4月5日 裏

 「ふふっ,,,ボロボロになった慶斗も可愛かったなぁ,,,」


 思い人の姿を思い出して、頬が緩んでしまいます。それは殺人衝動を一時的に押さえつけるほど、強烈なものでした。本音を言えば、高揚感と多幸感、それと彼への恋心が絡み合って、もう一秒だって我慢したくありません。ですが、空腹は最高のスパイスなのです。この想いを我慢すればするほど、彼への気持ちが増えていきます。


 これ以上ないってくらいに気持ちを高めて、最後に彼を何度も殺します。その血を、肉を、骨までも喰らいましょう。慶花ちゃんには、髪の毛一本たりとも残してあげない。全て私だけのものにするのです。逆に、彼に殺されるのもいい。私の体を引き裂いて、踏みつぶして、ぐちゃぐちゃにして欲しい。


 「あぁ~~! 早く夜にならないかなぁ! アハハ!」


 妄想だけでこんなにも幸せなのだから、現実になったらどんな風になってしまうか、楽しみで仕方ありません。以前は煩わしいだけだった太陽も、今は私を祝福するように煌々と輝いています。ですがその前に、きちんと準備をしていきましょう。彼を殺して、その次は慶花ちゃんを殺すための準備を。


 「でも,,,流石に着替えないとダメだね」


 慶花ちゃんの認識加工がまだ効いているのか、たまにすれ違う人は私に見向きもしません。今の私は不審者一歩手前の、ほぼ半裸のようなものです。血染めでなければ、変態と勘違いされてもおかしくありません。


 そんな私を無視するのは、簡単なことではないでしょう。ただでさえ、人気の無い朝方なのです。すれ違う人がそんな奇抜な恰好をしていて、しかも血にまみれているだなんて普通じゃありません。警察に通報するなり、声をかけるなりすると思います。なら、まだ彼女の認識加工は効いているということでしょうか。


 とはいえ、単純に関わりたくないから目を背けているということもあるかもしれません。私はこの現象について十分な理解をしているとは言えないのです。ならば、そんな不確かのものを頼るのは辞めましょう。ですから最低限、目立たない程度に身なりを整える必要がありますね。


 「そうだ! いいこと思いついちゃった!」


 彼と初めて会った公園を抜け、彼が私を助けてくれた一本道にたどり着きます。目的地は私の部屋,,,ではなく慶斗の部屋です。以前借りたまま返していなかった鍵を使って、簡単に入れました。


 中に慶斗はいないけれど、部屋には彼の匂いが僅かに残っています。ですが、この程度ではもう私は満足できません。すぐに彼の衣服の収納スペースに行こうとして、その途中で手を止めました。未だ、私の体は血と汗で汚れています。そんな状態でもし、彼の服を堪能したらきっと汚れてしまでしょう。それは駄目、もったいないです。


 「慶斗ぉ,,,私いい子だから、ちゃんと体洗ってくるね」


 バスルームに行って、体を洗います。途中、彼の下着らしきものが洗濯籠に入っていて、理性が蒸発しそうでしたが我慢しました。私は、我慢のできる子なのです。体を隅々まで洗って、彼の服や下着をこれまた彼の布団に持って行って、そこで堪能するのです。


 本物とは違う、彼の残り香。けど、それもまた私に新たな喜びを与えてくれるでしょう。彼の匂いを嗅ぎながら、彼のことを妄想するのです。背徳的で、残虐で、どこまでも甘い幸せな世界を。


 「くふっ,,,ふふっ,,,」


 思わず笑い声が漏れてしまいます。私は、彼に出会ってから様々なことが分かりました。自分が意外と欲深いってことや、誰かを愛することの幸せ、それをぶち壊す快感。その全てが愛しくてたまらないです。


 私が今使っているシャンプーも、彼が使っているもの。それだけで嬉しいです。


 私が今使っているリンスも、彼が使っているもの。それだけでにやけます。


 私が今使っているボディソープも、彼が使っているもの。それだけで体が火照ります。


 彼の使っているもので体を綺麗にして、彼の使っているタオルで体を拭いて。彼の服を着て、彼の布団に潜り込んで。そこで彼の下着で顔を覆って、彼の匂いと温もりに包まれます。ただ気持ちよくて、心地いです。


