4月4日②

 「行くよー! すぐに死んじゃ嫌だからね!」


 「あなたは今すぐ死になさい。その死体を兄さんに、早く見せてあげないといけませんから」


 慶花ちゃんの前に、邪魔な二体の肉塊が現れました。こんな偽物には興味がありません、今は慶花ちゃんをトマトみたいにぐちゃぐちゃにすることだけが私の楽しみなのです。何も手にしていない肉塊らは無策にも、私の腰めがけて突進してきました。


 「邪魔っ! 血も内臓も、悲鳴すら出せないあなたたちには興味ないの!」


 こいつらに包丁を使うのはもったいないです。人の肉体に刃を突き立てると、私が持っているような安物ではすぐにへばってしまいます。だから、できるだけこいつらには包丁は使いません。私は、最初に到着した肉塊の頭の部分を左手で持って、そのまま握りつぶしました。こいつらは、頭を潰すと動かなくなるので、こうするのが一番手っ取り早いのです。


 もう一人は、包丁を持った右手で鼻頭を思いっきり殴りました。ギャグマンガみたいにぶっ飛んでいく様子は、私をさらに楽しませます。この肉塊も、案外おもちゃとしてなら楽しめるかもしれません。


 「アハハ! 楽しい楽しい!」


 「そうですか。では死んでください」


 気が付くと、何故か視線が床に近づいています。どうやら、私が肉塊で遊んでいるうちに慶花ちゃんが私の両足を切断したようです。慶花ちゃんは、私たち化物の殺し方をわきまえています。動けないように、抵抗できないようにする、その対策は間違っていません。ですがそれは、私が以前までのどっちつかずの場合だけです。今の私は、9割方化物です。人を殺したことがないというだけで、この身は完全に獣なのです。


 「そんなんじゃ、私を無力化できないよ!」


 「,,,呆れますね。確かにあなたの足を両断したというのに、どうしてもうくっついているのですか?」


 切られたなら、一瞬で繋ぎなおせばいい。ただ、傷を治せば治すほど殺人衝動が大きくなる。今でもこんなに慶花ちゃんと慶斗を殺したいのに、これ以上この劣情に身を任せたら一体どうなってしまうのだろう。楽しみで仕方ない。


 「あぁ,,,渇いて仕方ないっよ! あなたたち兄妹の血が飲みたい! 肉を、内臓を、髪の一本まで取り込みたい! もう、我慢なんてできないよ!」


 「変態ですね,,,兄さんはともかく、私はあなたの血なんて一滴も口にしたくないですけどね。だというのに、私の兄さんをその汚らわしい血で穢して,,,思い出したらまたイラついてきました」


 「えへへ,,,慶斗に血を飲ませた時はね? 全然飲んでくれなかったから、何度も口移しで飲ませてあげたんだよ? あの時の慶斗、可愛かったなぁ,,,!」


 「っ! 兄さんにそんなことまで,,,やはりあなたは私が殺します。気の狂った変態に、これ以上兄さんを好き勝手にされるわけにはいきません、ので!」


 振り下ろされる刃を避けずに受け止めます。肩辺りで止まった刀は、私の再生に巻き込まれて固まってしまいましたが、そこは流石の慶花ちゃんです。すかさず、刀から手を離して黒い何かを取り出して私に向けました。軽い音が鳴ると、一瞬私の意識が飛んだようです。額から血が流れてきましたが、私は楽しくてそれどころではありません。


 「慶花ちゃんは色んなおもちゃを持ってるんだね! どんなものが出てくるのか、楽しみだよ!」


 「あなたのような非常識な人には、きっとぴったりです!」


 私はその時、どこかで感じたことのある嫌な気配を感じ取りました。殺人衝動で埋め尽くされた私には、もう恐怖など存在していないと思っていましたが、そうではなかったようです。辛うじてまだ冷静な私が、その恐怖を思い出そうとします。確か、慶斗が持っていたお守りとやらがこんな感じだったような,,,そこまで思い出して、私は慶花ちゃんの腕から何かが放たれているのをようやく視認しました。


