3月31日

僕は、一番忘れてはならないことを今の今まで放置していた。急に体が動かなくなるとか、壱菜の秘密だとか、色々なことが起こり過ぎたせいで、僕は一番すべきことを忘れていたのだ。


 それは、今朝になって体がきちんと動くようになった際に、一度自室に戻ろうとした時だった。何故か電源が切れていたスマホを開くと、画面には大量の慶花からのメッセージと不在着信を知らせる通知が目に飛び込んできた。


 手にしたスマホを見る。その通知の数を見て、思わず冷や汗が出た。僕はあの日、慶花との通話を後でかけなおすと言って切った、しかし現実はどうだろう。僕はかけなおすどころか、メッセージのひとつも寄こしていない。


 言い訳はたくさんある。しかし、それの正当性を示すためには、壱菜の秘密や、化物のことを話さなかればいけない。化物に襲われて死にかけて、治療? の副作用で僕も化物に近くなってしまったことを説明する,,,それは絶対に出来ない、出来るわけがない。


 ,,,また通知が来た。メッセージアプリの件数が、優に数百件超えても、毎日届いている。電話を切った後は『どうしたんですか?』とか『後でいいので、連絡ください』など、普通だったのだが、今は『既読だけでもつけて』や『無視しないで』などになっている。


 一見、普通に見えるかもしれないが、慶花は普段から誰に対しても丁寧な言葉遣いを心がけていて、それは何てことない連絡であろうと、変わりはない。それはつまり、それほど焦っているか、怒っているかのどちらかということだ。いずれにせよ、何があったのか質問攻めにされるのは明白だった。


 「慶斗、起きてたんだ、おはよう」


 「お帰り,,,って、なんでそんなぴっちりくっつくの,,,」


 壱菜が帰ってきた。手には包帯や軟膏、各種サプリメントなどが入った袋を持っていて、これは僕の傷の手当用だ。まだ僕の傷は完治しておらず、激しく動くと傷が開く恐れかもしれない。そのため、一応包帯を巻いていて、壱菜にはその予備を24時間営業のドラッグストアで買ってきてもらったのだ。それより、昨日から壱菜の距離感が近すぎる気がする。


 「,,,駄目なの?」


 「いや、隣に座るのが駄目とは言ってないよ? ただ、もうちょっと適切な距離感を保ってほしくてですね」


 「ふふっ、耳まっか。昨日はあんなに、甘えてきてくれた。だから、もっと甘えて、良いんだよ?」


 「辞めて,,,あれは体が動かなかったから仕方なくして貰っただけで、ああいったことが好きな訳じゃないんだ」


 ああ、折角思い出さないようにしていたのに、今ので記憶がよみがえってしまった。食べ物を、餌付けされるみたいに食べたのはまだいい。問題は、僕が一切動けないが、体の機能はしっかりと働いていたことだ。要するに,,,そういうことだ、本当に恥ずかしい。


 「あ,,,また通知きた。既読つけた瞬間、絶対鬼電してくるよなぁ,,,」


 これは経験則だ。以前、修学旅行に行った時、慶花と三日間ほど離れた時期があった。慶花は、心配だから連絡手段は持っておいて下さいと、持ち込み禁止のスマホを無理やりバッグに入れてきた。流石に僕も、これは慶花が寂しくなった時に、いつでも連絡できるようにしたいのだろうと分かった。


 それで、僕はスマホを修学旅行に持って行ったのだが、普通に出発前の荷物検査でばれて没収された。その後、修学旅行から帰ってきて、スマホを返してもらうと、ロック画面には今のように、大量の通知が届いていたのだ。


 その時は、状況が状況だったので、帰ってきた日から慶花の機嫌が死ぬほど悪かっただけで済んだ。済んだと言っても、朝から晩まで、起床から就寝まで本当にずっとくっついてきたので、かなり面倒だった。そういった過去の事例を見ても、今回はどうなるか分からない。それが、僕が返信を躊躇している原因だった。


 いや、分かっているのだ。これ以上返信が遅れるようなことがあれば、その方が面倒なことになるというのは。ただ、慶花は暴走すると、時々普段は考えられない行動をすることがある。一日中ついて回ったり、突然ハグを所望されたり、理性が外れた慶花は何をするか分からないのだ。