 「ふー---、はぁー---」


 目の前がパチパチ光って、頭がとろけていきます。彼への感情が増えて、彼への想いが溢れて、彼への愛情が決壊していきます。呼吸するたびに、匂いを取り込むたびに、どんどん膨れ上がっていきます。


 勢いあまって嗅いでた下着を口に含んでしまいました。それはただの布のはずなのに、舌先に触れると甘いような気がしました。まるで赤ん坊のように彼の下着を舐めまわして、吸い尽くします。美味しくて、甘くて、香ばしくて,,,その全部が私を喜ばせます。


 「好きだよ,,,大好き,,,全部食べちゃいたいくらいに好きだよぉ」


 妄想の中の慶斗は答えてくれても、現実にその返答が返ってくれることはありません。その事実が少しだけ、寂しいけれど,,,それも今日の夜までです。彼を殺して、殺されて、殺し合って、私という存在を慶斗に刻み込みます。


 次々と浮かぶ慶斗の妄想をおかずに、それから何時間も彼の匂いを堪能しました。ただ心地いいという感覚が残っているだけで、記憶がほとんどないのが残念です。たった少しの間楽しんでいただけなのに、もう彼の匂いが消えて無くなりました。涙が出るほど悲しいですが、断腸の思いで布団を抜けました。


 しかし、私が部屋を出たのはおやつの時間の頃で、布団から出て2時間後のことです。名残惜しくてつい、長居をしてしまいました。しっかりと鍵を閉めて、ポストに鍵を入れて返します。どういう結果になるにせよ、ここに戻ってくることはもう無いでしょう。最後に楽しめてよかったです。


 彼の隣の部屋、すなわち私の部屋に行って必要なものを用意します。お気に入りの服を着て、部屋中の刃物をバッグに詰め込んで外に出る。元々ここに愛着なんてありません、ここに住んだのも本当に僅かだったからです。


 新しい環境になれば、私もきっと変われると思っていました。けど、変わる必要なんて無かったんです。人を殺したくて仕方ないのも、どれほど人間に擬態しようと化物に変わりないのも、愛し愛されたかったのも、全部私だった。それを偽る必要なんて無い。こんな単純なことに気付くのに、15年もかかってしまいました。


 数日前の私では考えられないことです。絶望と孤独だけが友達だった私に、こんな愛おしい人ができるだなんて。今の幸せを思えば、これまでの辛さも無駄じゃなかったと信じられます。だから慶斗、お願いだから私の愛を受け止めて。


 私をもう、一人にしないで。あなたを誰かに盗られるなんて嫌。私以外を見るあなたなんて嫌。私を愛してくれないあなたなんて嫌。私を見てくれないあなたなんて嫌。私を,,,愛してくれないなんて嫌。


 いくつかの店舗を回って刃物を調達する間も、あなたのことだけを考え続けています。ようやく見つけた私の拠り所、絶対に誰にも渡しません。それが例え彼の妹であろうと変わりありません。


 でももし,,,彼が私だけのものになってくれるのなら、そんな未来があるのなら。彼がそれを望んでくれるのなら、どんなに良いのでしょう。


 ですが、彼は私ではなく慶花ちゃんを,,,自分の妹を選んだのです。薄々シスコンっぽいとは思っていましたが、あそこで私を選んでくれなかったのは本当にショックでした。彼はきっと、自分が苦しんでいるのを見て喜ぶような変態より、私を選んでくれると思っていたのですから。


 あの時点で、私と彼に話し合いの余地は無くなったのでしょう。お互いに傷つけ合い、命を削り、殺し合う。そんな方法でしか、私たちは分かり合えないのです。そんなところも私たちらしくて最高なのですが。


 バッグの中には、たくさんの包丁を入れています。これだけあれば、後先考えずに彼と愛し合えるでしょう。チャックが閉まるギリギリまで買い込んで、目的の場所に向かいます。もう、陽が落ちていました。


 以前は慶斗を助けるため、襲い掛かる化物を払いのけながら走った道を、わざとゆっくりと歩く。本当は、今すぐ走って行って彼と至福のひと時を味わいたい。


 しかし、私は我慢した後の快楽を知っていました。ただ自分のしたいことに流されるだけでは得られない、凝縮された幸せを覚えています。覚えたての単語を使いたい小学生のように、私はそれを実行していました。