 「っっううううあああ!!!!」


 顔に飛んできていたそれを右手で庇うと、信じられない痛みが走りました。焼けた鉄を押し付けられたように、私の手は蒸気を発していて、刺さっているというより溶かし続けられているようです。今もなお私の手を滅し続けるそれを抜いて、慶花ちゃんを睨め付けます。折角、いい気分だったのにこんなもののせいで台無しです。


 「あら,,,あなた、純正の化物じゃないんですね。兄さんに血を与えるくらいだから、人間の振りしたただの化物だと思っていたのに」


 私はそれに返答することすらできませんでした。あの不足男のように片手が無くなることは無くても、ただ痛みが続いて満足に力が入りません。そして、その隙を逃すような慶花ちゃんではありません。いつの間にか刀を手に持った彼女は、私の首元を跳ね飛ばさんと得物を引き抜きました。


 「投げ飛ばしたのは、間違えだったんじゃない!」


 「いえ。あなたにとっては効果があろうとも、私にとってはただのおもちゃです。どうぞ存分に振り回してください」


 咄嗟に左手に持ったお守りで、慶花ちゃんの一閃を防ぎます。甲高い音が響いて、私の体が吹き飛ばされました。すると、後ろで待ち構えていた擬きたちが私に詰め寄ってきました。ですが、こいつらに私を止める能力はありません。ただこのお守りの前に塵になるだけです。


 「そうですよね。普通は、化物がそれに触れるとそこから先が粉々に崩れるはずなんです。ですが、あなたはそうじゃない。そのくせ、再生能力はその低能を遥かに上回っていて、兄さんに血を分け与えてもなお、衰えるどころかそれ以上の出力を保っている,,,一体、どういうことなんでしょうか」


 「愛の力だよ,,,慶斗が私を求める限り、私は死なない。慶斗は、私のものなんだから,,,!」


 「兄さんは私のものです。少し兄さんと関わったからと言って、恋人のように振る舞わないでくれますか?」


 苛立った様子で、手に持ったおもちゃを乱射する慶花ちゃん。人を始末するのに十分な威力を持ったそれも、私の前では豆鉄砲に等しいのです。ですが、それは私も同じです。私の手持ちは、慶花ちゃんが投げつけたお守りと、持ってきた包丁と果物ナイフだけ。そのうち、お守りは殺傷能力を持たないので、実質二本しか武器は残っていない。しかも、右手は以前力が入りづらい状況です。


 私たちは泥沼に陥っていました。無尽蔵に近い武器を持つ慶花ちゃんは、私を殺しきるだけの火力を持ち合わせていないようです。また、私は私で慶花ちゃんを殺すだけの武器を所持しつつも、それは有限でかつ限定的です。慶花ちゃんはそんな隙を見せる子ではないでしょう。周りが一人の肉体から出たとは到底思えないほど、血で染まるくらいの長い時間。私たちは、いつまでも殺し合っていました。


 お互い、全身を真っ赤にしながらもその血は全て私のものです。運動神経には自信があったのですが、こうも通用しないと少しへこみます。けれど、慶花ちゃんもそこは人間です。長い時間無傷でいるというのは、相当に神経を使うことでしょう。明らかに太刀筋は鈍り、肩で息をし始めています。


 「いい加減っ! 死んでください!」


 「アハハ! もっとだよ慶花ちゃん! 沢山血が出るたびに、生を実感できるの! 痛いって思うたびに、生を渇望できるの! でも、まだまだ足りない!」


 慶花ちゃんの刀が私の体を切り裂きました。ですが血が吹き出るだけで、私の体はすぐに元通りになります。その反動で、殺人衝動は留まることを知らず私の脳内をそれだけで埋め尽くしていきます。痛いのも、苦しいのも、楽しいことすらも全てシェイクされて一つになっていって、何もかも壊してしまいたい。


