契約に縛られた少女

 あの後ドラードが落ち着くまでに、どのくらい時間がかかったっけ?



 勢いに負けて話に相づちを打つだけになっていた自分はもちろん、その他の皆さんもドラードを止める余裕がなかったのである。



 あの時の皆さんの驚きぶりといったら、かなりの見物だった。



 思えばあの時、ドラードに一目で懐かれてしまったのだろう。

 何故かは分からないけど。



 それ以来ドラードも少しは周りに慣れ、何を察知するのか、自分がタリオンに来ると必ず飛んでくる。



 別に嫌ではないのだけど、何しろこいつの相手は疲れて仕方ないのである。



あるじがいないって…。さっさと決めればいいじゃん。血は繋がってるんだし、親と同じ家を守ることだってできるんだからさ。」



「うーん……でも、なんか違う気がするんだよね~。」



 ドラードは一瞬、真面目な顔で地面を見つめた。

 何が違うのかと訊ねるより先に、ドラードはまた笑顔に戻ってこちらを見上げてくる。



「ま、僕としては実との個人契約みたいな、今の形でいいんだけどな~。」

「おい。」



 実は半目でドラードを見下ろす。



「正式な契約はしてないし、俺の力をほんの少し分けてるのだって、ドラードがどうしてもって言うから、契約先を決めるまでの間っていう条件で許したんだからね?」



「ちぇっ、分かってるよ。」



 ドラードは、むすっと頬を膨らませた。



 本来ならば、ドラードは母親と同じ家の人間から魔力を享受できるはずだ。

 しかし、ドラードは何故か、その家から魔力を受けることを嫌がっている。



 実は肩をすくめた。



 ドラードに魔力を分け与えていて思うのだが、守護獣に魔力を供給するというのも、割と量を必要とするようだ。



 以前にグランが、この街の人間は守護獣に甘えて、自分の力がないことを受容していると言っていた。



 はたまたハエルは、ここの人々は魔力が乏しいのではなく、守護獣を生かすために力を使ってしまい、自分の意志で使える力が少ないだけなのかもしれないと語った。



 ドラードと仮契約をした実体験を踏まえると、おそらくはハエルの推測の方が正しいのだろう。



 ドラードは何かを呟きながら、足をぶらぶらとさせている。

 完全にご機嫌斜めらしい。



 ねられても、こちらは困るだけ。



 自分はタリオンに住んでいるわけではないのだから、ドラードはこの街でちゃんとした居場所を見つけた方がいいだろう。



(それに……ドラードの面倒をずっと見てたら、シャールルがかなり怒りそうだしなぁ……)



 脳裏で兎がぴょんぴょんと飛び回る。



 前回の一件の時に、シャールルは自分と行動を共にしたいとかなりアピールしてきたのだが、聖獣としてイルシュエーレを助けてほしいと、なんとか言い聞かせてきたのだ。



 そんなシャールルがこの状況を見たら、なんと言うか。



 まあ、好かれてしまったものは仕方ないと思いはするのだけど……



「ねえ、そういえばさ……」



 ふいにドラードが体を揺らして、実を思考の海から引き戻した。



「ん、何?」



 下を見ると、ドラードはある方向を指差す。



「ちらっと見た気がするんだけど、あっちに人がいなかった?」

「え…? あ……」



 言われて思い出す。

 そういえば、確かに見た気がする。



 実は顔をしかめた。



「……やっぱり?」

「うん。」



 ドラードが即答する。

 実は思わず頬を掻いた。



 自分に加えてドラードまでそう言うのなら、さっき人を見かけたのは間違いなさそうだ。



「戻ってみようか。どうせ帰り道だし。」



 ドラードを抱っこしたまま、実は元来た道を歩き始めた。



 とはいっても、相手も人間だ。

 向こうも歩き回っていたとしたら、さっきの場所にいるとは限らない。



 下草を掻き分けながら、周りにくまなく意識を向ける。



「あ、いたよ!」



 その影を見つけたのは、ドラードが先だった。

 ドラードが指差す方向に、茂みに隠れるようにして小さな体が見える。



「子供?」



 実は首を傾げる。



「ねえ、どうしたの?」



 声をかけると、うずくまっていた子供の頭が長い時間をかけて上がった。



 小さな少女だった。

 彼女はひどく薄着で、地面を握り締める手を微かに震わせている。



 顔を覆い隠すほどに伸びた黒い前髪の隙間から、吸い込まれそうな同系色の瞳が覗く。

 その瞬間―――



「わっ…」



 突然実の腕から力が抜けて、全くそれを予期していなかったドラードが地面に落ちた。

 しかし、実はそれを気にも止めない。



 実は目を大きく見開いて、少女を凝視していた。



「君……」



 ゆっくりとしゃがんだ実は、少女と目線を合わせた。

 そして次の瞬間、少女の肩を勢いよく掴む。



「君……一体、何があったの!? なんでそんなに、何重にも契約してるんだ!?」



 表情を険しくさせて、目元を歪める実。



 この少女の魂は、幾重いくえにも結ばれた契約でがんじがらめだった。

 しかも、その全てが少女にとっていいものではない。



 この少女の周りに漂う雰囲気は、ひどく不穏でいびつだ。



 少女は何も答えない。



 実とドラードが見つめる中、光を反射しないうつろな瞳がふとまぶたの向こうに消えた。



 目を閉じた少女は、そのまま実の胸に倒れ込む。



「ちょっ……」



 一瞬慌てた実だったが、少女の体を抱いた途端に顔色が変わった。



「ひどい熱だ。」



 少女を抱き締めて立ち上がる実。



「ドラード、肩に乗って。とりあえず、じいちゃんに連れていく。」



 こちらの指示に頷き、ドラードが肩に乗ってくる。



 それを確認して、実は左手を素早く動かして腕輪を外すと、慣れた手つきで腕を振った。



 瞼の裏にタリオンの屋敷を思い浮かべ、現在地から目的地までのパスを繋ぐ。



 一つ呼吸を置いて魔法に集中した実は、次元の狭間はざまに向けて地を蹴った。


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