大衆食堂
塔
二日前
客が来た。
そのとき俺は、明日の仕込みを早めに始めたところだった。
客はキョロキョロと不安そうにあたりを見回してから、恐る恐る椅子に座った。
"女将"がいそいそと水を運んでいく。
ここは大衆食堂だ。そういうことになっている。
店の外には街が広がっているが、ろくなもんじゃない。一度外の様子を見に行ったことがあるが、商店街はシャッターが続き、アパートも人の気配はなく、自動販売機もすべて売り切れ表示で、ゴーストタウンそのものだった。
要はハリボテなのだろう。
俺の仕事はここで飯を作ることだ。
客は一日に一人いるかいないか。三人ほど来る日もあるし、一週間以上誰も来ないこともある。
店内は古いポスターがそのままにされていて、ほとんど色褪せている。
壁のメニュー表は手書きだ。必要最低限の定番メニューが書かれていて、その殆どは黄ばんでいる。
俺が書いたわけじゃない。俺が来た時にはもうこうだった。俺が来る前のことは聞かされていない。
今ではレア物の分厚いテレビからは、随分昔の、音質の悪いお笑い番組が流れている。
おそらくネットに垂れ流されている動画をそのまま引っ張ってきてるのだろう。
さっきの客は居心地が悪いのか、座ったままそわそわとしている。
無理もない。いまやキャッシュレスが当たり前で、こんな店など親の世代でもファンタジーだ。タイムスリップでもしてきたような、奇妙な感覚に襲われてるんだろう。
俺は冷蔵庫から豚肉を取り出す。小麦粉をまぶして、フライパンで火にかける。タレは出来ているものをぶっ込むだけだ。キャベツもすでに千切りしたものがある。今朝、俺が作っておいたものだ。
料理はここに来る前に散々仕込まれた。そうしなければいけなかったからだ。
"女将"がニコニコと客に料理を運ぶ。何も知らなければ、食堂でよくある風景だろう。
客は注文した生姜焼き定食を口に入れた。よほど腹が減っていたのか、一口食べると急にかきこみだした。かと思うと突然ピタリと止まって、ゆっくりと味わう。
ここに来る客はだいたいこうだ。よほど長い間街中を彷徨っていたのだろう。飯が食える場所はここ以外にない。
食べ終わると、客は心もとない仕草でレジに向かった。レジが電子マネー対応型なのを確認すると、表情が和らいだ。今どきリアルな紙幣などみんな持たないから、支払いの心配をしたのだろう。ここは「現金のみです」と言われても仕方ないような佇まいをしている。
客がスキャナーに手の甲を当てる。近年は皆ここにマイクロチップが埋め込まれていて、IDを読み取ることでキャッシュレス決済が完了する。
最新の店はそもそもレジ自体が無い。
商品にはすべて識別コードがついていて、出口を通過するとIDと識別コードが紐付けられ、指定口座から引き落とされる仕組みになっている。
レジに表示された価格を見て、客は声を上げた。
「あんまりにも安すぎないか?」
言いたくなる気持ちはわかる。ここは人が飯を作って、人が配膳しているからだ。
殆どの仕事、特に接客業はいまやロボットが中心だ。そのため人件費が大幅に削減され、それが価格に還元されている。逆に言うと、人の手が加わった接客は"サービス料"がかかるため、値段も釣り上がる。
にも関わらず、うちの店の価格設定は殆どサービス料抜きの値段なのだ。
「うちは二人しかいないからこれで十分なんですよ」
"女将"がニコニコと客に説明をする。
客はまだ納得のいかない顔をしていたが、やがて表情を緩めると、俺に向かって「美味しかった」と感想を述べた。
俺は黙ってその言葉を受け取った。
ゆるゆると客が"出口"から出ていくと、"女将"がポツリとつぶやく。
「あの人、大丈夫かねぇ」
俺は少しの沈黙のあと、お決まりのセリフを吐く。
「大丈夫だろうさ。そう願うしかない。行動矯正施設ってとこは3ヶ月頑張れば出られるんだ。ここはそういう場所に行く人たちが、最後にまっとうな食事をするところだ。またうまい飯が食いたいとふんばってもらえるよう、飯を提供するのが俺たちの仕事だ」
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