 それがきっかけで一人暮らしを辞めさせられるかもしれない。父さんと母さんは、基本的に慶花のイエスマンだ。本格的に慶花が反対の姿勢を貫いたら、今すぐとはならずとも、何かのきっかけで二人が慶花側に傾いたら、それこそ元も子もない。


 「あの,,,慶斗、その何件も来ている、メッセージって、誰なの?」


 「妹だよ。まだまだ甘えたい盛りのは分かるけど、ちょっと返信しないだけでこれだよ」


 「ふーん,,,えいっ」


 「,,,,,,え?」


 壱菜は、一瞬不機嫌な顔をしたかと思うと、妙案を思いついたといった面持ちで、僕のスマホを山折りにへし曲げた。慌てて壱菜からスマホを取り上げたが、折り紙のように綺麗な三角形になったそれは、既に電源がつかなくなってしまった、マジでなにしてんねん。


 「あの,,,壱菜さん? どうしてこんなことを,,,」


 「だって,,,その妹さんについて、話してる貴方を見たら、とっても腹が立ったから」


 あまり変わらない表情でも、壱菜が不機嫌だということが分かる。いつも無表情に見える壱菜だが、意外とその一顰一笑に気を付けていれば表情は豊かだと思う。とはいっても、どうして不機嫌なのかはよく分からない。


 「なんで腹が立つの,,,このスマホ、まだ買ってから一年も経ってないのに」


 「それは、ごめんなさい。ちゃんと弁償、するね」


 謝りつつも、少し笑っていて悪いとは思っていなそうだ。だが、慶花への言い訳にはちょうどいいかもしれない。壊れてしまったものは仕方ないし、壱菜も弁償する気はあるみたいだ。なら、返信しなかった言い訳として使ってしまえばいい。壊れてしまったなら、流石に慶花も納得するだろう。

 

 「今度から突発的にこういうことしないでね。僕は心が広いからいいけど、人によってはほぼ体の一部になってる人もいるから、本当に気を付けてよ」


 「手から携帯が生えてるの?」


 「いや、そういう意味じゃなくて,,,いや、いいや。それより、電話貸してもらえる?」


 方針が決まったのなら、すぐに行動すべきだ。幸いにも、まだ僕がスマホを持っていなかったときに渡された、家電の電話番号のメモが財布に入っている。今の時刻は午前6時だが、慶花は早起きなので、春休み中だろうともう起きているだろう。


 「,,,えっと、私、携帯持ってない」


 「噓でしょ,,,この現代社会で、一人暮らししてるのに携帯持ってないなんて、ありえない,,,」


 よく考えてみると、壱菜の部屋は本当に何もない。それは、現代を生きる上で必須と言ってもいいネット環境や、テレビやパソコンの類なども例外ではない。最低限、冷蔵庫と洗濯機があるだけだ。それに加えて、携帯も持っていないなんて、今までどうやって暮らしてきたのだろう。


 「だって,,,必要ない。近くのファミレスで、新聞がタダで読める、それで十分」


 「いや,,,そういう問題じゃなくない?」


 「そう,,,なら、今度一緒に、買いに行こ?」


 「すぐ行こう。今の時代、スマホ無しじゃほんとに不便極まりない。あ、書類とかちゃんと用意しておいてね」


 僕の両親はどちらも仕事人間で、基本的に家でも仕事ばかりしている。だから、親同伴でないといけないこと以外は極力一人でやらされた。スマホの購入と契約も、同意書とお金だけ渡されて、慶花と二人で買いにいった。こういう所が、未だに慶花が僕に依存気味な原因になっていると思う。しかし、あの二人にとって慶花は完璧超人で、まだ中学生だということは念頭にないのだろう。


 「じゃあ僕はちょっと、公衆電話探してくるよ」


 「うん、いってらっしゃい」


 最近は電話ボックスをほとんど見かけなくなったが、それでも確かに存在はしている。僕は慶花への言い訳を考えつつ、設置したあったと思う駅前に向かった。


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 「兄さん? エイプリルフールは今日じゃありませんよ?」


 「いやいや、嘘じゃないから。ほんとに壊れちゃったの」


 駅前に着くと、意外とすぐに電話ボックスが見つかった。自宅に電話をかけると、心なしか元気のない慶花が電話を取ったので、ここに来る途中に考えた言い訳を説明した。だが、彼女を納得させることは出来なかったようだ。


