第21話 後輩の企み

「……怜奈から、不用意に僕と接触するなって、釘を刺されてたんじゃなかったっけ?」


 突然、莉愛に話しかけられた僕は、若干身構えながら対応した。

 あの一件から、三週間以上経った今、莉愛が僕に話しかけてくる意図が見えなかった。


「不用意にじゃなかったらいいんでしょ。今日は、新世に忠告しに来ただけだから」

「忠告……?」


 僕が訝しむと、莉愛は僕の耳元でそっと囁いた。


「そらちゃんには、気をつけておいた方がいいよ」

「……どういう意味?」

「……さあ? どういう意味だろうね。私が何を言っても、どうせ新世は信じてくれないだろうから」


 莉愛は機嫌が悪そうに、そっぽを向いた。


 莉愛に対する信用云々より、そらに気をつけろと言われても、僕にはそら相手に気をつける要素が見当たらない。

 

 唯一、気をつけないといけないことがあるとすれば……


「そらが赤点を取らないように、気をつけておいた方がいいってこと?」

「……赤点?」


 莉愛は何を言っているかわからないといった顔をした。

 赤点が何かわからないなんて、これだから優等生は。


「赤点っていうのは、落第点のことだよ。人生で一回も赤点を取ったことがない莉愛にはわからなかった?」


 自慢じゃないけど、僕は過去に赤点を取った回数なら、誰にも負けない自信がある。


 僕は、中学校三年間の定期テスト全てを赤点で乗り越えた男だからだ。


「知ってるよ、赤点ぐらい。赤点ばっかり取ってる人が身近にいたからね。……そうじゃなくて、そらちゃんには気をつけなさいってこと!」

「……だから、どうして?」

「信用できないからだよ」

「信用できないって……根拠は?」

「例えば、今の状況」

「今の状況……?」


 今度は、僕の方が何のことかわからないといった顔をする番だった。

 今の状況を見て、莉愛的には、そらのことを信用できないと思うだけの不可解な点があったんだろうか。

 

 ……わからない。


 今の状況を冷静に分析しても、僕には、そらが何か不可解なことをしていたようには思えない。


 思考を巡らせていると、莉愛は見透かしたような目を僕に向けながら、口を開く。


「じゃあ聞くけど、どうしてそらちゃんと一緒に勉強することになったの?」

「え? それは、そらが今回のテストで赤点を取るかもしれないから、僕に勉強の面倒を見てくれって頼んできたから……」

「そらちゃんが赤点をとる? 新世、そらちゃんが前回の中間テストで、学年何位だったか知らないの?」

「そりゃあ……最下位付近だったんじゃないの?」


 あの様子だと、最下位だったかもしれない。

 僕が一年生だった時の一学期中間テストでは、僕は学年最下位だったので、何も偉そうなことは言えないけど。

 

「逆よ。そらちゃん、前回の中間テストじゃ、学年三位だったよ」

「……まじ?」

「嘘だと思うのなら、部活の後輩でも捕まえて、聞いてみればいいじゃん」


 莉愛が嘘を吐いているようには思えない。

 他の一年生に聞けば、真相はすぐにわかるからだ。

 とはいえ、そらがそんな嘘を吐くメリットもわからない。


 とりあえず、僕は席を立ち、近くにいたサッカー部の後輩に聞いてみることにした。

 

「なあ、吉田。勉強のところ悪い。ちょっと、聞きたいことがあるんだけど」

「……僕も旭岡先輩に聞きたいことがあったんで、ちょうど良かったです」


 吉田は、細い目をさらに細めた。

 何となく、怒っているように見える。


「聞きたいこと?」 

「僕の質問は後でいいので、先に先輩の質問からどうぞ」

「あのさ、そらって、前回のテストで学年3位だったのか?」

「そうですよ。小鳥遊さん、頭いいですからね」

「本当だったのか……」


 僕が驚きながら、莉愛に目線を送ると、莉愛は「ほらね」と言わんばかりの顔をした。


「じゃあ、今度は僕が先輩に質問する番ですね」

「ん、どうぞ」


 わからない問題でもあったんだろうか。

 ちらっと、吉田が開いていた参考書を見る。

 吉田が勉強していたのは数学だった。

 

 数学は、とりあえず公式を覚えるところから始めたな……


「ずばり、旭岡先輩と小鳥遊さんって、どういう関係なんですか?」

「……は? どういう関係も何も……部活の先輩後輩って関係だけど」

「……ほんとうにそれだけですか?」


 吉田はさらに目を細めた。

 この目は、完全に僕のことを睨んでいる。


「な、何だよ、何が言いたいんだ?」

「……もう、いいです。お時間をいただき、ありがとうございました」

「え、あ、ああ……うん。こっちこそ」


 吉田とのやり取りには少し釈然としないところはあったけど、それよりも釈然としないことができた。

 そらは、頭が悪いわけでもないのに、僕に勉強を教えてもらっていたらしい。


 となると、わからないわからないと喚いてたのも、嘘ってことか?


