第6話 お持ち帰り

「……最悪だ」


 カラオケの店前で、僕は立ち尽くしていた。

 双葉怜奈をお持ち帰りしたなんて、誰かに学校で言いふらされたら、どれだけの男子生徒を敵に回すことになるかわかったもんじゃない。わかりたくもない。


「じゃあ、あなたの家に連れて行ってくれる?」


 僕の腕に豊満な胸を押し付けるようにして、腕を組んでる双葉は平然と言う。


「連れて行くわけないでしょ!」


 どちらにせよ、今家に帰るわけにはいかない。

 近所に住んでいる莉愛が、僕の家の前で待ち伏せていたり、家に訪ねてきたり、そもそも僕に許可なく家に上がり込んでいる可能性だってあるからだ。

 

 実際、以前莉愛と通話中に喧嘩した際に、怒った僕が電話を切って莉愛を着信拒否したら、莉愛が深夜にも関わらず家まで謝りに訪ねて来たことがある。

 つまり、十中八九、莉愛は僕の家を訪ねてくる。


 そして、莉愛が大量のメッセージを送ってきたことを考慮するに、醜い言い訳を聞かされるのは目に見えている。そんなの僕はごめんだ。自分が惨めになるだけだから。


 莉愛にどういう考えがあったか知らないけど、浮気は浮気。弁解の余地はない。

 

 というより、今は莉愛と顔を合わせづらい。どんな顔をして会えばいいんだ。

 今は莉愛と距離を取っているからまだ感情を抑えれているけど、直接会ったら、僕も怒りで何をするかわからない。


 それ以上に、悲しさや辛さで、情けなく泣いてしまうかもしれない。

 ただでさえ、浮気されただけでも惨めなのに、みっともなく泣きたくない。


 とはいえ、いつまでも莉愛から逃げているわけにもいかない。

 いつか莉愛と話し合う機会が必要だろうけど、今は僕も頭を冷やしたいというか、正直言って話したくもない。莉愛が浮気したから別れる、それ以上の話をしたくもない。


 落ち着いて、冷静になったところで、それでやっと莉愛と対話ができると思う。

 浮気現場を目撃した直後の彼女との修羅場なんて、僕はできるなら避けたい。


 なので、今は莉愛と会わないように、姿をくらませたい。

 明日、明後日は学校に行きたくもない。


「なら、ホテルにする?」

「ホテルにも行かないよ……。そもそも、そんなにお金を持ってないし……あ、カラオケの料金出すの忘れてた!」


 勢いのまま逃げるように飛び出して、すっかり忘れていた。


 僕は支払いの為に、中へ戻らないといけないのか? 

 僕に敵意を向ける二人がいる、あの場所へ。


「大丈夫よ。今日は、田中さんの奢りらしいから」

「え、そうだったの?」


 主催者だからといって、女子に奢ってもらうのはなんかな……。

 いや、僕が双葉を連れ出したお陰で、田中は翔と上手くやれているはずだ。

 その報酬と考えてもいいか。


「……ていうか、いい加減僕から離れてよ!」

「どうして?」

「恥ずかしいから!」


 双葉の豊満な胸が、僕の腕に押し付けられ続けている。

 気持ちいい感触だし、双葉からも甘い匂いがして、不愉快というわけじゃないけど、このままだと理性が抑えられそうにない。

 

 双葉は学園一の美少女だ。

 そんな存在に、ここまで密着されて、平静を保てるはずもない。

 キスされた時は突然すぎて脳の処理が追いついていなかったけど、今は思い出しただけでも鼓動が高鳴る。


「……そう、私と一緒にいるのは、恥ずかしいのね……」


 弱々しく落ち込んだ声を発した双葉は、目をうるうると潤ませた。


「べ、別にそういうつもりで言ったんじゃ……」

「新世は……私のこと、嫌い?」


 このタイミングで、いきなりの名前呼び。

 さらに上目遣いも重なって、今の双葉はあまりにも可愛かった。


 双葉ほどの美少女に好意を抱かれ、嫌な男なんていないだろう。

 僕もそうだけど、莉愛に浮気されたばかりの負の感情や、双葉の僕に対する過大評価についての複雑な感情が入り混じっていて、どう対応すればいいかわからなかった。


「き、嫌いじゃないけど……」

「それなら、私をお持ち帰りしてくれるわよね?」

「それとこれとは……」

「うぅ……新世が私に意地悪するわ……」

「してないって……」


 困った。美少女に泣き落としされると、僕はめっぽう弱いらしい。

 

「もし、私をお持ち帰りしてくれないのなら、明日学校でどうなるかわかるわよね?」


 急に双葉の語気が強くなった。今度はシンプルな脅しだ。僕の腕を締め付ける力が強くなり、大きな胸で腕が圧迫される。どうやら、嘘泣きだったらしい。

 明日学校でどうなるのか、具体的に言わないあたりが、想像力を掻き立てて更なる恐怖心を煽ぐ。


 双葉がさっきみたいな爆弾発言を学校で連発すれば、僕の立場はどうなるかわからない。


 さっきの一件で、すでに手遅れな気もするけど、これ以上の被害拡大は避けたい。


「わ、わかったよ。でもさ、僕の家は無理なんだよ。近所に住んでる莉愛と鉢合わせるかもしれないから」


 それに、僕と双葉が一緒にいるところを莉愛が見たら、なんて言ってくるかわからない。


 浮気をしていた莉愛に、僕と双葉の関係に文句を言う資格はないけど。


「私の前で、昔の女の名前を出すとはいい度胸ね」

「そんなこと言われても……」


 双葉が今の女というわけでもないのに。

 そう思った瞬間、僕の脳裏に、ふとある考えが浮かんだ。


 僕には今、彼女がいない。

 そして、双葉ほどの美少女が、僕に好意を抱いてくれている。


 これは……新しい恋を始める、絶好の機会なのでは?


