第2章 優しさに驚いて

ユエを縛るもの

「つまり……どこから来たのかも、ここがどこかも分からない、と。」



 ユエから事情を聞いた実とエーリリテは、二人揃って深い溜め息を吐き出した。



「どうするのよ?」

「いや、どうするのよって言われても……」



 困惑顔の実は、自分の腰に目をやる。

 そこではユエが、不安げに揺れる目でこちらをじっと見つめていた。



 それにしても参った。



 話を聞いたところによると、ユエは自分がいた場所の名も、この街の名も知らなかったのだ。



 あの森には急に連れてこられただけで、ユエ自身は何も知らないということらしい。



 なんとまあ、頭を抱えたくなる状況だろう。



「………」



 実は目を伏せる。



 ユエの話を思い返す度、胸の中に重いおりが溜まっていくようだ。



 両親のことは分からない。

 急に森に連れてこられただけ。

 そして、迎えは来ない。



 そこから察せられることをこの場で言うのは、さすがに残酷すぎた。



 仮にユエの帰る場所が見つかったとしても、それがユエの幸せに繋がるとはとても思えない。



 じっと黙する実の傍で、エーリリテがまた溜め息をついた。



「とりあえず、ユエちゃんはしばらくこっちで預かるわ。」

「ごめん、助かる。」

「仕方ないわよ。」



 テーブルの上で手を組み、そこにあごを乗せるエーリリテ。



「こんなに小さな子を、追い出すわけにはいかないでしょ? 幸いにも家には部屋があり余ってるし、大した負担にはならないわよ。」



「……そうだね。俺も、色々とやってみる。」



「私も、調べられるところまで調べてみるわね。」



 互いに頷き合い、実とエーリリテはそれぞれの行動をするために部屋を後にした。



 すると、今までは大人しくベッドで横になっていたユエが後ろからついてきた。

 小さな手は、しっかりとこちらの服のすそを握っている。



 どうやら、自分から離れる気は全くないらしい。



 目が合うと、長い前髪の隙間から見えるつぶらな瞳が、微かに潤んでいるのが分かった。



 自分もエーリリテも、あんな態度を見せた後だ。

 彼女なりに不安なのだろう。



 実はそんなユエの頭をぽんと叩きながら、すぐ隣の自分の部屋のドアを開けた。



「はぁ…」



 扉を閉じて、深呼吸。

 エーリリテの気配が離れていくのを、じっと待つ。



 そして周囲にあるのが自分とユエの気配だけだと感じ取った瞬間、一気に気が抜けてしまった。



 実は全身から力を抜き、そのままずるずると座り込む。



「どうしたの…?」



 実の前に立ったユエが、首を傾げる。

 その声に応えるように、実は顔を上げた。



 こちらを不安そうに見つめるユエ。

 そんなユエの姿が、自分の視界の中で不気味に揺らめく。



「ユエ……」



 実はユエの両肩に手を置いた。



「ユエのあるじは誰?」



 険しい声で問う。



 頭の中にちらつく、嫌な推測。

 それを確信に近付けるのが、ユエを縛っているいくつもの契約の痕跡だった。



 どんな契約にしろ、相手がいなければ成立しない。

 ユエには必ず、主となる誰かがいるはずだ。



 ユエはしばらく悩ましげに眉を寄せ、最終的に首を横に振った。



「分かんない…。あるじって、何?」

「………」



 実はじっと、ユエの瞳を見つめた。



 黒くて大きな瞳には一片の曇りもない。

 どうやら、嘘はついていないようだ。



「そっか……」



 実は前髪をぐしゃりと掻き上げた。



 自分じゃあるまいし、こんな小さな子供が嘘をつくわけがないじゃないか。



 ユエは、主というものが何かを知らない。

 そしてその主に従うことに、違和感も疑問も抱いていない。



 そうあるのが普通だと、無意識下に刷り込まれているのだろう。



「〝―――なんじ、そのあかき真実を捧げ、神々に誓え。〟」



 唐突に、実は床を見つめて呟いた。

 その瞬間ユエの体が大きく震え、その双眸に巨大な恐怖が揺れる。



「………、………っ」



 しばらくして、その震える唇が微かに開いた。



「〝神々に、この身の真紅をもって――― 〟」

「―――っ!!」



 実は即座にユエの口を塞いだ。

 それで我に返ったらしいユエが、目を丸く見開いて実を見つめる。



 実は何かをこらえるように顔を歪めた。



「もういい。その先は言うな…っ」



 極力抑えたものの、こらえきれなかった激情が声に滲む。



(やっぱり……)



 拳を握り締める実。



 本当は、ほとんど確信していた。



 ユエに絡みつく契約の力。

 それに目をらせばらすほど、胸が潰れそうになるのだ。



 ユエを縛るものは、そう簡単にはほどけない。

 それほどに強固で、絶対的なものだ。





「―――――血の契約……」





 ぽつりと零れた言葉が、いつまでも自分の頭に響いていた。


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