 「壱,,,菜?」


 あぁ、やっぱり我慢して正解だったのです。欲望のままに駆けていれば、彼と出会うことは無かったでしょう。ゆっくりと後ろを振り向き、数時間ぶりに会話を交わします。


 「こんばんは、慶斗。来てくれて嬉しいよ」


 「もちろんだ。約束、したからな」


 妄想の産物ではない、本物の慶斗。ただ肩を並べて、歩幅を合わせて歩くだけで,,,ただそれだけで嬉しくて仕方ないです。これから殺し合いをするとは思えない雰囲気の中、私は沈黙を破りました。彼の表情が、おおよそ殺し合いをしに来た顔ではなかったからです。


 「怖く,,,ないの?」


 「どうして? 包丁を持って脅されているわけじゃないのに、怖くなんて無いよ」


 「包丁ならここに一杯入ってるよ?」


 「なら、僕も一緒だよ。おまけに日本刀まで持ってる。壱菜こそ、怖くないの?」


 「,,,え?」


 肩から下げたバックを叩いて、前と同じように会話をしていると慶斗を見ると、不思議な気分に陥ります。どうして彼は、自他ともに認める狂人を前にして普通でいられるのでしょう。あまつさえこちらの心配までしてくる始末です。


 「僕は、君を本気で殺しにいくよ?」


 「っ!」


 ゾクゾクとした。ごく当たり前のように私を殺すと言ってのける彼が、あまりにも綺麗で。その言葉に少しも躊躇いがないことが、震えるほど嬉しかったから。今の彼は、覚悟をしてきていました。私の愛に報いるため、答えを出すためにそうしてくれたのです。


 「良いよぉ,,,けどその前に、一つだけ聞かせて欲しいの」


 「いいよ。言ってごらん」


 「私と出会ったこと,,,私を助けたこと,,,私を裏切ったこと。後悔は、無いの?」


 私は、一上壱菜は彼と出会って救われた。あの日、命を救われました。あの日、孤独から救われました。なにより、化物の私を彼は認めてくれました。


 けれど、それは私だけの話。あの日、彼は死にかけました。あの日、彼は体を化物にされました。そうして、ついには傷心の彼に私は付け込みました。


 私と出会わなければ、痛い目にあうことも妹の正体を知ることも無かったでしょう。何も知らないまま、新しい生活を始めることができたはずです。この人の温もりを知ってしまった日から、ずっとそれが怖かったのです。もし、彼が私を恨んでいたらと,,,そう思うと恐怖で震えあがります。


 「後悔なんてないよ。もちろん、これが正解だなんて言わない。他にもっといい方法があったと思うこともある」


 「なら,,,」



 「だけどね、正解を選び続けるだけが正しいとは思わないんだ。誰かに嫉妬するのも、誰かに依存するのも、誰かに歪んだ愛をぶつけるのも、正しくないけど間違ってない。矛盾してるけど、僕はそう思うんだ」


 「正しくなかったら、それはいけないことでしょ? 世間一般からしたら、相手が好きだから殺すなんて間違ってるって言われるに決まってるよ」


 「そうだね。壱菜の好意の伝え方は歪で、残酷で、正しくない。でも僕は、それを受け止めてあげられる。壱菜のおかげだよ」


 当たり前のことのように、私を肯定する慶斗。あぁ、そうでした。彼は、一貫して私を否定することは無かったのです。ただ一度、巻き込まれた彼を突き飛ばして助けただけで、私を救ってくれたのです。勝手に血を飲ませた時だって、化物だと明かした時だって,,,彼は私を見てくれました。化物としての私ではなく、人間としての私をです。


