4月5日 並びに4月6日

 「つまり、そいつが例の事件の犯人ってこと?」


 「可能性は高いです。もちろん、壱菜さんが関わっていないとは言い切れませんがね」


 壱菜との話し合いを終えた僕たちは、随分と久しぶりな気がする自宅へ引き返していた。べたつく体を洗いたい気持ちをぐっと抑え、壱菜に風呂を譲った僕は慶花からとある話を聞いていた。それは、僕と壱菜にも少なからず関わる話だった。


 「,,,ん。お風呂ありがとう」


 「壱菜、ちょうどいいところ,,,に」


 「はぁ,,,なんで兄さんの服を着てるんですか」


 壱菜は下に何もはかずに、僕のTシャツ一枚を着ているだけだった。中々煽情的なその恰好は、壱菜が襟の部分を掴んで鼻先に持ってきていることもあり、見えそうで見えない絶妙なラインを作っていた。


 「あたっ!」


 「見過ぎです、つい殺したくなっちゃいますよ?」


 「もっと、見ていいよ?」


 「っ! 兄さんとの約束が無かったら、今すぐにでもぶち殺してやるのに,,,!」


 容赦なく僕の頭に拳骨を振り下ろした慶花は、あまり見たことのない悔しそうな顔をしていた。もう少し僕の扱いを丁寧にして欲しい所だが、こういった顔を見られるのはとても嬉しく思う。それに、慶花はきっと嫌がるだろうが、僕から見て二人は仲良さそうに見えるのだ。ギスギスとしていなくて安心した。


 「ほらっ! その服を脱いで、とっとと自分の服を着なさい!」


 「嫌,,,! もう着替え、これしかないっ! 唯一の服を脱がすなんて、ハレンチだよ,,,!」


 「化物は服すらまともに持ってないんですか! 私の着替えを貸してあげますから、兄さんの服は脱ぎなさい!」


 「むぅ,,,慶斗、どっちがいい?」


 えっ? ここで僕に振るの? というか、その服装は本当に眼に毒だ。間近で見ると、体の線や胸の膨らみなどが分かって、色々とまずい。本能の赴くまま、そのままでいてくれと言いたい所ではあるが、明らかに不機嫌だ。これまで約束を守ってくれていた慶花のためにも、ここはすっぱりと断ろう。


 「そのままがいい」


 しかし、出た言葉はただの欲望だった。おかしい、僕はもっと誠実な人間だと思っていた。近頃タガが外れたせいか、自分の願望に忠実になっている気がする。こんなことでは二人を幸せになど出来ないだろう。もう少し自分を自制していかなければならない。


 「壱菜、最高だ」


 「ふふっ,,,喜んでくれて、なにより」


 「にい,,,さん?」


 あ、本当に駄目だこれは。目のハイライトが無くなって、怒っているのに顔は真顔という一番怖い状態になっている。壱菜はそんな慶花を無視して、僕にそのままの状態で抱き着いてくるし、冷や汗が止まらない。義理堅い慶花なら大丈夫だろうと高をくくっていた僕は、酷く焦り始めた。


 「ねぇ,,,兄さんは私のなんだよ? なのに、どうしてあなたがベタベタと触っているの? そんな背も低い、無駄な脂肪ばかり蓄えた女の何処が良いの?」


 「慶花ちゃん、焼きもち? まな板だからって、嫉妬は良くない、よ?」


 それを聞いた慶花は、無言で壱菜目掛けて駆け出した。壱菜もそれに答えるように姿勢を低くして慶花を迎え撃った。止めようかと思ったが、お互いに武器を持たずにいるし、なにより圧倒的に慶花が押しているので、落ち着くのを待つことにした。


 今のは、胸の話題という慶花にとって一番触れてはいけない部分にタッチした壱菜が悪い。慶花にだって全てが完璧というわけではないのだ。とかく胸に関して、大きさという部分にだけ絞れば確かに小さいが、それは魅力の一つだ。


 本人は気にしているようだが、僕は大きいのも好きだし小さいのも好きだ。大きさというよりも、その存在自体が好きと言っても過言ではないだろう。胸か尻かで言えば、断然に胸派なのだ。