 「だっておかしいじゃないですか。兄さん、壊れたのは一昨日って言いましたよね? なら、どうして昨日連絡しなかったんですか?」


 「あの,,,慶花さん?」


 「少し兄さんは黙っていて下さい。それに、電話を急いで切った理由を言ってないです。後、スマホはそんな簡単に壊れる代物じゃありません」


 「はい,,,」


 「はいじゃないです。私があの後、どれだけ心配したと思ってるんですか? 兄さんが何か事件や事故に巻き込まれたんじゃないかって。昨日はずっと兄さんが気がかりで、勉強も手につきませんでした」


 「はい,,,心配かけてごめんなさい」


 僕が考えた言い訳は、電話を切った後、コンクリートにスマホを落として、壊してしまったので連絡が出来なかったというものだった。我ながら穴だらけの言い訳だが、さっきまでは完璧だと何故か思っていたのだ。


 「もういいです。無事が分かっただけでも良しとします。ですが、私はまだ納得していません。兄さんは、まだ私に何か隠してます」


 「そんな。僕が慶花に隠し事なんてするわけないじゃないか」


 「一人暮らしのこと、願書出すまで私に隠してましたよね?」


 「,,,そうだったね」


 だが、どう説明すればいいのだろうか。すぐに連絡が出来なかったのは、スマホが壊れからで説明できても、昨日連絡できなかったことは説明できない。かといって、壊れたのが昨日ということにしたら、それはそれでどうしてすぐに返信しなかったのかと言われる,,,詰みだろ、これ。


 「と、とにかく! 僕は大丈夫だから! 近いうちにスマホも修理なり買いなおすなりするから、また今度連絡するね!」


 「ちょ、ちょっと兄さん? まだ話は終わって,,,」


 そのまま電話を切った。後が怖そうだが、今何を言っても信じてもらえなそうだし、お金ももったいない。一応、何かあった時のためのお金があるので、スマホ代はそれで賄えるが、節約できるところはしておかないといけない。それでも、後で慶花には謝っておこう,,,


 電話ボックスを出ると、駅前の時計台が午前7時半ごろになっていた。特に用事もないので、家に帰ろうと踵を返した時だった。先ほどまで何もなかった場所に、やたら背が高いサングラスをかけた男が、パイプ椅子に座って煙草を吸っていた。


 道路を挟んだ向こう側に喫煙スペースがあるというのに、何故ここで煙を吐いているのかよく分からないが、こういう人には関わらないのが一番だ。そう思って横を通り過ぎようとした時だった。


 「どうしたの? 何か俺に用でも?」


 急に立ち上がって、こちらを見下ろしてきた。まるでバレー選手のようなでかさに目が行ってしまったが、筋肉もバキバキで、普通に怖い。だが、この前の化物に比べたら、話ができるだけまだましに思える。


 「いえ,,,僕は気にしませんけど、ここで煙草吸うの、やめた方がいいですよ」


 「うー-ん? 気にしないなら、なーんでこっち見てたのぉ?」


 「はぁ,,,デカかったので」


 つい、脊髄反射で本音を言ってしまった。たとえ、この男性に襲われたとしても今の僕なら大丈夫だとは思うが、これ以上面倒ごとを増やすのは良くない。とりあえず、謝って逃げようとすると、男は大笑いし始めた。


 「いやー-、そんなはっきり言う子、最近じゃ珍しくてね,,,ごめんごめん」


 そう言って煙草を手のひらで潰して、ポケットに突っ込んだ。明らかに、ヤが付きそうな風貌の持ち主だが、意外と気さくだ。でも普通に痛いから、肩をバシバシ叩くのはやめてほしい。


 「痛いですって,,,じゃ、僕はこれで」


 「あ、ちょっと待ってよ。お詫びといっちゃなんだけど、占いでもどうよ? これでも俺、占い師なんだよね」


 ケラケラ笑いながら、傍に置いてあったカバンから、それっぽい道具を出し始める男。正直、占い師には見えないが、道具が使い込まれているのと、その準備の手際のよさから、普段から占い業を本当にしているようだ。本当は断りたかったのだが、死ぬほどしつこかったので、十分で終わらせるという条件で、席に座った。


