3月31日②
「どうしよう,,,これ持ってると、なんかゾクッとするんだよね,,,」
僕は、先ほど占い師から受け取ったラッキーアイテムを見ていた。彼は偽物だと言って、確かにそれを実証して見せた。だが、僕にはどうしてもこれが偽物には見えないのだ。もちろん、財布に入っていたレシートなどで試してみても、切れることはなかった。そして、最後に彼と同じように手に当てようとした。
しかし、いざ手に押し当てようとすると、手が震えるのだ。まるで、本物の刃物を自分の体に向けているような感覚に襲われて、途中で止めてしまう。この恐怖は、手が切れるかもしれないという、刃物に対する一般的なものではない。もっと別の、これが当たったら死んでしまうと思うような、そういった恐怖だ。
自分でも、その感覚はおかしいと思う。凶器といっても、たかだかナイフ一本、しかも刃は偽物だ。これが頸動脈や心臓に刺すというのなら、怖がるのも無理はない。けれども、僕はこのまがい物の刃を向けるだけ、それだけで自分が死んでしまいそうな気がしてくるのだ。
「,,,大丈夫。今の僕なら、例え本物でもすぐ治る」
僕は、そんな化物的な思考で、刃を指に当てた。指に当てたのは、一瞬だった。恐怖からか、自分でも無意識に手加減をしていたようだ。結果的に、その選択は正解だった。刃を当てた場所が、焼かれているかのように爛れ始めたのだ。
「ッッアアア!!!!」
喉から、自分でも信じられないほど醜い声が漏れた。周りに人がいなくて本当に助かったと思う。だって、誰かが見ていたら今みたいに、痛みで地面を転げまわることが出来なかったかもしれない。必死で声を抑えて、指を抑えてうずくまるしかできない。
結局、動けるようになったのは十分ほど経ってからだった。指は刃を当てた部分だけ、火傷のようになってしまった。どうしてこうなるのかよく分からない。今の僕なら、この程度傷跡など残らないし、そもそもこの刃は偽物だ。さらに極めつけはこの火傷、こんなの普通じゃない。
「もしかして、化物相手に特化してるのか?」
分からない、だが可能性はそれしかないと思う。あの占い師と僕との違い、それはやはり人間か化物かの違いだろう。そうすれば、皮膚が焼け爛れた原因も納得がいく。
,,,しかし、それをどうやって確かめればいいのだろう。僕はこれ以上これを触りたくないし、壱菜で試すなどそれこそ論外だ。だからといって、他の化物を見つけて殺すというのも、少しリスクが高い。そもそも、僕は出来る限り、化物を殺したくはないのだ。
なら、これはもう打つ手がなくなった際の、最終手段として取っておくべきだろう。それならば、壱菜にも説明しなければならない。僕は、彼女に何と説明しようか悩みながら、帰路についた。その後ろに、こちらを見つめる誰かがいることを、僕は気づかなかった。
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一度自分の部屋に戻ろうと鍵を探すが、ポケットに入っていない。壱菜が僕の着替えを取ってきていたので、鍵を無くしたということはない、ならば壱菜の部屋に置いてきてしまったのだろう。僕は壱菜の部屋のインターホンを押した,,,反応が無い。どうやら、インターホン自体が壊れているようだ。
「おーい壱菜ー、ちょっと開けてくれー」
扉を軽く叩きつつ、扉の先にいるであろう壱菜に呼びかけたが、返事は一切なかった。出かけていた時間は一時間程度だったが、壱菜も何処かに行ってしまったのかもしれない。念のため施錠を確認すると、不用心にも鍵は開いていた。
「壱菜ー? ちょっと入るぞー」
いるかどうかは分からないが、一言断ってドアを開けた。ここで突然なのだが、僕と壱菜が住んでいる部屋の構造を説明しよう。4階建てのどこにでもあるマンションで、全部屋1kの内、壱菜の部屋は一階の一番奥の角部屋、その隣に僕の部屋という感じなのだが、問題はこの部屋の間取りが1kであるという点だ。
つまり、ドアを開けたらユニットバスと押し入れ以外は、仕切りが無ければ全て見えるのだ。つまり何が言いたいかというと、見てしまったのだ。結論から言うと、壱菜は部屋にいた。返事をしなかったのは、あるものに夢中になっていたからだった。