 「兄さん? 何か失礼なこと、考えてるでしょ」


 「いやー,,,全くそんなこと、これっぽちも考えてないよ」


 あっさりと壱菜を無力化した慶花は、馬鹿なことを考えていた自分の後ろに回っており、苦しいくらい僕の首を絞めていた。壱菜が近くにいると言うのに、敬語が外れるとはよっぽどだ。壱菜が大きい方だからそれに触発されているのだろう、今の慶花はかなりキレていた。


 「がはっ,,,ちょ、ほんと苦しいって,,,!」


 「兄さんは小さい方が好きだよね? あんな下品なもの、必要ないよね?」


 「ごめっ、んて,,,! つい本音がっ,,,!」


 「あんまり、慶斗を困らせちゃ駄目、だよ?」


 相変わらず回復の早いことで、窒息寸前くらいまで絞められていた壱菜は、見せつけるように胸を張りながら僕に抱き着いた。美少女二人のサンドイッチは嬉しい事この上ないが、壱菜が慶花を煽るたび、どんどん首が締まっていくのだ。段々と二人の声が小さくなっていって、意識が遠のいていく。


 4月5日深夜、僕は無理やり睡眠を取らされることになった。


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 「あっ,,,つい、やりすぎてしまいました」


 「ほんとだ。ぐっすり、寝ちゃったね」


 力が抜け、ぐったりとした兄さんを見て私は我に返った。まぁ、兄さんを休ませるつもりではあったので、良しとしよう。この所、一上壱菜の出現のせいで自制心というものが簡単に外れるようになってしまったのは、反省すべき点だろう。


 しかし困ったことに、兄さんは未だ汚れたままだ。汗や兄さんの血液が染みついて、拭ったくらいでは落ちそうもない。かといって、この不衛生な状態で兄さんを放置するわけにもいかない。とりあえず、脱がそう。うん、そうしよう。


 「兄さんを落としてしまったのは私の責任です。なので、私が責任をもって兄さんを洗ってきます」


 「良いって、人間は寝ないと駄目、でしょ? 私が代わりに、やっておくから」


 「いえいえ、壱菜さんこそ疲れているでしょう。私は一日くらい寝なくてもパフォーマンスは落ちないので、どうぞお任せください」


 既にぐったりとした兄さんを、二人で取り合う。この女には譲り合いの精神というものがないのだろうか? そもそも、今殺さないでおいてやっているのは兄さんの慈悲によるものだ。出来ることなら今すぐにでも殺してしまいたいのに、我慢している私を労うべきじゃないのか?


 兄さんが私以外と話しているだけでも苦痛なのに、よりにもよってこいつに告白する所を見せつけられたのだ。これくらいの取り分はあってしかるべきで、譲るべきはこの女だ。


 「ん,,,じゃあ、こうしよう。体洗う場所、半分こしよう」


 「はぁ? 半分とか図々しいにもほどがあるでしょう」


 「最後まで、聞いて。洗う場所は、慶花ちゃんに譲ってあげる。私は余った残りで、我慢する」


 「,,,,,,」


 私は頭でその提案を咀嚼する。確かに、悪くはない話だ。こうやって無益な争いを続けても、決まるものも決まらない。強硬手段に出ようにも、私はこいつに手出し出来ないし、あっちも私を殺そうとする気配は無い。そのつもりがあろうと、今のこれなら負けることはないだろうし、どん詰まりだ。


 なら、多少は私に譲歩した彼女の提案に乗って妥協すべきだ。しかし、私の中の反骨心がこいつの案に乗るのは癪だと、そう言っているのだ。ぐるぐると考える。そして、様々な可能性を考慮した私が出した結論は,,,


 「分かりました。今はその話に乗ってあげましょう」


 「ふふっ、きっと分かってくれると、思ってたよ」


 無愛想な顔を一転させにっこりと笑うと、彼女はゆっくりと兄さんから離れていった。前は独占欲丸出しで、兄さんに触れようとする私を睨みつけていた以前の化物とは全くの別物のようだ。兄さんは本当に化物を人間に変えてしまったらしい。


