第67話 押せば良いんだろ?

 そして無言になった空間に麗華の荒い息遣いと、徐々に弱まっていく美兎の音だけが多目的トイレの中で響気、数秒して水の音が止まる。


 やっと、この苦行も終わりか。 とほっとしたのも束の間、麗華が口を開く。


「ねぇご主人様……」

「なんだ? 終わったのならば散歩に戻るぞ」

「いえ、そうではなくて……いえ、終わったには終わったのですけれども、ここからどうすれば良いか教えてくれないかしら?」

「どうすればって、それは……まずビデで大事な部分を水洗いした後にそこの紙で拭いて、パンツとスカートを履いて終わりだろう?」


 そこまで説明したのだが、麗華は一向にそれをしようとせず、顔を赤らめ、目を潤ませながら上目遣いで俺を見詰めてくるだけである。


 いや、そんな、いやいや……そんなまさか……いやしかし相手はあの麗華。 あり得る所が恐ろしい。


 俺は一向に指示通りに動こうおしない麗華が求めている事がなんとなく想像ができたのだが、流石にそれは俺の考えすぎの可能性もあるため一応麗華に聞いてみることにする。


「なぁ、麗華……」

「なにかしら? ご主人様。 それよりも私は早くしてほしいのだけれども」


 この『早くしてほしい』という言葉からもはや俺の想像はまず間違いないであろう事が窺えてくるのだが、まだそうだと決まったわけではない。


「お前、なんで自分で動かないんだ? まさか俺がやってみせるのを待っているとかじゃぁないよな?」

「何をいうかと思えば、そのまさかに決まっているでしょう? 今の私は初めて個室のトイレを使用するというシチュエーションよ? であればスカートとパンツを脱いで、ここにある穴の空いた椅子に座ってようを足すという指示は理解できるのだけれども『ビデ』がなんであるのかだなんて分からないじゃない。 だから早く押しなさいよ」


 え? これ俺が悪いのか?


「いやいや、俺はこの『ビデ』と書かれたボタンを指差して教えたはずだからその言い訳は流石に通用しないだろう?」

「残念ながら今の私はご主人様のペットだから日本語が分からないわね」


 こいつ、なんだこの知能の低い返しは? 


 完全に論破されたから開き直ってやがる……っ。


「はぁ、分かったよ。 押せば良いんだろ? 押せば」

「あら、話せばわかるじゃない」


 そしてご満悦な表情で笑顔になる麗華の顔に俺の胸の鼓動は少しだけ早くなるのが自分でもわかる。


 シチュエーションこそ最悪なのだが、元が最上級に良いだけにあんな表情をされると思わず今がどんな状況であるかだなんて忘れて惚れてしまいそうになってしまうではないか。


 ちなみに、この『ビデ』というボタンを俺が押したいと、思っていないと言えば嘘になるのだが、だからと言って下心から麗華の我儘を聞いているわけではない事だけは言い訳させてほしい。

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