「スー,,,,,,ハァ,,,えへへ,,,」
彼女は、僕が脱いでいった衣服を嗅いでいた。自分でも何を言っているのかよく分からないが、とにかく、壱菜は僕がつい先ほどまで着ていたものを抱きしめながら、ぐりぐりと顔を押し当てている。大きく深呼吸すると、とても幸せそうな、恍惚とした声を漏らすのだった。
「,,,,,,,,,」
僕は、すっかり固まってしまった。だって考えてほしい、自分の衣服を呼び掛けにこたえられないほど堪能しているなど、誰が考えるというのだ。今も、ドアを開けて玄関に突っ立ているというのに、壱菜は変わらず、僕の服に顔をうずめたままである。しばらくどうしようか悩んでいると、僕の服から顔をあげた壱菜と、目が合った。
「,,,あ,,,お、お帰り」
「あ、うん,,,ただいま?」
数秒の硬直のあと、顔を赤らめながら普通に声をかけてきた。恥ずかしそうにしながらも、問題の衣服からは全く手を放さないのは何というか,,,とても可愛らしかった。いや、自分でもそうじゃないだろとは思う。けれどそれ以上に、今まであまり表情を変えなかった壱菜が、こうも顔を真っ赤にしている様子に、僕はドキドキしていた。だから、僕は自分の嗜虐心に従うことにした。
「ねぇ,,,僕の服で、何してたの?」
「あの,,,これは違くって,,,」
「何が違うの?」
「えっと,,,その,,,」
目をぐるぐる回しながら、必死に言い訳を考える壱菜は、とても可愛い。まさか僕が、女の子が赤面している様子を見て楽しむような、そんな気性があったとは驚きだ。考えてみれば、慶花も僕を困らせて、その反応を楽しむ素振りがあった。こんなところで兄妹の共通点を見つけるとは。
例えば、着替えを誤ってみてしまった時も「兄さんなら、見てもいいですよ」と微笑まれたくらいだ。いつも慶花は余裕で、僕が少し困らせてやろうとしても、常にその上をいかれて逆に僕が慌てる羽目になるのだ。だから僕は、この状況に浮かれ切って下種になっていた。
「ん? ちゃんと説明してくれないと、分からないなぁ」
「,,,,,,いじわる」
「言ってくれないなら聞くけど、僕の服をなんで嗅いでたの?」
「,,,慶斗が出ていった後、いけないと思ったけど、我慢できなくて,,,それで」
あぁ、本当にこの子は僕を楽しませてくれる。恥ずかしかったら言わなければいいのに、頑張って話そうとしてくれる姿に、またしてもゾクゾクしてしまった。
「それで?」
「うぅ,,,慶斗が帰ってくるまで、ずっと嗅いでた,,,すごく安心するから」
ここら辺で、壱菜が涙目になってきた。まずい、流石に調子に乗り過ぎた,,,彼女の反応を見るのに夢中になっていた僕の頭は、すっかりと不穏な言葉で埋め尽くされていった。
「いやいや! 全然怒ってないから! むしろ僕の服の一着や二着、貰ってもらっていいから!」
「えっ,,,!」
「そういえば、慶花も僕の古着欲しがってたし,,,そういうの流行ってるの?」
慶花も、僕の古着をよくパジャマ代わりに使っていて、それを咎めると、兄妹の服をリサイクルするのが最近のトレンドだと言っていた。その時は、いい加減なことを言って丸め込んでいるのだと思っていたが、本当なのかもしれない。
「ふーん,,,さっきも、そうだけど、随分と妹さんと、仲がいいんだね?」
「いや仲がいいっていうか、慶花がちょっと過保護なだけだよ。僕のことも兄っていうより、手のかかる弟みたいに思ってるんじゃないかな」
「普通、年頃の女の子が、そんな風にお兄さんのこと、心配したりしないと、思うの」
「それはそうかもね。昔は慶花も人見知りだったのか、よく二人で遊んだりしてたから、その名残が今でもあるのかも」
今でこそ慶花は誰とでも仲良くしているが、昔は学校があまり楽しくないと言っていた。僕と一緒にいる方が楽しいと言ってくれるのが、子供心に嬉しくてよく一緒に遊んであげたのを覚えている。小学生になると、両親が帰ってくるのが遅くなっていたので、寂しさも慶花にはあったのかもしれない。
「そうなんだ,,,ねぇ、ちょっと、こっちに来てくれない?」