 だからといって、兄さんを譲る気は一切ない。そんなことより、今は兄さんを心行くまで楽しもう。今日は我慢をたくさん強いられたことだ、もう自分を律することなどしなくていい。私はゆっくりと兄さんを脱がすと、その体に舌を這わせた。


 「あむっ,,,ん,,,にいひゃん,,,」


 「流石に、それは予想外」


 舌がピリピリとする。服には兄さん以外の血液もあったが、その内側はほぼ兄さんの体液だ。混ぜ物がされているのが甚だ気に入らないが、兄さんの排出物であることに変わりない。しっかりと丹念に、隅から隅まで舌をなぞっていく。


 右腕、上半身、顔,,,兄さんの手を握りながら、兄さんを味わって、視界を兄さんで覆いつくして、兄さんの心臓の音を聞いて、兄さんの芳醇な匂いを楽しむ。五感全てで味わう兄さんは、とてつもなく甘美なものだった。


 「にいさんっ! にいさんっ! にいさんっ!」


 兄さんへの感情が溢れて、言葉となって漏れ出していく。それを眺める傍観者がいることなど構いもせず、ただ兄さんの愛を垂れ流す。さながら極度の空腹の後に、大好物を食べる時のような幸福感。兄さんでしか満たすことの出来ない、摂取することの出来ない成分があるのだ。


 一心不乱に兄さんを舐め続けると、後ろからグイっと引っ張られる感覚が私を襲った。兄さんから離されるのが嫌で、必死に抗う。が、過剰な兄さん成分接種のせいで力がほとんど入らなかった。頭がチカチカして、ただこの充足感を噛み締める。


 オーバードーズというものだろうか。確かにこれほど気持ちいのなら、薬物にハマる人の気持ちも分かる気がする。私にとっての特効薬でもあり、同時に劇薬でもある兄さんは依存性が強すぎる。近くにあれがいると言うのに、こんな無様を晒してしまうほどなのだ。


 それでも、私は兄さんから離れることなど一生出来ないだろう。眠気もあり、私は幸せな気持ちのままゆっくりと瞼を閉じていくのだった。


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 「にい,,,さん」


 「時間制限も、設けるべきだったかな。それに、半分っていったのに、明らかに半分以上、やってるよ」


 ほぼ半裸の、下着だけは辛うじて残った慶斗を見て思わず呟いてしまいます。たっぷりと慶斗を堪能出来たようで、慶花ちゃんは幸せそうに眠っています。眠らなくても平気だと言っても、やっぱりやせ我慢だったのでしょう。ゆっくりと慶花ちゃんを持ち上げて、慶斗の寝床に入れておきます。春とはいえ早朝はまだ冷えますし、私なりの心遣いです。


 さて、私は私で慶花ちゃんの後片付けをしないといけません。涎でベトベトな慶斗の体を、この前看病する時に買った無香料のシートで綺麗にしていきます。それと同時に、寒いであろう慶斗のために体を密着させます。これは慶花ちゃんのとは違い、単なる配慮なのです。


 いくら私の血を飲んだとはいえ、まだ分かっていないことの方が多いのです。風邪を引かないという根拠もない中、このまま放置するのは得策ではないでしょう。なので、人肌で温めると言う原始的ですが確実性のあるこの方法を用いるのです。決して、慶花ちゃんが慶斗を舐めまわすのを見て羨ましくなったとかではないです。


 「ん,,,慶斗、あったかい」


 慶斗の温もりを感じながら、空いた片方の手で彼の体をまさぐります。セクハラまがいのことも、誰も見ていない今ならば問題はありません。最後の一線は慶斗から超えて欲しいので、直接的なことはしませんが、体のありとあらゆる部位を触診していきます。これも傷が無いかの確認で、他意は無いのです。


 ついでに体をこすりつけて、摩擦を起こします。これで体は温まったことでしょう。もう言わなくても分かると思いますが、この行為もマーキングではなく対処療法です。着せる服にも私の匂いをふんだんに付けましたが、そういうことではないのです。


