火神は無能に恋する

五月ユキ

1.皆ころしちゃえばいいのよ

 俺の家族は全員クズだ。


 貴族の笠に着て、権力を振るう。王族を見ればヘラヘラ笑う。庶民を見れば蹴っ飛ばす。平然と賄賂なんかするし、逆らうものがあれば殺す。見れば見るほど反吐が出る。


「――セリノ、おまえはクズだ。分をわきまえろ」


 クズだ。小さい頃から、父から、義母から、兄から、誰でも俺のことをそう呼ぶ。

 火神ベドジフのちからを継ぐ資格がない無能だと。


「そんなわけがないんじゃない」


 こころから、いつものように金髪の幼女が囁く。

 俺の唯一の友達だ。子供の頃から十年、ずっと俺の側にいた。いわゆる空想の友達だ。

 どうして俺だけの前に出るのか、考えたことはあるけど。彼女はなにも教えてくれないから、考えるのをやめた。どうせ誰も気にしていないから。


「無能は無能のままでいいんだよ」

「情けないわね」と、くすくす笑う。


 彼女は半透明の姿で、俺以外、誰も見えない。メイドたちはすでに俺の独り言に慣れた様子で、誰も見向きもしなかった。

 彼女はバシリアだ。いつのまにか、この名前になった。彼女は気に入ったようだが、全然似合っていない名前だと思った。

 バシリアって、もっと慎ましやかな少女のほうが似合うのだろう。


「ひどいわね、慎ましやかじゃないっていうのかしら」


 俺のこころを読むな。

 膨れ面をする彼女は、隣で待機していたメイドたちの影を踏む。


「いっそ全員、炎の力で殺しちゃえばいいのよ。あの気に入らない人たちも」


 さっきの不満の顔は消えて、満面の笑みになった。柱の隣にいる彼女は影に覆われる。


「そういうところが慎ましやかじゃないだろ」

「ふんだ」


 咄嗟にバシリアの後ろから人影が彼女を通り過ぎた。失礼ね、とバシリアは大声で叫ぶ。


「また独り言かよ、気持ち悪い」


 嫌悪の目をしながら、兄が俺に話しかけた。

 四つ年上の兄のエリヒオは火神の力を強く受け継いた。俺の黒髪と違って髪は火神のように紅く、炎を自由に操ることができる。


 あいつが嫌いだ。

 エリヒオを無視して歩き出すが、いきなり彼が俺の肩を掴まった。


「おい、父様が早く来いとな」

「なに?」と、俺は不吉の予感がした。

「ついに庶民のおまえを追放するのかもな!」と、エリヒオがあざ笑う。


 仕方ない。父の用事なら、ついていくしかない。

 もちろん、彼は案内する気がまったくなく、ただちに早足で来た道を引き返す。

 しばらく歩いたあと、彼はついにダイニングルームの前に足を止めた。


 中には父だけじゃなく、義母までいた。

 俺の姿を見ると、険悪の雰囲気が火山灰のようにあたりを覆う。重苦しい空気がその場を支配した。


「セリノ、よくぞ来たな」


 父は先に口を開いた。


「なぜセリノまで呼ぶのかしら」と、義母は大変不機嫌の様子だ。

「知らずのうちに邪魔されるのも面倒だからね」

「あら、それもそうですわね」と義母は頷く。

「――なにかご用事でしょうか」


 と、俺は仮面の笑顔をつけた。


 普段は気にしないくせに。食事もお茶会も仕事も勉強も、俺とは別のところで済ませたのに。いきなり俺を呼ぶのなんて。

 ついに俺を追放するのだろうか。


「セリノ、ここを呼ぶ理由は何なのかわかるか」

「いえ、わかりません」

「それもそうだ」と、父は冷笑した。


「もうすぐはエリヒオが火神の力を継ぐ日だ。エリヒオの代わりに仕事をやれ」

「そうですか」


 この家の習わしだ。火神から証を受け継いた人が次期当主になる。火神の力を継ぐには試練をクリアしないといけない。失敗するものは次期当主の資格を失う。


 ――というのは嘘だ。火神の力はエリヒオが受け継ぐことになる。彼が失敗しても。

 なぜなら俺は庶民の子だ。試練を挑む資格がない。


「大人しく書斎に籠もればいい」

「そうします」


 義母はなぜか俺をじっと睨む。


「大人しいわね、今日は」

「次期当主はエリヒオですから」

「そうよ。出来損ない、無能のお前は大人しくすればいいわ。花を彩る雑草のようにね」


 義母の笑い声が響き渡る。彼女の笑い声につられて、俺除く全員が大声で笑い出す。

 力とは関係ない。俺は惨めになればなるほど、彼らは喜ぶ。そう、俺は『無能』という烙印を押された役者だ。道化師だ。


「ええ、そうですね」

「わかればさっさとここを去るがいい、目汚しが」

「では、失礼します」


 声を押して、一礼をする。嘲笑う声から逃げるようにダイニングルームを離れた。

 彼らの姿が見えなくなるまで離れると思わず拳を握った。


 ――なにが無能だ! 


 俺だってエリヒオくらい、いや、エリヒオ以上に炎を操ることができるのに。

 そう叫びたいのに、言葉を呑んだ。


 もう力を使わないと決めたのだ。未練だらだらじゃないか。怒るな、考えるな、冷静になれ。


「ねえねえ」


 バシリアの声がした。彼女は数歩先の花壇で花をじっと見た。波打つ金髪が太陽の下でキラキラしている。


「なんだ」


 怒り心頭で思わず荒々しい声で返事した。


「――皆ころしちゃえばいいのよ。うふふ」


 いきなりなにを言い出す。


「だってそう望むのでしょ、セリノが」

「違う」

「そんなクズ、死ぬほうがマシだもの。全部、全部殺しちゃえばいいのよ」


 太陽の下で、彼女の笑顔が目に飛び込む。一輪の花のように。

 眩しい笑顔なのに、悪事をそそのかす力があるみたいだ。こころを落ち着かせる頼みの綱のように。どうしても目を離さない。


「セリノが力を使えばいいのよ」


 そうだ、全部一気に焼き尽くせばいいのだ。あんな人でなしが。

 いや。俺はもう力を使わない、そう決めたのだ。

 なのに、彼女の声が甘美の誘惑のように、耳からなかなか離れなかった。

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