4月5日
「とにかく、問題は壱菜さんです。暴走状態と言って過言ではない壱菜さんが、次も引いてくれるとは思いません。今度こそ兄さんを確実に殺しに来ます」
朝方の街を、あてもなく歩く。少しづつ人が増えてきた駅前で、僕と慶花は歩きながら作戦会議をしていた。こうしてまた、慶花と話せることに喜びを覚えながらも、僕の心は穏やかではなかった。
「それより,,,さ。どうして人通りの多い駅前を通るの? 正直今の格好だと、ちょっと恥ずかしいんだけど,,,」
僕の今の格好は、袖部分が無いノースリーブになったシャツというだけでなく、さらに全身が血が汚れている。変質者を通り越して、もはや犯罪者のようだ。
「私だって同じようなものですし、ここを通らないとスーパー銭湯まで遠回りになります。それに、私たちは今、他の人達に視認できないようになっています。通報される心配も無いので、少しの間我慢してください」
「前言ってた認知の加工ってやつ? 慶花は相変わらず凄いなぁ」
ほぼ反射的に、慶花の頭を撫でていた。昔から、褒めるときにはこうして頭を撫でていたので、癖になっていた。こうすると、慶花が凄く喜ぶのでついやってしまう。
「そうです、私は凄いんです。もっともっと、嫉妬してくれていいんですよ?」
「その手にはもう乗らないからね」
「残念です。今の兄さんは虐め甲斐がないですねぇ,,,あ、なでなで止めないでよ」
「もう終わり、とりあえず体だけでも洗いに行くよ」
服もそうだが、血と汗で体が気持ち悪い。そのため、近くに24時間営業のスーパー銭湯に行くことになった。これからのことは、それから考えればいい。今は一秒でも早く、この不快感から解放されたいのだ。
「そういえば、僕の財布知らない? どこにもないんだよね」
「それなら私が持っています。お金については心配しないでください、しっかり兄さんの方から出しておくので」
「別に良いけど、財布は返してよね」
「ええ、いいです,,,」
財布を取り出して僕の方へ差し出す途中、何故かその手を止めて考え始めると、財布をまた懐に戻した。いや、返してよ。
「やっぱり、まだ私が預かっておきます。銭湯のお金以外は抜きませんので、ご安心ください」
「なんで急に気が変わったの,,,? 妹に財布の管理をされるほど、子供でもないんだけど」
「良いじゃないですか。ほら、早くお風呂入りましょ? もう見えてきました」
立派な外観をくぐり、ロビーに入る。早朝ということもあり、人は一人もいなかった。機械で受付を済ませ、男湯に行こうとすると後ろから手を引かれた。
「そっちはサウナがあるので、こっちにしましょう。ここなら多分、誰もいません」
「えっと,,,慶花さん?」
「なんですか?」
「どうして、一緒に入ろうとしているの?」
「いつ、あの殺人狂が来るか分かりません。風呂場は裸一貫ということもあって、危険な場所です。兄さんを守るために、これは必要な事なんですよ」
当たり前だと言わんばかりに、にっこりと笑う慶花。そもそも、場所を変えようとこっちも男湯だ。慶花は入ってはいけない。
「慶花はここに入っちゃだめだし、僕だってこの年で妹と一緒にお風呂に入るのは恥ずかしいって」
「大丈夫です。また認知を加工しますので、私が一緒に入っても不自然に思われません。監視カメラも同じくです。私の裸を見るのは兄さんだけですし、問題ないですよね?」
「いや、だから,,,」
「兄さん」
上目遣いで、こちらを見る慶花。あまりわがままを言わない慶花も、僕にお願いをすることが稀にある。そういう時に、彼女は確実にわがままを叶えるためどんな手も厭わないのだ。とはいえ、上目遣いでお願いするだけで僕がホイホイ了承するため、今のところ他の手を見たことはない。
何が言いたいかと言うと、こうやってお願いされると断ることが僕には出来ない。それが慶花も分かっているから、この手をここぞという時に使うのだ。
「分かった,,,でも、誰もいなかったらだよ?」