 「俺さー、まだまだ新人なのよ。占いって書いてても、お客さんあんま来なくて、全然新規の人が増えないの。だから、こうして適当に人ひっかけて、無料で占ってあげればさ、客が増えるんじゃねぇーかって思ってよ。無料だって言ってるのに、何故か警察呼ぼうとするやつもいてさ、なんでだろうなぁ」


 首を傾げながら、どこからか持ってきた机で、タロットカードをかき混ぜる男を見て、そりゃそうだと思った。だって、完全に反社系の人っぽいもん。そんな人に無料で占ってあげるなんて言われたら、なんだか壺を買わされそうだと思うだろう。


 「はは,,,そうなんですね,,,不思議だなー」


 「そうだよなぁ,,,昨日のお姉さんも、声かけただけなのに催涙スプレーかけてきてさ。一体何がいけないのか,,,」


 ,,,本気で言ってるのか? 自分の容姿が怖いというのを理解していないのに、どうしてそういう怪しげな方法を取るのか、僕は全く理解できない。というか、なんで占い師なんだ。そもそも胡散臭い職業なのに、この男だと怪しいを通り越して危なく見えてしまう。


 「よし! 準備完了! じゃ、ここから一枚引いてみて」


 「うっす,,,」


 カードを時計回りにかき回したあと、一つにまとめたそれをシャッフルしたり、いくつかに分けてまた一つにしたものを置いた。その一番上を引くように言われ、言われるがままめくった。めくれたカード、白い馬に乗った骸骨の騎士が、旗を持っているものだ。


 「うっっわ。一枚引きでデス引くなんて、まじうける」


 「いや,,,全然うけないっす」


 またしても、大笑いをする男。僕は占いを全く知らないが、あの反応とこのカードの絵柄を見れば、良くない結果であるのは明らかだった。デスってなんだ、直球過ぎるだろ。


 「まぁさ、占いっていっても、当たりはずれはあるもんだしさ、そんな気を落とさないでよ。多分、近いうちに何か大変なことがあるだろうけど、それを乗り越えたらきっと、いいことあるからさ」


 「えぇ,,,この前も大変なことあったのに、まだ続くの,,,」


 「いやいや、頭の隅に入れとくぐらいで良いんだって。なんていうか、少年は苦労しそうだけど、その分いいこともあると思うからさ,,,あっ、そうだ! ラッキーアイテムあげるよ! これで悪い気も吹き飛ぶぜ、きっと」


 男は、勝手に盛り上がって、バックから何かを取り出した。高そうな桐箱に入ったそれは、折り畳み式のナイフのようだが、明らかにやばい、なんで柄の部分にお札が巻かれてんだよ。


 「いやいや、これやばそうに見えるでしょ? ナイフっぽいけど、刃も偽物だから、安心安全だよ」


 そういって、刃の部分を取り出す。遠目からみると本物に見えるそれは、確かに刃が潰されていて、何かを切ることは出来なさそうだ。実際、男もがっつり刃をなぞって見せたが、本当に偽物のようだ。


 「昔っからさ、刃物は魔除けとか、そういうのに使われることが多くてね。これも、ナイフの形はとってるけど、まぁお守りさ。お代は要らないから、持っときな」


 「,,,ありがとうございます」


 僕は、少し緊張していた。何故か、この切れないナイフを僕は反射的に恐れた。それは、ナイフを本物だと思ったからではない、もっと本能的な何かで、僕はこのナイフを警戒した。どうしてこの偽物が怖いのか分からない。これが例え本物だとしても、これで何回刺されようとも、僕は死なないのだ、恐怖する理由がない。


 「うんうん、素直なのはいいことだ。みんな、僕のプレゼントを何故か受け取らないからねぇ,,,これでも結構、本気で心配だから渡してるんだけどなぁ,,,」


 「そうですね,,,まずはそのサングラスを外してみたら、まだマシに見えるかもです」


 「ええー、ダメダメ! これは僕のアイデンティティなんだよ! これが無い僕は、東京タワーの無い首都と同じだよ!」


 3月31日午前7時42分。微妙に分かりづらい例えをする、サングラスをかけたこの男との出会いは、僕にとって吉だったのか、それとも凶だったのか、それが分かるのは、まだ先のことだった。

 

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