 ,,,そうだ、壊してしまえばいいのです。私の憎い相手も、関係の無い人も、愛しい人すらも全部。この膨れ上がった殺人衝動は、人を一人や二人殺したくらいじゃ収まらない。けれど、慶花ちゃんや慶斗以上に私を満足させてくれる人はいません。


 私の気が収まるまで殺して、壊して、踏みにじって,,,最後に後悔する。抑えきれない殺人衝動を化物を殺すことで誤魔化していたときですら、私は後悔と自責の念で押しつぶされそうだったのです。愛しい人を殺して本当の化物になったなら、その先は無間地獄です。死ぬことも許されず、唯一の理解者を殺した私は、二度と誰からも許されない。


 それくらい、分かっています。いくら殺人衝動に身をゆだねようと、完全に酔っているわけではありません。いつものように、無表情で臆病で、感情の起伏が乏しい私がどこかに残ってます。これを手放した時が、私が化物になる時。要するに、人間を殺した時です。


 でも、この分では私が化物になるのはもっと早いかもしれません。お互いに決定打が欠けたまま、私の細かな傷だけが増えています。傷自体はすぐ癒えますが、私の精神は化物にどんどん落ちているのです。これでは、慶花ちゃんを殺す前に人間部分の私が死んでしまいます。


 「くふふっ,,,楽しい,,,」


 「あなたの血を被って喜ぶ趣味は持ち合わせていません。それより、なんだか口数が減ってきましたね? そろそろ、死ぬ準備はできましたか?」


 本日何度目かも分からない、慶花ちゃんの加工が行われました。血に濡れた刀は、何事もなかったかのようにその輝きを取り戻します。


 そんな刀とは違い、私の精神はもうそろそろ限界です。ですが、不思議と恐怖はありません。むしろ、昂りさえ感じています。この身全てが殺人衝動に落ちたら、ただ本能のままに活動するでしょう。それを体感できないのが、唯一残念なことです。


 だから、その前に一つ悪あがきをしましょう。慶花ちゃんを殺すのなら、意識を持ったまま殺したいのです。つまり、本能のまま蹂躙するのではなくしっかりと理性を保ちながら、自らの手で私という半端物を終わらせたい。自殺することのできない私にとって、それは夢のような行為でした。そのために、一つあることを試してみましょう。


 「そんなもの、とっくにできてるよ」


 「では、死んでください」


 淡々と、慶花ちゃんはそう言い放つと私の首めがけて刀を振るいました。私はゆっくりと、後ろ手に包丁をしまって、とっておいた果物ナイフを慶花ちゃんに見えないように取り出しました。


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 それまでの気味の悪い笑みを浮かべるの辞めて、急に大人しくなった彼女に対して刀を振るう。ちょうど加工したばかりなので、切れ味は文句なしだ。これなら、こいつの首を跳ねるのも容易だろう。


 私は、内心で勝利を確信した。たとえ死ななくとも、首を飛ばしてしまえば多少無力化できる。その間に、死ななくなるまで殺すなり、物理的に活動できなくなるまでしてしまえばいい。数時間に及ぶ命のやり取りで、私もかなり消耗している。そろそろお開きにしてしまおう。


 そういえば、こいつは包丁を持っていたはずだ。私がこいつに魔払いを投げつける前に持っていたものを、何故か今は持っていない。鈍った思考がだんだんと回り始める。だが、それに気づいたのは少し遅かったようだ。


 「なっ!」


 私が彼女に一歩踏み込んだ直後、奴から何かが私めがけて飛んできた。おそらく、隠し持っていただろう刃物の類。当たればこの状況は一気にひっくり返るだろう。この化物とは違い、私の体は繊細なのだ。


 途切れていた集中が舞い戻ってくる。一秒が何倍も遅く感じられ、自分の行動を俯瞰することができた。どう見ても完璧に不意を突かれた一撃、見事だ。私は、もう体制を崩してこれを防ぐしかない。私は近づいてくる凶刃を弾き飛ばした。


