第2話 推しアイドル襲来
side 芹澤侑梨
「フンフフン♪ フン♪ フーン♪」
ある日の早朝。
黒髪の女の子が学生服を着て、鼻歌を歌いながら歩いていた。
彼女の名前は芹澤侑梨。
元アイドルグループ《レグルス》のセンターだった芹澤侑梨だ。
「おぉ!直矢くんはとってもいい所に住んでいるね〜」
侑梨はマンションの前に着くと、手で日差しを隠しながら上を見上げて呟いた。
エントランスに入ると持っていた鞄から
そのままエレベーターの方まで行き、5階に上がると、508号室の前で足を止めた。
「いよいよ直矢くんに会える…!アイドルの時は数秒しか話せなかったから、ゆっくり話せるの楽しみだな。それに寝ていたら———うふふ… 」
侑梨は微笑しながら、持っていた鍵でドアを開けて中に入った。
「直矢くんの両親から聞いていた通り、そこそこ広いわね。———この部屋がこれから私の部屋になる所かな?」
玄関からすぐの所に二つの部屋があった。
片方の扉はきっちり閉まっていたのに対し、反対のドアは開いており、すぐに中を見ることができた。
電気をつけて中を見ると、少し埃ぽさがあるものの荷物がほぼない綺麗な状態だった。
が、侑梨は見つけてしまった。
「部屋の片隅に置いてあるこの段ボールの箱はなんだろう?」
それは直矢が数日前に、グッズ封印を行った段ボール。すなわち、レグルス(侑梨)のグッズだ。
そんなことを知らない侑梨はしゃがんで、器用にガムテープを取っていく。
貼り付けられていたガムテープを取り終えると、侑梨は箱の蓋を開けた。
「おぉ!これはレグルスのグッズじゃん!!しかも、私のグッズが多い。直矢くんはほんと私のことが好きなんだな〜」
ニヤニヤしながら呟く。
そして一つの疑問が侑梨の頭の中に浮かぶ。
「なんでグッズを段ボールなんかに詰めてこんな所に置いているんだろう?まるで、噂のグッズ封印をしているような… 」
アイドル業界でとある噂があった。
それは推しが熱愛報道・結婚などのショックなことが起きたら、オタクたちは今まで買ったグッズを封印する儀式があると。
その噂はレグルスにも届いており、まさに侑梨は噂を目の前で体験しているのだ。
「これは直也くんを問い詰めないとですね!」
侑梨は段ボールをそのままにして立ち上がり、今度はリビングへと向かった。
「あの部屋は埃ぽかったけど、流石に生活するリビングは綺麗にしているね。———さてと、男の子の一人暮らしの冷蔵庫はどうでしょうか?」
侑梨はリビングにあったソファーに鞄を置くと、キッチンへ行き冷蔵庫を開ける。
中には水、お茶、紅茶とレパートリーが多いペットボトルと3日分の食事らしき食材が入っていた。
野菜室にもそこそこ入っていたので、直矢はちゃんと料理をしていることが分かる。
「なるほど… 直矢くんは料理が得意なのか。これは負けてられないな」
侑梨はガッツポーズをしながら、直矢の胃袋を掴む決意をした。
「さてさて、最後はお楽しみの直矢くんの部屋に参りましょう」
玄関まで戻った侑梨は、先程とは反対の扉の方を向き音を立てないようにゆっくりと開いた。
ドアが開き目の前に広がったのは、学習机に本棚、クローゼット、そしてベッドで寝ている直矢。
侑梨は微笑しながら忍び足で中に入り、そっとドアを閉める。
「直矢くんの部屋を漁りたい気持ちはあるのですが、直矢くんを起こすのが
侑梨が顎に手を当てながら思案すると、何かを思い付いたのか悪戯顔をしながら直矢を見て
「いい事を思いつきました!」
と言って、急に服を脱ぎ出した。
侑梨はあっという間に下着姿になり、そして直矢が眠るベッドへと侵入した。
添い寝である。
そして侑梨は呼吸を整えると、直矢の耳元まで口を近づけて呟いた。
「直矢くん… 起きてください。朝ですよ」
侑梨は小さく囁きながら、直矢が起きるのを微笑しながら待った。
XXX
side 斑鳩直矢
「なお———きてください。 朝で——よ」
俺の耳元で誰かが囁いている声が聞こえる。
この家には俺しかいないはずなのに、こんなにも近くで声が聞こえるはずない。
……きっと空耳なんだろう。とりあえず、時間でも確認するか。
意識がハッキリしないまま、俺は頭上に置いてある時計を取るために右手を動かすと———
———むにゅ…
物凄い柔らかい何かに手の甲が当たった。
疑問に思いながらもそれを触っていると、突然女の子の声が聞こえてきた。
「直矢くんは変態さんですね。それで、私のお胸はどうですか?」
流石の俺もその一言で意識がハッキリし、目を開けると黒髪の女の子が下着姿で横にいた。
「うおぉぉぉぉお?!?!?!えっ… 誰?てか、どうやって家の中に?!」
俺はベッドから勢いよく起き上がり、彼女を飛び越えてドアの方へと逃げる。すると、彼女もむっくりと起き上がり俺の方を向き口を開いた。
「あれれ?私のことが分かりませんか?私は貴方が大ファンだったレグルスの芹澤侑梨ですよ!」
「………はぁ?!」
俺は大きく目を見開いた。
……目の前にいる人が芹澤侑梨?!
