4月5日 結

 風の音だけが静かに広がる中、それは始まった。間合いに入ってきた壱菜に、一切の躊躇いなく刀を踏み込んで突き刺す。壱菜の反射神経なら躱すことも容易なはずの一撃は、なんの障害もなく彼女の胸に突き刺さった。


 だが、壱菜にとってそれは他愛もないことみたいだ。血を滝のように流しながらそのまま歩を進めている。それに呼応するように、僕もまたゆっくりと彼女の体に刀を刺し込みながら進んでいく。もう刀の鍔の部分が壱菜の体にくっつきそうになったところで、彼女の腕がゆっくりと動いた。


 決して遅くはないが、早くもない緩慢な動き。確かな殺意を含んだ包丁が、僕の首元に近づいていた。このまま刀から手を離せば、避けることなど容易い一撃。けれど、僕はそれを甘んじて受け入れた。僕だけが傷つかずに、壱菜だけを痛めつけるなんて真似はしたくなかったからだ。


 ゆっくりと、僕の首に壱菜の凶刃が食い込んでいく。力任せにぐりぐりと押し付けるせいで、鬱陶しいくらいに血が噴き出していた。壱菜は噴き出す僕の血液を空いた片方の手にべったりと付けると、それを口に含みながらこう言った。


 「あはっ,,,気が違っちゃったのかな? そんなことしてたら、本当に死んじゃうよ?」


 「問題、ないよ。僕たちには技も無ければ経験もない。慶花みたいに賢く立ち回るなんてことは端から出来なかったんだよ」


 「そうだね。私たちは、みっともなく血や臓物をまき散らしながら戦うのがお似合いだよ。化物は化物らしくしないとね」


 強引に包丁を僕の首元から引き抜いて、今度は防刃ベストの隙間に刺し込む。脇の下辺りから入り込んだ刃は、瞬く間に僕の体を血でコーティングしていった。僕も負けじとナイフを取り出して、彼女の首元を突き刺すのではなく沿うようにして力を込める。手からは肉を引き裂く感覚がダイレクトに伝わってきていた。


 普通の人間なら致命傷な一撃を、休むことも躱すこともなく行い続ける。こんなことを続けるのには、自分なりの理由があるからだ。僕は、壱菜の殺人衝動だけで彼女の全てを否定したくないのだ。彼女の苦しみを理解することなど僕には到底できない。だからといって、知ろうとするのを辞めるのは違うと思う。


 壱菜の持つ気質は、確かにこの現代社会において許されるものでは無いだろう。殺人を犯していないとはいえ、いつそうなるのか分からない爆弾を傍に置いておきたくないのも分かる。しかし、それでは彼女は一体いつになったら救われるのだろう。


 殺人衝動を抑え続ければ苦しみ続け、誰からも敬遠される。逆にそれを解放してしまえば、誰からも理解されなくなる。人を殺すことでしか満たされないのに、人を殺してしまえば一生満たされることは無い。なんて救われない話なのだろう。

 

 でも、僕ならば壱菜を救える。いや、救うだなんて御大層なことは言わない。僕なら壱菜と共に歩めると言った方が良いだろう。僕ならばいくらでも殺されてもいい。壱菜のおかげで死んでも死なない体になったのだ。それこそが僕にできる責任の取り方で、慶花と向き合う理由をくれた壱菜への恩返しになると思う。


 壱菜の首元を滑るナイフが空を切った。力尽くで押し込まれたナイフは首を引き裂き、鮮烈な赤をその刀身に色付けせる。壱菜も、どこからか取り出した新しい包丁で僕の体をそぎ落としていた。僕も壱菜も、とっくに痛みなんてほとんど感じなくなっていた。


 僕はナイフを捨てると、胸に突き刺さったままの刀の柄を持って、両手で心臓の方に押し倒した。固い物に阻まれながら、何度も何度も叩きつけていく。後もう少しで体を千切れそうになったところで、壱菜の耳元に顔を持っていく。


 「壱菜,,,好きだよ」


 「っっ!?」


 目を見開きながら、忙しなく動いていた手も止めてこちらを見る壱菜。信じられないものを見るような眼差しで、茫然としているようだった。駄目じゃないか、これは殺し合いだと言うのに手を止めてしまっては。