 僕が席に戻ると、莉愛は腕を組んで思案顔になっていた。


「おかしいと思ったんだよね。新世がそらちゃんと勉強してる様子を見て。ずっと、そらちゃんが、わからないわからないって言ってるんだもん」

「でも、どうしてそらは、そんな嘘を……?」

「真相は本人に聞けばいいと思うけど……多分、新世と一緒に勉強したかったって理由じゃない?」

「まあ、僕と勉強したくて嘘をついたって理由ぐらいしかないよな。でも、僕と勉強したくなる理由もわからないけど」

「それはまあ……新世にはわからないだろうね」


 莉愛は呆れたようにため息を吐くと、席を立った。


「……ねえ、新世。今日は、どうしてここで勉強することにしたの?」

「勉強するのに適した場所が、ここぐらいしかなかったからだけど」

「どっちの提案?」

「そらの提案だけど」

「ふーん……やっぱり、そっか」


 莉愛は意味ありげに呟いた。

 

「そらが図書室を選んだことに、何かあるのか?」

「さあね? でも、図書室以外で勉強することを、そらちゃんが拒んだのなら、何かあるのかもね。ただの女の感ってやつだけど」


 そう言い残すと、莉愛は戻っていった。


 そらが図書室以外で勉強することを拒んだかというと、それは違うはずだ。

 最初に、図書室で勉強することを提案したのは、そらだ。

 でも、そのあと、莉愛がいることで僕が場所を変えようとした際、喫茶店は拒否したが、そらは自分の家で勉強会を開くことを提案してきた。


 だから、そらは図書室以外でも、大丈夫だったはず……


 いや、本当にそうだろうか?

 

 僕が翔と気まずい関係になっているのは、そらも薄々は知っているはず。

 翔はどうやら、怜奈のことが好きだということを、そらに知られていたようだからだ。

 自分が好きだった女性と付き合うことになった男との関係がぎくしゃくすることは、容易に想像できる。


 そらは他の場所を提案するのに、最もあり得ない選択肢を提示して、僕の提案はもっともらしい理由で拒否した。


 結果、僕が図書室で勉強することになったのだとしたら……


 そうだったとして、そらの目的はなんだろう?

 もしかすると、ここにいる莉愛と会わせることが目的だったんだろうか?

 莉愛が放課後に図書室で勉強していることを事前に知っていれば、僕が莉愛に会うように誘導することはできる。


 でも、何の為に……?


 今思えば、僕が怜奈と一緒に勉強をしない日ちょうどに、姿を現したのも気になる。


 僕の元を訪ねてきた日が、偶然そうだっただけだろうか。

 そらが自信のテスト結果で嘘を吐いてまで、僕と勉強をしたがった理由も気になる。


 一度疑念が芽生えれば、疑いはどんどんと濃くなっていく。

 

 今にしたって、トイレが何故かやたらと長いしな……

 おしっこって言ってたのに。

 でも、この手の質問を女性にするのはタブーなので、しないけど。


 そんなことを考えていたら、何食わぬ顔でそらが戻ってきた。


「おしっこ、いっぱい出ました〜」

「そ、そっか……」


 あっけらかんにそらが言うので、僕は顔を引き攣らせる。

 

「あ、ドン引きしないでくださいよ!」

「そ、そんなことより、そらに聞きたいことがあるんだけど?」

「スリーサイズですか?」

「そらって、本当は頭が悪くないんだよな?」


 僕はそらのボケをスルーして、聞いた。

 すると、そらはくすくすと笑い、「誰から聞いたんですか?」と返した。


「誰からでもいいだろ。それより、どうして嘘を吐いたんだ?」

「そんなの決まってるじゃないですか。大好きな先輩に構ってもらう為ですよ〜」


 そらは投げキッスとウインクをした。

 可愛いとは思うけど、僕には小悪魔に見える。


「……本心は?」

「本心ですか? 私の成績を知らない先輩に、ドッキリを仕掛けようと思ったんです」

「僕にとっては、頭が悪いはずのそらが、学年上位の成績を取ることでか?」

「そうです! それなのに、誰がネタバラシしちゃったのかな……」


 そらは図書室内を見渡す。

 莉愛の場所で視線がピタリと止まったのを、僕は見逃さなかった。


「……私の企みを先輩に教えた人には、後でお仕置きしないといけませんね」

「お、お仕置きって……」

「冗談ですよ、冗談」


 そらはそう言って笑ったが、目は笑っていなかった。

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