その手は労わるために―――

 ―――ザクッ



 そんな音がして、ユエと実の間に細く光るものがはらはらと落ちていく。



「大丈夫。」



 微笑む実の左手から、髪の毛の束がさらりと落ちた。



 実は自分の髪を一房掴むと、躊躇ためらわずにそれをはさみで切ったのだ。



「こうやって、ちょっとだけ髪を切ろうと思っただけなんだよ。痛くもないし、怖くもない。それでも怖いなら、別に無理しなくてもいいから。」



 こんな行動に出たのは、別にユエの髪を切るためではない。



 ユエを傷つけようとして鋏を持ったわけではない。

 それだけが伝われば十分だ。



「大丈夫だよ。」



 鋏を机の上に置いて、実はユエに向かって手を差し出した。

 パチパチと目をまたたいていたユエは、実の顔と手を交互に見つめて―――



「……痛くない?」



 蚊が鳴くような細い声で、そう訊ねた。



「うん。」



 実は頷く。



「こわく……ない?」

「もちろん。」



 再び実は頷く。

 すると、ユエはそろそろと実に近寄って、その手を躊躇ためらいがちに握った。



「じゃあ、がんばる……」



 ユエがそう言ったことに、実は不覚にも驚いてしまった。



 あそこまで暴れたユエが、まさかこんなことを言うとは思っていなかった。

 だが、これもユエなりの勇気の表れだ。



「よっし!」



 実はユエの手を引いて小さな体を抱き締めると、ユエの頭をぐしゃぐしゃに掻き回した。



「えらいぞ!! 立派、立派!」

「―――……」



 声も出ない様子のユエを軽く抱き上げて、実はベッドを降りる。

 そのままエーリリテたちの前まで歩いていくと、にこっと爽やかな笑顔を浮かべた。



「もう大丈夫だって。」

「あ、うん……」



 目をぱちくりとしばたたかせていたエーリリテは、なかば唖然としたように口を開いた。



「……あんた、また思いきったわね。」



 エーリリテは実の首に目をやる。

 肩甲骨辺りまで細く伸びていた実の後ろ髪は、うなじ辺りまで短くなっていた。



 どこか痛々しそうなエーリリテに反して、実はあっさりとした様子で自分の髪に触れる。



「んー…。さすがにちょっと邪魔くさいなって思ってたところだから、ちょうどよかったよ。ついでに、俺の髪も切ってくんない? その方がユエも安心すると思うし。」



「そうね。」



 頷くエーリリテの後ろで、サラが黙々と準備を進める。

 それからしばらく―――



「もういいですよ。」



 鋏をお盆に置いたサラは、ユエを気遣ってすぐにそこから離れた。



「ユエ、もう目を開けていいよ。」



 鋏の音がしていた間、ずっと実の手を握って目をつぶっていたユエは、優しげな実の声を聞いて、そろそろと目を開いた。



 するとそこには、こちらをじっと凝視しているエーリリテの姿が。



「………っ!?」



 驚いたユエは、思わず実にしがみつく。

 そんなユエを見つめていたエーリリテは、しばらくすると満足そうな笑みを浮かべた。



「うん、可愛いじゃない。さっぱりしたでしょ?」



 顔を隠す前髪が短くなって、ユエの幼いながらにもはっきりとした顔立ちがあらわになっている。



「ね? 怖くなかったでしょ? よく頑張ったね。」



 こちらを見上げてくるユエの頭をなでて、実は笑いかけてやる。



 優しい笑顔。

 優しい声。



 傷つけるためではなく、いたわわるために伸ばされる手。



 ユエはそれらに大きく目を見開いて、微かに頷くのだった。


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