 嬉しい反面、口から出る言葉は懐疑的でした。私は、彼の想いを確かめるために、否定の言葉を並べます。そうすることでしか、想いを推し量ることができないのです。


 「慶斗は,,,麻痺してるだけだよ。異常な事態が続いて、正常な判断ができてないんだ。そうじゃないと、そんなこと言えるはずがない」


 「確かに、ここ最近痛みをあまり感じなくなったけど、頭まで鈍くなった覚えはないよ。僕は、君のことが大好きだよ」


 今まで考えていた、打算的なことが全て吹っ飛んでいきました。全身の血液が沸騰したと錯覚するほどに、体が熱くなっていいきます。脳内は熱暴走を起こして、まともに働きません。そのせいで、我慢することができませんでした。隣り合った慶斗の襟元を掴んで、目線を私と同じ位置に下ろします。


 そうして、彼の口元に私はキスをしました。彼が意識を失っている間に、何度もした行為。初めてというわけでもないのに、心臓はバクバクと動いています。彼の眼を見ると、少し戸惑ったようにした後、そっと後ろに手を回してきました。


 その後、息が切れるまで口づけをし、私はそのまま彼の胸に飛び込みました。残り香じゃない本物の

慶斗の匂い、本物の慶斗の温もり、本物の心臓の鼓動。その全てが私を包みます。


 「慶花ちゃんを選んだのに,,,そんなこと言うんだ」


 「もちろん、慶花だって大好きだよ。どっちがとかじゃなくて、どっちも大切で大好きなんだ」


 「ふふっ,,,ほんとサイテー」


 「ぐふっ,,,改めて言葉にするとマジで最低だな僕。で、でも! そこに嘘は無いから!」


 五感全てで、彼を感じる。視界を彼で一杯にして、嗅覚を彼で充満させて、味覚を彼の体液を舐めて、触覚で彼を抱きしめて、聴覚を彼の言葉で埋める。天国が、そこにはありました。


 「ジョーダンだよ、早く行こっ?」


 「うぇ? ちょ、早いって!」


 彼の手を引いて、目的の場所へ向かう。そこは昨日の晩、慶花ちゃんと殺し合った場だ。街灯なんて一切ないけど、月明りのおかげでそれなりに明るいです。相思相愛だと分かった今、一刻も早く殺し合いたくてしょうがなかったのです。


 「あれ? 慶花ちゃんいないや。てっきり、ここに居るんだと思ってたんだけど」


 「慶花はここに居ない。遠くから見てるかもだけど、邪魔は一切しないって約束したから」


 「そっか,,,慶斗が私のこと大好きって言ったこと、慶花ちゃんに自慢したかったんだけどなぁ」


 「これは、僕たちの問題でしょ? 二人だけでやらなきゃ、意味がないよ」


 「私は別に、慶花と一緒でもよかったけどね」


 シスコンの彼女のことです。手出しをしないと言っても、本当に彼が殺されそうになった時、動けるよう近くにいるでしょう。ただ今は、彼と愛し合うことだけ考えていればいいのです。


 「じゃあ、始めよっか。僕たち化物同士の、殺し合い」


 「違うよ、愛し合いだよ。愛情の分だけ、相手を切り刻むんだから」


 「そっか。じゃ、愛し合いだ。僕が勝って壱菜より愛が深いってこと、思い知らせてあげるよ」


 「えへへ,,,嬉しいけど、そこは譲れないかな。私の方が愛してるよ」


 彼は手早くバックから様々なものを取り出して、最後に刀を抜き放ちました。私も同じように、バッグから包丁を何本か取り出して、臨戦態勢を作ります。


 会話自体は甘くてバカップルのようですが、状況はそんな生易しいものではありません。真剣に殺し合おうとしているのですから当然でしょう。頭がおかしいとか、気が狂っていると言われても反論できません。


 間違って間違って間違い続けたこの春休み。けれど、それは決して無駄なんかじゃありませんでした。だって、私は運命の人を見つけることができたのですから。殺人衝動を認めて、私の歪んだ愛を受け止めてくれ、私と一緒に狂ってくれる。そんな、最愛の人を。


 もう、言葉は必要ありませんでした。静かに構えを取って、同時に動き出す。私の中には、彼への愛情だけが席巻しています。彼も同じようになっていることでしょう。本当に、大好きです。


 不正解だらけの私の人生でしたが、これだけははっきりと言えます。愛情の伝え方がどれだけずれていようと、慶斗へのこの愛情だけは紛れもなく純粋で、間違ってなんかいません。私はようやく、本物を見つけることができたのです。

 

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