第5話 独白と告白

 本人のことは、本人にしかわからない。

 莉愛の一件と、双葉からの僕に対する過大評価から、改めて思った。


 僕は、莉愛のことをよく知っているつもりでいた。

 莉愛は人を裏切るような人間じゃないと思っていた。

 でも、莉愛は浮気して、僕のことを裏切った。


 そして、双葉が知ったつもりになっている僕は、きっと想像とは大きくかけ離れている。


「僕は、ひよりちゃんが──女子小学生が溺れているって話を聞いた時、助けようなんて微塵も思わなかったんだよ」

「……それは、どうして?」

「なんて事のない合理的な、人として冷たい理由さ。川や海で溺れた人を助けようとした人が溺れて死ぬなんて話は、珍しいことじゃない。そんなリスクを負ってまで、見ず知らずの子供を助けようとは思わなかったんだよ」


 溺れた子供を助けようとした親が死亡した。そんな事例は後を絶たない。


「実際に、あの場に居合わせた人たちは、みんな救助に動かなかったよ。ひよりちゃんのご両親も、消防に救助を要請しただけでね」

「でも、あなたは助けたのよね? それなら──」

「僕の意志じゃないよ。ただ、何もせずに見殺しにすれば、罪悪感に苛まれると思って、動いただけ。結果的に、運良く溺れているひよりちゃんを見つけて、助けることができただけの話」


 僕が去年の夏の出来事を周りに話さない理由はこれだ。

 僕は善意で、ひよりちゃんを助けた訳じゃないのだ。


「……じゃあ、あなたはどうして医者を目指し始めたの?」

「それも、償いみたいなものかな。僕がもっと早く、ひよりちゃんを助ける決断をしていれば、後遺症が残らなかった可能性があったからね」


 自分に後ろめたい気持ちがあるから、そうしているだけだ。


「だから、双葉さんが言うような、他者を大切に想いやる生き方なんて、そんな大層な生き方はしていない。そうしていないと、自己嫌悪に苛まれそうだから、形だけでも勉強して医者を目指しているだけだよ」

「そう……だったの……」


 理想と現実なんて、大抵は相違あるものだ。

 莉愛は現実でも僕にとっての理想的な彼女だったのに、現実はやはり違った。

 双葉が僕に対してどんな理想を重ねていたのかは、正確には知らない。

 少なくとも現実の僕は、我が身可愛さに行動するだけの人間だ。


「僕に比べて、翔はいい奴だよ。あの時、真っ先に助けに行こうとしたのは翔だったからね。それを止めたのが僕だけど」

「それは、彼の身を案じたからでしょ?」

「案じたというより、無駄死にするだけだと思ったんだよ。翔は全く泳げないからね。にも関わらず、翔はひよりちゃんを助けようとしたんだから」


 泳げるのに助けようとしなかった僕と、泳げないのに助けようとした翔。

 人として、どちらがより正しいか。

 僕は偶然助けれただけで、ひよりちゃんの命を救えなかったら、周りから非難されていてもおかしくないだろう。


「……そう……」


 双葉は悲しそうな、何とも言えない顔をした。

 双葉が好きになった僕は、勝手に妄想で印象付けただけの僕じゃない誰かだ。

 僕に対する好意なんて、綺麗に霧散しただろう。


 間違いなく双葉は、僕にキスしたことを後悔しているだろうな。

 でも、それに関しては、僕は悪くない。


 好きだった人が思っていたのと違った、なんて話はよく聞く。

 結局のところ、相手のことを知った気になったり、都合よく相手の良い部分だけしか見てなかったりするから、理想と現実でギャップが生じるんだ。

 