彼女が推しだった侑梨な訳がないと思いながら、彼女を見つめていた。しばらくして、彼女は首をこてんと傾げた。
「その顔は信用してませんね?分かりました、証拠を見せてあげましょう!」
そう言って、彼女はベッドから降りるとブレザーを手に取り、スマホを取り出した。
彼女は数秒スマホを操作すると、微笑しながら画面を俺に向けてきた。
「これで信用してもらえますよね?」
そこに写っていたのは、結成3周年のライブの時の写真だ。しかも、メンバーしか入れない控室での自撮り写真。
SNSにも上がっていない写真だ。
これを見せられたら、彼女が本物の芹澤侑梨だと認識するしかない。
「君が俺の大好きだった芹澤侑梨なのは分かった」
俺の言葉を聞き、侑梨はニコニコした。
喜んでくれるのは嬉しいが、俺は彼女に聞かないといけないことがある。
「疑問なんだが、どうやって俺の家に入った?」
「……えっ?普通に玄関から入ったよ?」
「玄関は鍵が掛かっていたよね?」
「うん。だから、持っていた合鍵で玄関の鍵を開けて入ったよ」
「………はぁ?!」
侑梨は一旦俺の部屋を出ると、すぐに戻ってきて鞄から合鍵を出して見せてきた。
彼女が見せてきた鍵は確かに俺の家の鍵と似ている———いや、ほぼ同じだ。
………どうして侑梨が合鍵なんて持っているんだよ。入手経路ないだろ。
合鍵を睨みながら思っていると、侑梨は再度鞄に手を入れると今度は手紙を出し差し出してきた。
「こちらは直矢くんのお父様からの手紙です。大体の経緯が書いてありますので、直矢くんの疑問は全て解決すると思いますよ」
「いや、なんで俺の父親の手紙を持っているの?!」
「直矢くんのお父様が、私のお父さんに手紙を出した時に、一緒についてきました。そして、直矢くんに渡してくださいと書いてあったので!」
俺は顔を引き攣りながら、侑梨から手紙を受け取り中身を開いた。
『直矢、久しぶりだな』
父親からのメッセージが来るのは実に一年振りだった。母親とは週3くらいのペースで連絡をしていたが、父親は仕事が忙しいとかで電話にも出ていなかった。
『突然だが、芹澤侑梨が直矢の許嫁になる。直矢は知らないかもしれないが、彼女は元アイドルだ』
俺の知らない所で許嫁の話が進んでいた。
しかも、侑梨が元アイドルだとハッキリと書いてある。俺はため息をつきつつ、何故許嫁の話が出てきたのか気になった俺はさらに読み進める。
『ここまで読んで何で許嫁の話になったのか気になるだろ。それはだな、父さんの友人と昔、自分の子供が産まれたら許嫁にしたいなと約束したからだ。そしたら父さんの方は息子、友人の方は娘が産まれて完璧だろってなったんだが、色々あって今に至った訳だ。お互いの母親も了承済みだ。あと、以前部屋を使うなって言った部屋を彼女の部屋にするからよろしく』
俺は呆然としながら侑梨の方を見た。
合鍵を渡したのは父親に違いない。そして一部屋余らせた理由も今分かった。
……侑梨がこの家に住むから使うなって言われていたのか。
あと気になるのは、侑梨が本当に俺との許嫁を望んでいるかだな。
「大体の話は分かったんだが、いくつか質問してもいいかな?」
「はい!直矢くんの質問ならいくらでも答えます!」
「それじゃあ、俺と許嫁になるらしいんだが、君は何も不満はないの?」
「君じゃありません… 」
「……えっ?」
「私のことは侑梨と呼んでください!!」
侑梨は顔を近づけて呟くと、そのまま頬を膨らませて拗ねた。
……ち、近い。それにまだ下着姿だし。
俺は視線をずらしながら頭を掻いたあと、一つ咳払いをして名前を呼んだ。
「ゆ… 侑梨。不満はないのかな?」
「私は直矢くんと握手会で話してからこの人いいなと思っていたし、改めて写真を見た時に心にグッときたので不満なんて一つもありません!」
名前を呼ばれて嬉しかったのか、侑梨はニコニコしながら返事をしてきた。
そして彼女に褒められたので、俺はなんだか嬉しくなった。
「それじゃあ、次の質問だけど、侑梨はこの家に住むってことらしいんだけどいつから?」
「今日からです!」
あれ…いまなんて言った?
俺の聞き間違いかな。今日からと聞こえたけど。
もう一度、侑梨に聞き返した。
「侑梨はこの家に住むのはいつかな?」
「今日からです!」
俺の空耳でも聞き間違いではない。
侑梨はハッキリと「今日からです」と言った。
俺は彼女の方に視線を軽く向けると、「今日から同棲ですね❤︎」と言ってきた。
「荷物とかないけど、ほんとに今日からなの?」
同棲となれば侑梨の荷物が部屋に持ち込まれるはず。なのに、彼女は鞄一つだけしかない。
……ほんとに同棲するのか?
侑梨を見ていると、彼女は微笑しながら口を開いた。
「はい!荷物に関しては私たちが学校に行っている間に、私のお父さんの知り合いが引っ越しをやってくれるそうです!お母さんが見届け人なので、家の物を盗まれることはないので安心してください!」
「そ… そうなんだね。またしても俺の知らない所で話が進んでいたのか… 」
俺が肩を竦めていると、侑梨が時計を見てから手を叩く。
「それでは、今日は他にもやる事があるので一旦こちらで失礼します。また後で会いましょうね、直矢くん❤︎」
そう言って、下着姿だった侑梨は制服を着て、ドアの前で一礼して部屋を出て行った。
俺は呆然としていたが、すぐに我に返り時計を見た。時刻は7時50分。家を出るのが8時なので、俺は急いで支度を始めるのだった。
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