追いかけっこの相手

(今の……人…?)



 おそらく、それらしきものを視界の端で見た気がするのだが。

 もう遥か後ろの景色を振り返りながら、実は首をひねった。



 こんな時期に森に入る物好きはいないと思う。

 いないと思うのだが、万が一ということがあったらどうしよう。



 お世辞にも、整備されているとはいえない森だ。

 もし本当に誰かがいたのだとしたら、見に行った方がいいかもしれない。

 迷い人だとしたら大変だ。



 ものすごく後ろ髪を引かれたけれど、今はとりあえず先を急ぐことにした。

 こんな所で止まっていたら、あいつに追いつけない。



 前に向き直ると、五十メートルほど先で蝶とたわむれている影がちらっと見えた。



 これは非常に好都合だ。

 実は気配を殺し、ぴょんぴょんと飛び跳ねる影に近付く。



 そして―――



「捕まえた!!」



 ちょうど腰の辺りの高さまで飛び上がったそれを、思いっきり両手で掴んだ。



「わあっ!?」



 よほど蝶に夢中になっていたらしく、それはろくな抵抗もできずに実の手に収まった。



 実が捕まえたのは、簡単に表現するならば小さなドラゴンだった。



 薄い緑色の体に、白光の角とコウモリの羽のような耳。



 背から尻尾にかけては三角形の背びれのようなものが並んでいて、背にはまだ小さいが翼も生えていた。



「あははっ、捕まっちゃった~♪」



 ドラゴンは楽しそうに笑い声をあげながら、手足をバタバタとさせる。

 実はそれに、盛大な溜め息をついた。



「あのさ、ドラード。毎回毎回……こうやって付き合う俺の身にもなってよね……」



 とにかくこいつは、一度走り出すとどこまでも突っ走っていく。

 仕方なく追いかけると、面白がって逃げていく始末。

 さらに楽しくなってはしゃぎ始めると、満足するまで止まりやない。



「だってー…。実、あんまりこっちに来ないんだもん。僕についてこれるの、実くらいだしさ。実の前でしか、思う存分はしゃげないじゃーん。」



「はしゃぐな。お前、仮にも守護獣だろうが。」



 実はもう一度大きく息を吐く。



 その溜め息で呆れたと訴えたつもりだったのだが、ドラードは大して気にしていない様子だった。



「えー、いいじゃん。僕はまだ子供だし、つかえるあるじもいないし?」



 楽しかったと笑うドラード。

 実は口をへの字に曲げ、過去を思い出す。



 この小さなドラゴンと初めて出会ったのは、この世界の時間で二ヶ月ほど前のこと。



 自分の家の守護獣に子供が産まれたから、見に来てほしい。

 知り合いの子供に、そう誘われたのが事の発端だった。



 守護獣の子供と聞いて、まず頭に浮かんだのは疑問。



 お互いにほとんど干渉しないはずの守護獣に、どうやったら子供ができるのか。

 それが不思議だったのだ。



 後からハエルに聞いた話によると、なんでもタリオンに住む守護獣は、子孫を作るために月に一度ほど森に帰る日があるらしい。



 引きずられるがまま子供の家を訪ねてみたものの、その小さなドラゴンは母親の陰に隠れて姿を見せなかった。



 人見知りが激しく、未だに家人の前にもまともに出てこない。

 それはあらかじめ聞いていたので、自分としてはそんなに気にさわることもなかった。



 だが、自分を引っ張ってきた子供は違ったようで……



『もー、せっかく実を連れてきたのにー……』



 不満げに言ってドラゴンの尻尾を掴む子供に、自分の方が焦った。



『やめろって。無理いしない方がいいって!』



 慌てて、震えるドラゴンから子供を引きずり離した。



 だが、止められた子供の方としては、止められたことに不満があったのだろう。

 めいいっぱい腕の中で暴れられてしまった。



『だって実、滅多にここに来ないのに…っ。せっかくの見せるチャンスだったんだ! こいつもこいつで、まだ僕たちにだって全然しゃべりもしないし!』



『そんなの仕方ないって! 無理やり表に引きずり出しても、余計に引っ込むだけで―――』



 ふと妙な視線に気付いてその方向を見ると、隠れていたはずのそのドラゴンが、半身だけを出してこちらを見ていた。



 子供もそれに気付いて目を丸くし、その場に沈黙が落ちたと思ったら……



『わあああっ!』



 キラキラとした顔で、そのドラゴンは自分の胸に飛び込んできたのだ。



『すっごくいいにおい! 優しいにおいがするー。お兄ちゃん、実っていうの? 僕は見てのとおり、ドラゴンの子供だよ。名前はまだないんだけどね。でねー……』



『………』



 思い切り胸に頬をすり寄せてマシンガントークをかましてくるドラゴンを前に、自分は思った。



(……嘘つき。すっごくしゃべるじゃん。)



 と。


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