「え,,,いや鍵を探しに来ただけだから、すぐに帰るよ?」
「鍵なら私が持ってる、ほら」
どこからか鍵を取り出して、こちらに見せつけてくる。僕は、壱菜に近づいて、鍵を受け取ろうと手を伸ばした。すると、壱菜は鍵を放して、僕の手首を掴んできた。
「朝からね、聞きたかったの。その妹さんのこと、慶斗はどう思っているのか」
「あの,,,さっきのことは謝るから」
「慶斗と話すと、すぐに慶花慶花って,,,妹さんのこと、ばっかり」
かなりの力で手首を握られている。痛みも感じるほどに、彼女が力を入れる理由が、僕には分からなかった。多分、何かに怒っているのだろうけど、どうしてそこで慶花の話が出てくるのか。困惑していると、手首を思いっきり引っ張られた。突然のことで踏ん張りが効かず、そのまま壱菜の方に倒れこんでしまった。
壱菜は、倒れてきた僕を抱きしめて、頭の後ろと背中に手を回し、そのまま動けないようにしてきた。目の前が真っ暗になって、ただ感じるのは壱菜の匂いと温もり、後は心臓の鼓動だけだった。
「私はね,,,妹さんに、ちょっと嫉妬してるんだ。だって、慶斗の頭の中、そんな風に埋め尽くしてて、凄く羨ましい」
抱きしめられながら、壱菜の声に耳を傾ける。確かに、僕の中で慶花はかなりの割合を占めている。それは、彼女と過ごした日々が長いことや、それによって増えていった僕の劣等感のせいだ。僕が慶花に感じるものは、親愛の類だけでなくもっと醜い、少なくとも妹に向けるべきではない感情が多い。
「だからね,,,今は妹さんのこと、忘れてほしい。私だけを見てほしい。慶斗が抱えているものを、私に向けてほしい。貴方が、私を認めてくれたみたいに、私も貴方を、認めたい」
そんなことが許されるのだろうか。僕の慶花に対する思い。それは綺麗なものじゃなくて、今まで慶花にすら打ち明けたことがない。きっと、これから先も打ち明けずにいるはずだったものだ。それを抱え続けることに耐えきれなくなったから、それをぶちまけることもせずに慶花から逃げた。
なのに今更、それを全て打ち明けるなんて、そんなこと許されない。こんな醜い気持ちを、誰かに見せるべきではないのだ。
「ごめん,,,それは出来ない」
「どうして?」
「僕は、この気持ちを一生、隠して生きるって決めたから」
「私だって、自分が化物だってこと、誰にも話す気は、なかったよ?」
「それは,,,そうかもだけど」
「大丈夫、だよ」
強く抱きしめらながら、頭を撫でられた。耳元で、大丈夫だと囁く声に、溺れてしまいそうになる。壱菜の秘密を知ってしまったことが、僕にとって免罪符のようになっていた。彼女から感じるもの全てが、僕を肯定してくれているように思える。
そして僕は、全てさらけ出した。恥も外聞も捨てて、慶花に対する思いを吐露した。それを、壱菜は黙って聞いていてくれた。抱きしめられていたおかげで、顔をあげずに済んだのは、まだよかったと思う。
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「慶花は凄くて、とても僕には追い付けない存在で、そんな慶花が羨ましかったんだ」
慶斗の言葉に耳を傾ける。彼の言葉には、何年も積み重ねられた重みがありました。最初こそ、妹さんが如何に凄いのかということばかりで、少し嫉妬が強くなってしまいました。今は、彼女に対する暗い思いが溢れて、彼の私にしがみつく力が強くなるほどに、とても嬉しくなってしまいます。
彼が、私だけを見ている。彼が、私に抱き着いて甘えている。たったこれだけのことで、私は多幸感に包まれていました。いつも妹に占領されていた彼の脳内に、私と言う存在が刷り込まれるほどに、彼を抱きしめる力が強くなってしまいました。
きっと、妹さんも慶斗に対して、私と同じような感情を抱いていたのでしょう。彼を誰にも渡したくない、自分だけで独占してしまいたい。それで彼を傷つけてしまっては、本末転倒というものでしょうに。
だから、慶斗は逃げてしまった。妹さんが何を考えていたのかは分かりません、自分の優秀さを彼に褒めてもらうことに、優越感でも感じていたのでしょうか。とはいえ、私も彼女を馬鹿にすることは出来ません。だって、彼に自分の存在を褒められたら、私はきっとなんでもしてしまうことでしょう。