「はい、それでいいですよ」
更衣室に二人で入る。兄妹で風呂に入るなんて、いつぶりだろう。割と最近まで入っていたような気がするが、今更妹の裸くらいで興奮するほど変態じゃない。だから、平常心を保てばいいのだ。
「,,,あれ? 傷はどうしたの?」
目の端で、包帯を取る慶花の姿が見えた。アングル的に少し危ないが、それよりも傷だ。傷跡らしきものはあっても、完全に塞がっているように思える。普通の人間のはずの慶花が、どうしてそんなに早く傷を治せるのだろう。
「あぁ、見せかけだけは治したんです。人体の加工は難しいので、完全に治せないんですよ」
「じゃあ、まだ痛むの?」
「いえ、痛みはありません。ただ、血が少し足りないので、激しい運動は控えた方が良いかもです」
浴場に入る。慶花の見立て通り、そこに人は誰もいなかった。
「私のことは良いんですよ。それより、早く体洗いましょ?」
「うん、分かった。慶花が大丈夫って言うなら、それでいいよ」
今日ほど、シャワーの有難さを感じた日は無かったかもしれない。全身の不快感を洗い流しながら、僕たちは何も話さずにいた。しばらく、ただ水が跳ねる音だけが響く中、唐突に慶花は話し始めた。
「兄さん、本当に良いの?」
「うん? 何が?」
「あの時、壱菜さんと一緒に私を殺さなくて」
「良いに決まってるでしょ。絶対に、間違えじゃないって言える」
あのまま慶花を殺せば、僕は人として大切なものを失っていただろう。人殺しも、家族殺しも、なにより慶花と向き合わないどころか、それを最低な方法で終わらせようとするなんて許されない。だから、あれは間違ってない。
「私ね、兄さんに自慢の妹って言ってもらえるの、世界で一番うれしいことなの。けど、それは全部以前までの引継ぎがあるからで、私自身の力じゃない」
「慶花,,,」
「けど、だからってそれを使わないのは、今までの私を否定する行為。そこに嘘はつきたくないの」
シャワーを止めて湯船に行くと、慶花が後ろを付いてくる。湯船に入ると、僕の腕に思いっきり抱き着いてきた。お湯の中でも、慶花の体温が感じられる。不覚にも、少しドキリとしてしまった。
「兄さん、私はまだ諦めてないよ。もっともっと、兄さんが私だけを見てくれるように、私だけを愛してくれるように頑張るよ」
「そ、それは反応に困るというか,,,」
「今は、気にしなくていいよ。今の私じゃ、壱菜さんに勝てない。今日を乗り越えてくれないと、兄さんを手に入れるどころか,,,」
そこまで言いかけて、慶花は止まった。風呂に使っているというのに、少し震えている。今日を乗り越えられないということは、僕が死ぬということだ。慶花にとって、それは耐え難いことだろう。以前にも、死にそうになった時頭に浮かんだのは慶花だった。
自分が、どれほど慶花に倒錯していたのかよく分かる。疎ましかったはずなのに、死にそうになった時一番に浮かんでくるのがその人の顔なんて。僕は、慶花だけでなく自分にまで嘘をついていた。だからこそ、もう間違えたくない。
「大丈夫だよ、慶花」
「えっ! にい、さん」
隣にいる慶花を、全身で抱きしめる。そういえば、昔は頼まれずともよくしていたのに、年を重ねるごとに自分からすることは無くなっていた。当たり前と言えばそうかもしれないが、やはり行動するというのは大事だ。こんなにも簡単に、自分の気持ちを思い出すことができたのだから。
「僕は昔から慶花のことが大切で、大好きだよ。異性としてって言われたらちょっと違うかもだけど、その気持ちに偽りはない。たとえ前世があろうと、少し独占欲が強くても、僕は慶花を愛してる」
「ずるい,,,よ,,,そんなこと言われたら、もっともっと欲しくなっちゃう。兄さんは、それでもいいの? こんなめんどくさい妹が、今後一生付きまとっても」
「うん、いいよ。でもその代わり、壱菜を許してあげて。あの子だって、根は悪い子じゃないんだ。今は僕のせいでああなってしまったけど、本当は優しい子なんだ」