 この化物に持久戦をしたのが間違いだったか。いや、先ほどまでの彼女に理性を感じさせる行動は一切なかった。ただ自分の治癒力だけを頼りにした酷いもので、だからこそ私は安易に踏み込んで行ったのだ。


 そして私は、こいつには作戦を立てる知性も理性もないと決めつけた。その結果、数時間に及ぶ殺し合いによる疲弊をチャンスとして完全に利用されてしまった。普段の私ならあり得ない失敗だ。思っていたよりも私は冷静でない。


 頭めがけて飛んできた鈍い輝きを弾いた私は、刀を上空に晒し隙を生んでしまう。それをあの一上壱菜が、見逃すはずもなかった。姿勢を低くして私の腹を切り開かんと突進してきた。とはいえ、あいつが持つのは魔払いだけ、脅威でもない。懐に入られようが、魔払いさえ吹き飛ばしてしまえばそれで終わりだ。後はどうとでもなる。


 だが、そこまで考えてもまだ腑に落ちないところがあった。彼女は手に持ったものを体で隠し、見えないようにしている。そして、奴の眼には先ほどまでの狂人の眼はない。そこにあるのは、私がどんなに痛めつけても兄さんのことを諦めなかったあの時の眼だ。だからきっと、やつはまだ何かを隠し持っている。


 ,,,あぁそうか、そういうことか。寸前のところで、私は彼女の企みに気付いた。まず、前提として奴は私を殺しうるだけの武器を、おそらくもう一つ以上保持している。私に投げつけたのは、そのうちの一本だろう。ということは、まだ奴は私を殺す武器を持っている。


 わざわざ走りづらい体制で走ってまで、両の手を見せないでいるのだ。最初に持っていた包丁なりナイフなりを持っているとみて間違いないだろう、小賢しい奴だ。


 すると、今の状況はかなりまずい。化物らしい身体能力でもうあと三歩ほどで私に届いてしまう。今までは、距離を意識して絶対に近寄らせないようにしていたのだが、ここまで近づかれると多少切りつけたり刺突してもそのまま押し切ってくるはずだ。


 そうして、私が選んだ結論は、奴が持つ武器を封じてしまおうというものだった。これが正解なのかは分からない。ただ、このまま何もしなかったら負けるという気持ちがあり、それに従うことにした。


 私の見立てでは、彼女がもつ武器は両手の二本、そのうち一本は魔払いだ。周辺には私が弾いたもの以外、刃物らしきものは見当たらないこと。それと、二つあるのならわざわざこんなことをしなくていいということから、一本はブラフの偽物だ。私に何の効果もない。


 そして彼女は魔払いを左手で持っていた、それも長い間だ。彼女は右利きだ、以前の食事会で確認した。だというのに、突き刺さったそれを抜いて私の一撃を防御した時ならまだしも、長い間利き手とは逆で持っているのは不自然だ。


 だから、彼女は右手が使えない、または使いづらいということだ。ならば、本命は左手にあると見ていいだろう。奴はまた、一歩私の間合いを詰めてくる。


 彼女の手の動きをよく観察する。左手から放ってきた場合は、右手の攻撃を諦めて左手の対処に徹すればいい。右手の場合は十中八九攻撃の振りだ、初撃は見逃して本命の左を取りに行けばいい。さぁ、どっちだ?


 完全に奴の射程距離に入った。その瞬間、彼女の肩が動いた。その手は、右だ。右から先に手が私に向かってくる。けれども私は、それを無視して左手を動かせなくするように、上段から彼女の左肩めがけて刀を振り下ろした。


 これで、終わりだ。右手に持ったものは、私にとっておもちゃと変わらない。そんなものでいくら切られようと構わない。その間に左肩から首元まで一気に断ち切ってしまおう。


 「これで、私の勝ちです!」


 勝利宣言と共に、彼女の肩に届いた。それとほぼ同時に、放たれた右手も私の胸元に届いた。


 「,,,誰が、勝ちだって?」


 「な,,,んで」


 私に突き刺さったそれは、まごうことなき包丁だった。

 

 

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