 渾身の力で、刀を引き抜く。見るも無残な姿になった刀は、しかし折れてはいなかった。慶花に頼んで特別製の強固なものにしてもらっていて良かった。これならまだ、やり合うことが出来る。


 「そんなこと,,,どこで覚えたの? 慶花ちゃんの入れ知恵かな?」


 「紛れもない僕の本心だよ。僕は君のことが好きだ、助けてもらったあの日からね」


 「私も慶斗のこと大好きだよ。今も殺したくて殺したくて仕方ないの!」


 「なら、良かった」


 僕たちは相思相愛だ。だから、そこに優劣があってはならない。彼女の苦しみも悲しみも、僕は何も知らない。推し量ることぐらいは出来ても、全て体験することは出来ないのだ。それでも、完璧で公平にすることは出来なくても、それを放棄することはあってはならない。


 血にまみれた刀を投げ捨てる。着ていた防刃ベストを脱いで、仕込んでいたナイフやハンドガンも遠くに放り投げた。もう壱菜を害するものは何も持っていない。そのまま僕は、大きく手を広げて壱菜の方へ歩いていった。


 「何のつもり?」


 「もう、僕には壱菜を傷つけることは出来ないよ。刀で一撃、ナイフで二撃、これ以上はただの殺傷になっちゃうからね」


 僕には元々、壱菜を殺すつもりなどほんの少しも無かった。殺すつもりで放ったのは事実だが、こんなもので壱菜が死なないのは分かっている。なら、どうしてこんなことをしたのか。それは壱菜は慶花を害したからだ。


 もちろん、壱菜もまた慶花によって耐えがたい苦痛を与えられているのは分かっている。それでも、僕は慶花を殺そうとしたことを簡単に許すことが出来なかった。なので、殺すつもりで刀を突き刺した。自分勝手な理由だが、こうでもしないと僕は納得できなかったのだ。


 刀は慶花からの一撃、ナイフは僕からの一撃だ。慶花は殺されそうになったし、僕は慶花を失いそうになった。壱菜は常人だと死に値するものを喰らったのだ、それでもう終わりにできる。


 だがらといって、それで終わりにするのは駄目だ。慶花は普通の体で死にかけた。壱菜は先ほどのやり取りで慶花への凶行を贖った。なのに、僕だけが何も成していない。責任も取らず、償うべき罰も受けていない。そんなことが許されてはいけないのだ。


 慶花は春休みの終わりまで壱菜を見逃すことで許してくれた。ならば、壱菜は何をすることで許してくれるのだろうか。答えは簡単だ。


 「僕を好きなだけ殺していいよ。壱菜の気が済むまで」


 「そう,,,ならお望み通り殺してあげる!」


 素早く包丁を構えた壱菜が、僕の腹のあたりに包丁をあてた。そのまま包丁を引いて、まるで料理でもするかのように僕の腹部を掻っ捌いた。真っ向から受けたせいか、麻痺していたはずの痛みが感じられて凄く痛い。それでも、壱菜を受け入れる。


 「っ! 私は! そんなことしてほしいなんて頼んでない!」


 「ごふっ,,,ごめんね、こんなことしか,,,思い、つかなくて」


 「私のこと! 好きなら! 私を殺してよ!」


 「駄目だよ,,,それは出来ない」


 「どうしてっ!? 好きなら,,,私のこと終わらせてよ!」


 僕に包丁を突き刺して、そのまま押し倒す。馬乗りになった彼女は、涙を流しながら僕を殺し続けた。その姿は、どう見ても殺しを楽しんでいるようには思えなかった。


 「私は化物なのっ! この世界にいるだけで迷惑なの! 死ぬ以外に役立てることなんて一つも無いの!」


 「違うよ,,,やっぱり壱菜は化物なんかじゃないよ。だって、そんな顔出来るんだから」


 酷く悲しそうな壱菜の顔。殺人衝動に体を委ねた彼女がするには、あまりにも人間らしすぎる。どんなに自らを卑下しようと、僕にはただの人間にしか見えない。既に、僕も壱菜も化物みたいなただの人間だった。