それくらいに、彼の存在が私の中で大きくなってしまいました。これが、私が化物たる所以でしょう。化物の自分を見ても、変わらず接してくれるというだけ。私にとってはだけではないのですが、ともかくそれだけで、彼の全てが欲しくなってしまいました。
まだ出会ってから数日、あの現場を見られて、私を助けるために命を張ってくれて、化物であるということを認めてくれて。日数なんて関係ないのです。だって現に、彼はその心中を私にこぼしてくれています。
そうするようにそそのかしたのは私ですが、この様子では彼も救いを求めていたのでしょう。妹ありきの自分ではなく、ただ自分だけを見てくれる存在を。皮肉なことに、彼だけを見てくれたのは妹さんだけだったみたいです。
でも、今は違います。私が、彼の存在を認め続けます。上沢慶斗は、妹などいなくても誰かに必要とされる人物であると、彼が私を認めてくれたように、そうします。だから、貴方も私を認め続けてください。
慶斗の懺悔は続きます。先ほどから、私と妹さんに謝ってばかりで、話す言葉もとりとめがありません。彼の震える声から察するに、感情が溢れすぎて涙がこぼれてしまっているのでしょう。そんな彼の頭を撫でながら、残った方の手でぎゅっと抱きしめてあげると、彼も私に抱き着いてきました。
私は、人生で一番今が幸せといっても過言ではないのでしょう。私たちは秘密の共有をして、お互いに依存しあっている。もしかしたら、傍から見たら気持ち悪いと言われるかもしれません。ですが、これが私の愛の形なのです。
そんな私を受け入れてくれた彼も、私と似た愛を持ってくれているのでしょう。たとえそうでなくとも、こうして私を信じてくれたというだけで、もう十分なのです。今なら、妹さんの気持ちが分かる気がします。
私と妹さんが同族だなんて思いませんけど、恐らく彼女も自分を理解してくれる存在に依存していたのでしょう。私も、彼に依存しきってしまいたいです。ですが、私まで彼女と同じ轍を踏むわけにはいきません。
慶斗が、完璧に私に依存してくれるその時まで、私は彼に甘えっきりにはなりません。なりませんが今だけは、彼の温もりに思いっきり堪能しても、良いですよね?
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「,,,声は聞こえませんか、まぁいいです」
彼ら二人が、秘密の共有を行っている最中、それを覗き見る誰かがいた。それは、中肉中背の普通の男性だが、彼の目に生気は無く、うつろだった。手にはスマホを持ち、誰かからの指示を受けながら、二人の様子をスマホ越しの誰かに伝えていた。
「,,,は? 今なんて言いましたか?」
電話越しに、冷たい声が伝わった。男は言われた通りに、見えた光景を伝えた。監視対象と見知らぬ女が、長時間抱き合っている、と。
「,,,,,,監視は中止です、今からそこに向かって、その女を始末しなさい」
男は指示を受けると、了解とだけ言ってそのまま電話を切った。その報告を受けた少女は、足早に帰宅を急いでいた。家に着くと、誰もいない部屋の中で、衣服を抱きしめた。それは、最近までこの部屋にいた人物のもので、近頃はずっとこうしていたせいか、匂いが薄くなってしまっている。
「やっぱり、一人暮らしなんてさせるべきじゃなかった,,,」
もう、何日も彼に会っていない少女は、気が狂ってしまいそうだった。生まれてからずっと、傍にいた存在がいないというのは、何日も耐えられたものではなかった。しかし、それ以上に打算ありきで彼の出発を認めたのだ、これも彼を存分に独り占めするための試練だと、我慢していた。
けれど、彼の近くに自分以外の女がいるだなんて、許せるものではなかった。
「ふふっ、どうやら隣人のようですし、これを理由に家に帰ってきてもらいましょうか,,,」
少女は、誰もいない家の一室で、静かに兄への思いを募らせた。
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