「それは,,,やだ。兄さんが他の人と喋ってるだけで嫉妬するのに、私以外の女と親しくするなんて許せない。兄さんを傷つけていいのも、壊していいのも私だけなの」
今は、それでもいい。慶花もまた、優しい子なのを僕は知っているから。どんな慶花の一面を見ようと、言われようと、僕は慶花を信じている。二人が分かり合える日がきっと来ると、そう願っている。
「じゃあ、許せなくてもいい。でも、殺し合うなんてもうやめてくれ。僕は、二人が大事なんだ」
「私が居るのに、どうして壱菜さんが必要なの?」
「あの子は独りだ。慶花が居たのに、同じだと思っていた僕とは違って正真正銘、独りぼっちなんだ。誰も、彼女の苦しみや悩みを分かち合えない」
人間でありながら、彼女は化物に近すぎる。人間社会において、それは排斥され取り除かれる運命だ。そのため、壱菜は決して自分の特異性をむやみに開示しない。けれども、殺人衝動によってしまい込むこともできない。どこまでも壱菜を追い込み続け、最後には爆発してしまう。それは、僕と慶花のことがトリガーだったとはいえ、きっとどこかで爆発していただろう。
いずれ爆発する運命にあったとはいえ、その導火線を着火したのは僕だ。ならば、僕が責任をとるほかない。死ぬつもりなんて毛頭ないけど、この命に代えてでも壱菜を止める。それが、僕が彼女にできる最大の恩返しだから。
「そっか,,,なら、春休みが終わるまでは、眼をつむっていてあげる。けど、兄さんが死んだ場合は別。絶対に壱菜さんを殺すし、その後に私も死ぬ。それでいいなら、我慢する」
「責任重大だな,,,」
何も言わずに、慶花と小指を絡め合う。僕と慶花が約束する時の決め事だ。もう何年もしていなかったのに、お互いすんなりとそれが出てきたことが、たまらなく嬉しい。
「ゆーびきりげんまん、うーそついたら来世もつーいていく。ゆーび切った」
「いや、怖いって! そんなんじゃなかったでしょ!」
満面の笑みを浮かべる慶花。何が怖いって、慶花なら本当にしそうだなって気がするからだ。前世を持つ慶花のその言葉は、冗談ではない重みがあった。
「私には、兄さんしか見えてないからね。何百年かかろうと、絶対に兄さんの魂を見つける。私の執念深さを舐めないで。それに、公認も貰ったしね」
「ストーカーとかは、流石に辞めてよ? 慶花本人のストーカーはもちろんだし、あの化物を使っても駄目だからね!」
「化物,,,? あぁ、擬きのこと?心配しなくても、もう残機が居ないから使えないよ。意外と、擬きは数が少ないんだから」
「うん? 少ないってどういうことだ?」
「そのままの意味だって。私の擬きたちは、たまたま街で見かけた一人を追っていったら、奴らの住処を見つけたんだよ。擬きは数人から数十人単位で、マンションから人口の少ない田舎まで住み着くからね。それで、兄さんの監視用のためにそこにいた擬き全部加工して、単純な命令をこなせるようにしたの」
「へぇ,,,じゃあ、あの不足不足言ってたのもそれ?」
「そうだね。何故かあいつだけ、私の加工を受けても元の人格を残してて知能があったんだよね。擬きは、コミュニケーションも真似事で基本的にテンプレートな受け答えしかできないから、あんな風になっちゃったけど」
なるほど、あれは集団で生活する化物なのか。というより、化物に種類なんてあったのか。僕にとっては、全て化物というくくりだったし、壱菜もそうだったから自然とそうなっていたけど,,,言われてみれば、全部同じものの訳ないか。
「,,,慶花。ああいうのって、他にもいるの?」
「いるとは思うけど,,,私もあんま見たことないよ? 擬きだって、前世で文献をたまたま見たことがあっただけで、現物を見たのは初めてだったし」
何か違和感がある,,,駄目だ、少しのぼせてきて頭がボーっとしてきた。何か、あと少しで思い出せるのに、出てこない。喉に小骨が刺さったような違和感を覚えながら、風呂を出る。いつの間にか、服が元通りになっていることに驚きつつも、僕はその違和感が何かずっと考えていた。