 「違う,,,違うっ! 私は化物なの! 人が殺したくて仕方ない、殺すことでしか満たされない人格破綻者なの!」


 「嘘だ,,,」


 「嘘じゃないっ!」


 嗚咽交じりで、僕の腹部をかき回しながら話す壱菜。何度も何度も同じ問答を繰り返して、その度に包丁で全身を突き刺される。自分を化物だという壱菜の言葉を否定するたびに、半狂乱で大量の包丁を刺し込んでいく。その姿は、以前慶花がした壱菜への仕打ちにそっくりだった。


 何本、何十本と体に鋭利な鉄の塊が体を貫いていく。痛みに慣れてきた今でも、これが苦痛であることは分かる。壱菜は、こんなに痛いものを受けていた。それを体験した所で、何かが変わるわけではない。でも、それでも受けるべきだと思う。言葉だけでなく、行動で示さなくては人は動かない。


 今の壱菜に、好きだと言っても受け入れてはくれないだろう。彼女は人を愛することを、殺すことだと思い込んでいる。それ以外にもっと、この感情を表現することは可能だと言うのに。だからこそ、壱菜の全てを受け入れてあげなくてはいけない。否定することは、今の壱菜に一番してはいけないことだから。


 「ほら,,,こんな残酷なことを私はやってのける。私はおかしいんだよ,,,!」


 「おかしく,,,ない」


 「もう,,,辞めてよ。起き上がって、私のこと殺してよ。もう辛いの,,,」


 ついには、壱菜は泣き始めてしまった。全身が痛んで、体を起こすにも激痛が走る。流石にこれほどまでに傷つけられると、感覚が麻痺していようと痛いらしい。それでも体を起こす。そうしないと、壱菜は永遠に救われないままだ。


 「どうして,,,辛いの?」


 「分からない,,,! あんなに慶斗を殺すことばかり考えていたのに、今はあなたを殺したくない,,,もう、自分でもどうしたいのか分からないの」


 「それは、僕のことが嫌いになったから?」


 「違うっ! 慶斗を嫌いになることなんて絶対に無い! それだけは信じられる,,,」


 「なら、答えは一つだけだよ」


 包丁を一本一本抜いていく。何度も何度も包丁を抜いて、あまりにも血が噴き出すものだから、少しふらついてしまった。


 「駄目っ! そんなことしたら、死んじゃうって!」


 「だい,,,じょうぶ」


 少し、いやかなり強がりを言った。本当は目の前が霞んできて、瞼が落ちてきている。体も冷えてきて、死にかけたあの日と同じ死の感覚が僕を襲っていた。だとしても、気合いだけでただ包丁を抜いていく。これは僕の壱菜への覚悟でもあるのだ。例え死のうと、辞めるという選択肢はない。


 「こうなったら,,,」


 「なに、か,,,!?」


 小さな声で呟いた壱菜は、僕に口づけをした。あの日、僕にしたという応急処置と同じように自分の血を含んで口移しをしている。壱菜の血を飲み込むと、体が少しづつ熱くなっていった。傷がある部分に火が付いたような感覚で、血が巡るのを感じる。


 数回に分けて行われた口移しのおかげで、僕の傷はすっかりと塞がっていた。いつぞやの時も、こんな風に壱菜に助けられたのだ。僕も、その恩を返したい。慶花と向き合えたように、壱菜ともしっかり本音で話をしなければならないのだ。


 「ありがとう,,,また助けられちゃったね」


 「どうして,,,? 慶斗が死にそうになったのは、この前も今日も、全部私のせいなんだよ? 今はよくっても、この先私はあなたを確実に殺すのに、どうして離れていかないの?」


 「そんなの,,,壱菜が好きだからに決まってる。君が僕を殺そうとしても、それを君が望むならそれで良いんだよ」


 全く、自分でも呆れてしまう。壱菜は僕を殺せないと信じているから、軽々しくそんなことが言えたのだ。壱菜は、きっと僕を殺すこと以外でも愛を表現できる。立派な、ただの人間だ。


 「私を,,,こんな私を本当に、認めてくれるの?」


 「前に約束したじゃないか。どんな自分を見ても、逃げないでって。僕は人を殺したい君でも、人外並の再生能力がある君でも認めるよ」


 「なっ!?」


 不安そうにしている彼女が、あまりにも可愛らしくてつい抱きしめてしまった。僕の血で汚れてしまうが、そこは我慢して欲しい。壱菜を納得させるには、行動で示すことが一番大事だと思う。それに、むしろ抱きしめ返してくるので嫌ではないはずだ。しばらくそうしていると、壱菜の口からゆっくりと本音が語られ始めた。