「……そろそろ、みんなのところに戻ろうか」

「ねえ、ひとつだけ聞いてもいい?」

「何?」

「私が今、あなたに対してどういう感情を抱いているか、わかる?」


 相手がどんな感情を抱いているか、そんなのわかれば苦労しない。

 それこそ、浮気されずに、好きな人と一生うまくやっていけるだろう。


 でも、少なくとも双葉は、僕に対して失望しているとは思う。

 勝手に自分で僕に幻想を抱いて、お門違いだとは思うけど。


「失望とか?」

「ふふ、違うわよ」


 双葉はそう言って、僕の顔を両手で包み込んだ。


「──あなたが自分のことをどう思っていようが、私はあなたが好きよ」

「……えっ?」

「言ったじゃない。私は他者を大切に想いやる生き方をする、あなたのことが好きだって」

「だから、そんなんじゃないって……」

「確かに、自分はそんなつもりはなかったのに、相手に勘違いされるってことはよくあるわ。そして、あなたは、私が随分と酷い思い違いをしていると思っているようだけれど、私はそうは思わないわ」


 僕は、双葉が自分の勘違いを認めたくないだけだと思った。

 勢い余ってキスまでして、引き返せなくなっているだけだと。


「あなたは、彼女に後ろめたい気持ちがあるから、形だけでも勉強して医者を目指しているって言ったわよね? でも本来なら、あなただけが、彼女のことを背負う必要はないはずよね?」

「……僕が背負わないといけないんだよ。僕のせいで、ひよりちゃんは……」

「もし、彼女を救えなかったことに対する罪があるのだとしたら、その場にいた他の人達にも同じように罪があるとは思わないの?」

「……」

「責任を感じて、彼女のことを誰よりも考えている。あなたは、紛れもなく、私が思い描いていた通りの人よ」

「……買い被りすぎだよ」


 人に対する信頼というのは、恋愛が絡むと、ここまで盲信的になるのか。

 恋は盲目とは、まさしくこのことだ。


「とにかく、私が伝えたかったのは、私があなたのことを好きだという気持ちは変わらないということよ。それだけは、忘れないで」


 双葉はそう言い残すと、僕の頬からそっと手を離して、先にみんなのところへ帰っていく。


「……あんなことを言われた直後に、どう顔を合わせばいいんだよ。みんなのところに帰りづらいな……」


 今日はとことん、帰りづらい日だった。



⭐︎



 双葉に遅れて、みんながいる部屋に戻った僕は、状況の変化に驚いた。

 田中と翔、鈴木と佐藤が、ペアになって座っていたからだ。


 僕と双葉がいない間に、一体何があったんだ……。


「そんなところで突っ立っていないで、私の相手をしてくれたらどうなの?」


 一人離れたところにポツンと座っていた双葉が、鋭い視線を僕に向けてきた。


 本当に、どうして、こんなことになったんだ……?


 田中と鈴木が猛アプローチした結果なのだろうか。

 どちらのペアも、実に楽しそうに会話に花を咲かせていて、二人だけの空間に浸っている。


 僕が話に入り込める余地はない。

 かといって、双葉と話しづらい。

 別に双葉のことが嫌いだというわけじゃないけど。


「……帰ろっかな」

「旭岡、もう帰るのか? 早すぎないか?」


 早いのは、お前らの女子との距離の詰め方だよ、佐藤。

 これが真の陽キャか。住んでいる世界が違う。

 

「みんな、いい感じの雰囲気だしさ。僕はこれで……」

「気をつかわなくていいって新世。まだ、一曲も歌ってないだろ?」


 その様子だと、君らもまだ一曲も歌っていないんじゃないかな?

 カラオケに来た癖に、会話しかしてないでしょ絶対。


「翔くん、無理して引き止めるのも悪いよー」

「そうかな? めぐみ」


 いつの間にか名前で呼び合う関係になってるし。魔法でも使ったのか?

