに対し母はおとなしく座っていた私の方を左目でチラチラ見ながら、右目で先生に敵意を向けていた。

 私自身それほど一人暮らしに対し執着心があった訳でもない。とは言え、その内そうなるだろう話なのにここまで頑強に反対する母親の姿が不可解に映ったゆえに反発したくなり、私は先生の言葉に従う事を選んだ。


「あなたはみんなから思われているほど大人じゃないんだから、そこの所をじっくり認識しなさい」

「だったら大人になる為にいろいろ教えて」

「じゃあ聞かせて頂戴、あなたいったい何になりたいの!」

「確実に稼げるから公務員がいいかなって」


 これはウソではなかった。もしあっさりと今の夫を見つけていなければ、私はそういう仕事をしようとしていただろう。

 大学三年生になって夫と出会い、この人と籍を入れようと思い立ってからは方針転換したがそれでもそういう着実な仕事がいいという思いはあった。

「今だから言うけどね、中学生の時高校入試のために証明写真撮ったでしょ」

「それどうしたの」

「あなたに内緒でね、アイドルのオーディションに使ったの」

「返事がなかったって事はそういう事だよね」

「あなたには気の毒だけど、私たちはそういう風に思ってるって事」

 母の言い方を聞いていると、あなたには芸能人が務まるとでも言いたいように聞こえてくる。ギャグと笑い飛ばすには、言い方が真剣すぎる。でもそれに応えるには、私の用意が出来なさすぎていた。


「あなたにはあなたの夢があるんでしょ」

「うん」

「私はねえ、あなたにはもっと他の事ができるんじゃないかなってずっと思ってた。私のような凡人がねえ、子どもにそうじゃない人間であってくれって期待するのはバカな事だとわかってるんだけどね。トンビが鷹を産むのを期待したくなるけど、結局蛙の子は蛙なのよね」

 母は缶コーヒーをあおりつつ、右目を濡らしながら笑った。私の可能性とは一体何なのか、どうにもわからない言葉だ。何よりその可能性に少しでもがくっついている事を察した場合、母は積極的に塞ごうとした。それまでの人生で幾度も経験して来た話であり、そのにおいを感じさせないように生きて来たつもりだった。それでも親にはわかっているようであり、そしてこの時それをこれ以上塞ぐのが不可能なことを悟ったらしい。

 愚かとかは思わない。私だってほどなく、同じ心配をする事になるのが明らかだからである。その時にどういう態度を取るかは、まだ考えていない。自分の体験をコピーして対応するのが多くの場合失敗であることはわかっているが、自分の人生はその体験しかないだけになかなか難しい。まず一番に向かい合うだろう一朗については、男同士夫に丸投げしてもいいかもしれない。

 しかし実際問題、共学校であったから校内で母が恐れるにおいをなくす事は難しい。その上で母が私に女子校を選ばせなかったのは、三年間断ち切ったにおいに私が一挙に触れる事による爆発を嫌ったのではないだろうか。そう考えると、私がなんとなく取った安全策を踏みにじったのもわかる気がする。



「デュガールの恋愛観ってよくわからないんだよねー、結構アナクロなタイプ?」

「ってかデュガールってさ、恋愛とかするのかなって感じ!何か実はお見合い写真親に渡されててさ、高卒すぐとかあるいは大学出る間際にとかその相手と結婚するとか決まっててさー」

「ああありそう!」

「そんなのありませんけど」


 親公認レベルのカップルから片思い、モテモテだけどその気なしとかいろいろな話があったが、私の場合は一年生の二学期辺りからなぜかそのイメージで固まっていた。そんな物いないんだけどと否定してみても、なかなか消えなかった。

 それが成績トップの優等生様と言う肩書からくっついているイメージだとするとどうにも拭いようがない、そう判断した私はその時校内で一番人気だった陸上部のエースの山本君のファンになった。


「山本君ってさ、速い上に諦めない走りをするんだよね!しかも授業でも本当に真面目で、しかも早稲田狙ってるとかって!スポーツ推薦じゃなくて学力で!カッコいいじゃない!」

「なるほど、デュガールが好きになるはずだね」


 しかしそれがある意味での保身行為であることは、すぐさま見抜かれてしまった。せっかくファンを名乗るからには彼の美点を追求し分析しなければならない。その結果集めたデータを一挙に吐き出してしまい、「成績トップの優等生様」にふさわしいほめ方をしてしまった。

 結局高校時代はずっと山本君のファンとして逃げ回る事ができたが、それでも自己流の消臭法が大失敗に終わった事だけは事実だった。そしてそれをきっかけに私は受験勉強に逃げ込み、そして見事一流大学に入り込んだ。

 その後はもう、匙を投げた母たち家族を起き残して一人暮らしを始め、仕送りと喫茶店でのバイトのお金を全て注ぎ込んでそのにおいをむき出しにした生活を行い、四年間で無事今の夫と結婚した訳である。

 もっとも今となっては全て過去の事に過ぎない。過去の栄光であり、過去のあやまちである。主婦と言う存在になっている自分にとって、何の問題にもならない事象のはずだ。今の私にとっては卒業証書より、一枚の千円札の方がずっと重要な紙だった。

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