 「ずっとずっと,,,苦しかった。私はこの世界に生きてたら駄目なんじゃないかって,,,」


 「お父さんもお母さんも私を忌み子だって言うし、誰からも愛されなくて寂しかった,,,」


 「化物狩りだって、やりたくなかった。痛いのだって苦しいのだって、ずっと嫌だった」


 いくら超人的な再生力と運動能力を持っていても、痛いの痛いし苦しいのは嫌なのだ。僕も、慶花や壱菜を僕と同じ人間だと考えていなかった。いくら非凡な才や技術があろうと、僕らはまだ子供なのだ。そこに葛藤や悩みがあるのは当然だろう。壱菜は全て吐き出すと、潤んだ目で僕をしっかりと見つめてきた。


 「いいの? 私は、執念深いよ? 慶斗の人生を、めちゃくちゃに、しちゃうよ?」


 「もうとっくの昔にめちゃくちゃにされたよ。おかげで慶花と向き合えて、大切な人も出来た。壱菜が居てくれたおかげだよ」


 「そう、なんだ,,,私が、必要、なんだ,,,」


 いつの間にか、壱菜の喋り方が元に戻っていた。傷がまだ塞がり切っていないというのに、遠慮なく僕の体をホールドする彼女は、もう化物じゃない。どこにでもいる、ただの人間だ。


 「全く、面倒な人ですね。あまり私の兄さんにベタベタしないでください」


 「慶花、用はもういいの?」


 「はい、最後に壱菜さんに話を聞けば、外傷の無い死体の正体が分かります。手間取りましたが、所詮は擬態しか能のない化物です。餌をまけばすぐ食いつきます」


 どこかで見ていたのか、壱菜が大人しくなると慶花が姿を現した。どうやら、慶花はしっかりと約束を守ってくれていたらしい。殺人衝動を抑えきれていなかった壱菜の前に慶花が現れては、こんな風になることは無かったと思うので本当に助かった。慶花には頭が上がらない。


 「兄さんが包丁を何本も刺されている時は、流石に焦りましたけどね。無事でよかったです」


 「うおっ! 心配かけてごめんって!」


 後ろから、慶花からも抱きしめられる。背中は傷口が無いので問題ないのだが、この状況は大いに問題だった。こうして大切な二人に抱きしめられるのは役得というものだが、如何せん状況がまずい。ようやく壱菜の殺人衝動が鳴りを潜めたのだ。あまり壱菜を刺激するようなことはしたくない。


 「むぅ,,,慶花ちゃん、邪魔。今は、私と慶斗の時間」


 「あら、先ほどまで泣きべそかいていたというのに、随分と偉そうですね。それと、兄さんは今もこれからも私のものです。そこは勘違いしないでくださいね」


 「私だって、慶斗の大事な人。独占、良くない」


 「独占欲の塊みたいなあなたがそれを言うんですか?」


 「それは、慶花ちゃんだって、そう」


 二人は顔を見合わせず、壱菜は僕の胸の辺りに、慶花は僕の首筋に顔を突っ込みながら会話をしている。これで慶花も、壱菜とは僕と話すときのように敬語を外して話してくれればいいのだが、どうなのだろう。聞いていると仲良さそうにも思えるが、今にも殺し合わないか心配で仕方ない。


 「いいですか、兄さんは私のものです。兄さんがどうしてもというから、今だけは見逃してあげてるだけです」


 「奪ったり、しないよ? だって、慶斗はもう、私無しじゃ生きられないもん」


 「この,,,! どう曲解したらそんな考えになるんですか! 兄さんに依存しているのはあなたの方でしょう!」


 「私は慶斗が必要だし、慶斗も私が必要。相思相愛、だよ」


 「ちっ! この場に兄さんが居なければ一回殺している所です。ですが、約束は約束です。ここは私が大人になりましょう」


 「私の方が、慶花ちゃんより、年上だよ?」


 風の音しかない夜の工場に、二人の賑やかな声が加わった。僕を通じて、少なからず分かり合ってきている慶花と壱菜。僕は慶花と壱菜の気が済むまで、その体を二人に黙って預けるのだった。

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