 「慶花ちゃんとは、違う」


 少し手間取りつつ、慶斗に服を着せていきます。自分の欲望のまま、慶斗の体液を舐めまわすなんて羨ま,,,はしたない行為をする慶花ちゃんでは無いのです。慎みを持って、常に余裕を持つべきなのです。


 服を着せると、私は慶斗に軽くキスします。本音を言えば、もっと激しいものがしたいのですが、それをしてしまうと私も慶花ちゃんと一緒になってしまいます。ですので、軽く唇に触れるくらいでとどめておきます。


 収納から薄いタオルケットを取り出して、慶斗と一緒に包まります。あまり幅が無いので、かなりくっつかないといけないのですが、これしか寝具は無いので仕方ないです。首筋に鼻を突っ込み、体全体で慶斗に抱き着きます。ティッシュでしっかりと拭き取ったのに、少しアルコールの匂いがしますが、これくらいは妥協しましょう。


 「おやすみ,,,慶斗」


 私もまた、慶斗の心臓の鼓動を子守歌にしながら静かに眠りにつくのでした。


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 目が覚めると、太陽が昇り切っていた。どれくらい寝ていたのだろう。重い頭と、やけに痛む体を起こして状況を確認する。すぐに違和感に気付いた。服が着替えられているし、腕の感覚があまりないのだ。そこには全身を絡ませながら腕に抱き着く、壱菜がいた。


 「あぁー? なんで、床で寝てるんだ?」


 腕を引き抜こうとするも、がっちりと固定されていて動かない。諦めて、ゆっくりとこうなった原因を探っていく。確か、慶花と話していたら壱菜が風呂から出てきて、それから,,,


 「はぁー,,,やってしまったぁー,,,」


 思い出した、思い出してしまった。慶花の禁句に触れ、あまつさえそれを煽るような行動をしてしまった。深夜テンションというもので、やけに本音が零れたのだ。最近は特に、慶花に対して迷惑をかけているというのにこの始末、なんて顔向けすればいいのだろう。


 少し強引に腕を引き抜いて、辺りを見回す。慶花は僕の布団で寝ていた。規則正しい寝息を立てながら、掛け布団がしわになるくらい抱きしめている。まだ二人とも起きていないようだし、これからやることもある。慶花の頭をゆっくりと撫でた後、軽い昼食を作ることにした。


 まぁ、昼食といっても僕に料理のスキルは無い。調理実習で作るような簡単なものなら出来るが、今は時間も材料もない。僕が現時点のここにある材料で作れるものなど、冷凍うどんくらいしか無かった。慶花は好き嫌いしないし、壱菜は食に興味が薄い、これでも大丈夫だろう。


 お湯を沸かして準備をしていると、先に慶花が起きてきた。慶花は意外と、寝起きが悪い方だ。僕も目覚めが良い方ではないが、慶花はそれ以上である。


 「うーん,,,にぃさん」


 「おはよう、慶花。ご飯食べられるか?」


 「うん,,,たべられる」


 「そっか、偉いな」


 「むへへ,,,」


 普段の様子とは全く違い、朝は少し子供っぽい所が愛らしい。どんなことであろうと、必ず優位をとってから甘えてくる慶花だが、朝に限ってはこうして素直に親愛を示してくれる。


 お湯を沸かす間も、慶花の頭を撫で続ける。これをするのとしないとでは一日の機嫌が段違いなのだ。数分ほどそうしていると、慶花の目が覚めた。


 「あぁ,,,やっぱり朝から兄さんを堪能できると、とても気持ちいいですね。一日中そうしていてほしいくらいです」


 「壱菜とケンカしないなら、いつでもいいよ」


 「嫌です。あれと仲良くなんて、絶対に無理です」


 「じゃあ駄目、今日はこれで終わりね」


 「ぁ,,,待って,,,辞めちゃやだ」


 悲しそうな表情をする慶花が、これまた可愛い。こんな時くらいしか優位に立てないので、存分に可愛がることにする。結局、壱菜が起きてくるまで慶花の頭を撫で続けることになるのだった。

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