「もうっ! どうしたんですか、兄さん。折角、褒めてもらえるように服を加工して綺麗に仕上げたのに,,,」
違和感だけが、残り続ける。だが、これは無視していいものではない。少し考えを整理するために口に出してみよう。慶花なら、この違和感の正体を明かしてくれるかもしれない。
「,,,結局、外傷の無い死体の正体って何だったんだ?」
「はい? いえそれは、壱菜さんでしょう? 以前から、彼女は殺人衝動をうめ,,,て」
慶花も、そこまで言って考え始めた。思えば、僕はあの化物達について何も知らない。知っているのは、壱菜からの説明だけだ。壱菜は化物と人間を見極めることができて、現にこの市内で殺人事件があったという話は無い。あるのは、例の不審な死体だけだ。
「壱菜の口ぶりだと、殺人衝動が現れたのはつい最近の出来事じゃない。もっと昔から、化物を殺してたって感じだった」
「でしたら、少し変ですよね。外傷の無い死体が出たの今年中のことです。私はてっきり、壱菜さんが全ての元凶だと思っていたのですが,,,だったら、もっと前からそういう話が出るはずですよね」
「それに、僕は化物を同一の存在で見ていた。経験者の壱菜もそう言っていたから、疑うことなくそう信じていたけど、本当は違う」
「どういうことです?」
「僕が最初にあった化物は、スーツを着た化物だった。腹から変な槍見たいなのを取り出す、変な体液をまき散らす奴だったんだ」
その次に殺したのは、僕と壱菜を襲った西洋剣を持った不足男。あいつの最期は、灰になっていた。それは、お守りで刺したからそうなったのではない。あの時、あれに止めを差したのは壱菜の包丁だ。
「不足男が灰になったのは分かります。擬きはそうやって死ぬものですし、渡した西洋剣もあれの体と紐づけて、同じようになるようにしていました。ですが、兄さんの言う初めて会った化物については、正体がわかりません」
「そうなんだよ,,,で、壱菜が言うには、化物を殺したら稀に死体や生きた人が出てくるって言うんだ。けど、それならもっと前から事件になっていてもおかしくないんだよね」
「考え過ぎなのではないですか? 単純に、偶々ということもあります。偶然、その稀に出てくる死体が続いて事件になった,,,そういうことでは?」
とりあえず、化物に種類があることは分かった。僕が殺されかけたタイプに、集団生活をするタイプ。多分他にもいるだろう。そのことを、壱菜は多分知らない。全て、同じ化物として扱っている。そこから分かることは,,,
「あ,,,そうだ,,,」
「兄さん?」
「公園の日と僕が襲われた日、どっちも事件になってない」
「そうですね。それがどうかしたんですか?」
僕が壱菜と出会った時の下に横たわっていた人、僕は完全に死体だと思っていたが事件にはなっていない。壱菜を殺そうとしていたあれもそうだった。僕が殺した化物も、壱菜が殺した化物も、死体が残っていないのだ。
「ですが、少し弱くないですか? 偶然が重なったということの否定にはなりませんし」
「そこは、壱菜に確認をとればいい。僕の考えていることが正しければ、外傷の無い死体の犯人は壱菜じゃない」
「はぁ,,,結局、壱菜さんをどうにかしなければ、道は開けないということですね,,,」
段々と、ロビーに人が増えてきた。あまり長時間、ここで休憩するわけにはいかないだろう。引っかかっていた違和感も、すっきりとした。とりあえず、壱菜を止めなければいけない。
「さて、壱菜を止めるための準備をしようか。防刃ベストって、どこで買えるの?」
「いえ、それより先に寄りたい場所があります。ついてきて下さい」
「良いけど、どこに行くの?」
「少し、駅前のシャッター街に」
4月5日、午前9時頃。春休みは、もうすぐ終わろうとしていた。
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