 双葉と会話している間、僕は双葉に「あなた」としか呼ばれなかったし、僕も双葉としか呼べなかったんだけどな。


 過去に、莉愛と知り合ってから名前で呼び合う仲になるまで、僕がどれだけ苦労したことか……。


「でも、まあ……確かに。旭岡はそんな気分じゃないかもしれないしな。無理に残れとは言わねーよ」


 佐藤は僕のことを気遣ってくれる。

 田中は明らかに、邪魔者を排除する感じなのに。

 佐藤、お前は本当にいい奴だ。


「葵くん、はい、あーん」

「おお、ありがとう……へへ……」


 わかりやすくデレデレしてんじゃねぇよ。


「そう、あなたは帰るのね。それなら、私も帰るわ」


 双葉は立ち上がると、ドア前にいる僕の近くまで歩み寄ってきた。

 僕が帰るからって、便乗するのはやめてほしい。

 僕が後で翔達に恨まれる。


「えっ!? ふ、双葉ちゃんも帰るの!? そ、そんな……もう少しだけでも、ここにいないか?」

「双葉は帰るなよ。せっかく、楽しくなってきたところなんだからさ!」


 おい、そこの男ども。僕が帰るって言った時と、随分と態度が違うな。

 僕が帰ると言った時は、ソファに深々と腰をかけてた癖に、双葉が帰るとなった途端に、腰を浮かせて身を乗り出してまで引き止めようとするなんて。


 いくら美少女が相手だからとはいえ、僕たち親友だよな?

 扱いの差が酷くないか?


 当の双葉は、相変わらず無表情で、冷たい視線を送っている。

 どうするつもりなんだろ? 


 できれば、ここに残っていて欲しいんだけど、双葉が本当に帰りたいのなら、僕にそれを止める権利はないしな……。


 僕が帰るのを止めれば、双葉も帰らないのかもしれないけど、僕はもう帰りたい。イチャイチャしてる四人を見ているだけなんて、居た堪れないからだ。


 僕が双葉と目を合わせると、彼女はクスリと笑みを浮かべ、前にかかった黒髪を鬱陶しげに後ろへ手で払い除けながら、口を開いた。


「私は彼にお持ち帰りされることにするわ」

「……え?」


 そう言って、双葉はこれ見よがしに、僕の腕に両腕を絡めてきた。

 その光景を見た、双葉以外の僕を含めた五人が、その場で凍りつく。


「はっ……!?」


 この女、やりやがった! と思った時には、もう遅かった。

 

「……新世……いつの間に……」

「旭岡……ど、どういうことなんだよ?」


 翔と佐藤が、絶望的な表情を浮かべる。 

 これで、翔だけじゃなく、佐藤も双葉に好意を抱いていたことが確定した。


 田中は翔が好きで、その翔は双葉のことが好きで、そんな双葉は僕が好き。

 鈴木は佐藤が好きで、その佐藤は双葉に未練があり、そんな双葉は僕が好き。


 複雑すぎる関係が出来上がってしまった。


「……裏切ったのか……」

「俺、許せねぇよ……」


 僕は完全に蚊帳の外だと思ってたのに、なんてことだ。

 僕らの友情が、音を立てて崩れていく……。


 ていうか、翔は僕の新しい恋を応援してくれるんじゃなかったの?


「双葉って、旭岡くんみたいなのがタイプだったんだー!」

「へー! 意外ー!」


 一方、田中と鈴木は、強力なライバルが消えた願ってもない展開に、顔を晴れ晴れとさせている。隣に座る男と、見事なまでに真逆の表情だ。


「ねえ、今日は私を寝かさないのよね?」

「……はい?」

「さっきキスまでしたんだから、あとは……」

「なっ、みんなの前で、何言ってくれちゃってんの!?」


 とんでもない爆弾発言してくれたよ、この人!


「おおおおいいい! 旭岡! お前、どういうことだ!」

「キス……? 新世が、双葉ちゃんと……?」


 佐藤は怒り狂い、翔は放心したように宙を見つめている。


「ち、違うって! あれは、双葉さんが無理やり!」

「無理やりキスされただとぉおお!?」

「二回したわよ」

「に、二回も……」


 不味い。このままここにいると、双葉が更なる爆弾を投下しかねない。

 いや、もう手遅れだとは思うけど!


「ごめん! この話は、また今度で!」

 

 僕は腕に絡みついている双葉と共に、カラオケを後にした。

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