 以前から、その姿を目で追うぐらいには、双葉のことは気になっていた。

 彼女がいたとはいえ、関わりのない美少女の存在は、何かと気になる。

 恋愛感情が混ざっていない、単なる好奇心だった。

 

 そんな双葉と、友人からのお付き合いをはじめるのは悪くない。


 いきなりお持ち帰りなんて、僕にはハードルが高すぎる。

 翔や佐藤みたいな真の陽キャなら、平気でお持ち帰りするんだろうか。


 僕は恋愛に関しては、かなり奥手だ。

 双葉が僕に惚れているからといって、じゃあ付き合おうとはならない。

 僕は、恋愛に関しては、徐々に段階を踏んでいきたいタイプだからだ。

 すでに双葉の方からキスをされたので、もはや段階も何もあったもんじゃない気がするけど……。


 そう考えると、双葉は恋愛に関して、かなり積極的なんだろうか。

 実際、双葉ほどの美少女から好意を抱かれキスをされれば、大抵の男は悪い気にはならない。


 莉愛の一件がなければ、僕も浮かれに浮かれていたことだろう。


 双葉も自分の容姿が優れていることを自覚して、大胆な行動に出たんだろうか。

 だとしたら、自分の武器を最大限に生かす、策士なのかもしれない。

 ここぞという時に、僕を困らせるような言動をするし。


 お持ち帰りも、双葉の作戦の内なんだろう。

 でも、ヘタレな僕は、お持ち帰りなんてできない。


「と、とにかく。僕の家は駄目で、今日僕は誰か友達の家に泊まろうと思ってたからさ。この話は、また今度にしない?」


 本当は、合コン終わりに、翔か佐藤の家に泊めてもらうよう頼もうかと思っていた。


 でも、二人は田中と鈴木と仲良さそうに話していて、そんなことを頼める空気じゃなく、双葉の爆弾発言のせいで完全に頼めなくなった。


「それなら、私の家に来ればいいじゃない?」

「……え?」

「それだと、私が新世をお持ち帰りするってことになるのかしら。ふふ、それもいいわね」


 双葉は、ふふふ……と不気味な笑みを浮かべる。


「双葉さんの家に行くって……ご両親は? 男を泊めるなんて、さすがに許可しないでしょ」

「私、一人暮らしよ」

「あ、そうなんだ」


 逃げ道が一瞬で失われた。


「あなたは確か、ひとつ下の妹さんと二人暮らしだったわよね? ご両親が仕事で海外にいると聞いたわ」

「そうだよ」


 双葉が誰から、うちの家族関係を聞いたのか非常に気になる。  

 そういえば、僕に関する情報をさりげなく集めてたとか言ってたな。

 

 でも、双葉が僕に関する情報を聞いて回っているっていう話を、僕自身は耳にしたことがなかったから、よっぽどうまくバレないように聞いて回ったんだろうな。


 普通、全く接点のない人間の情報を集めていると、不信がられるもんだと思うけど。


 男子が双葉に関する情報を集めるのは、どうせこいつも双葉のことが好きなんだなで終わる話だけど、その逆となると怪しまれたり変な憶測が生まれたりしてもおかしくないし。


 僕の情報を集める、協力者でもいたのかな。


「妹さんは、清水女子高校に通っているのよね。一度、会ってみたいわ」

「妹は極度の人見知りだから、それはちょっと……」


 まあ、嘘なんだけど。妹とは会わせたくないというのが本音だ。


「あら、そうなの。まあ、ゆくゆくね。……話が脱線したようだけど、新世は私の家に来るわよね?」

「え、それは……」

「来るわよね?」


 双葉は、にっこりと笑っているけど、来ないとは言わせないという圧力を感じる。


「あのさ、どうしてそこまでお持ち帰りに固執するの?」

「合コンは、好きな相手をお持ち帰りするものだからよ」

「はじめて聞いたんだけど……」


 とは言ったものの、僕は合コンがどんなものなのか詳しく知らない。

 今回がはじめての参加だったし、仲良くなった後にどうするのが正解なのかわからない。


 僕と双葉が仲良くなったのかどうか、そこは正直微妙なところだけど。


 合コンで気に入った異性をお持ち帰り……それが陽キャの普通なのだろうか。


「新世が私のことを拒むのなら、明日学校で言いふらすわよ」

「な、何を?」

「新世はキスまでしたのに、私のことを蔑ろにしたって」

「なっ……」


 そんなことを学校で言いふらされたら、僕は学校での立場を失い、社会的に死ぬ。


 キスをしてきたのは双葉の方だし、僕は何も悪くないとしても、大勢が学園一の美少女の味方をするだろう。

 学校全体のカースト上位に君臨する双葉からすれば、僕の命なんて、風前の灯火のようなものだ。


「それが嫌なら、私に大人しくお持ち帰りされることね。何も、取って食おうというわけじゃないんだから」

「……そんなに僕のことを連れて帰りたいの?」

「……だって、新世のことが好きなんだもん。好きな人と一緒にいたいと思ったら、ダメなのかしら?」

 

 その可愛い言い方は、本当にズルいな……。

 不覚にも、ドキッとさせられた。


「ダメじゃないけど……」

「じゃあ……」

「……うん、わかったよ」


 観念したように僕が頷くと、双葉は満面の笑みを見せた。

 双葉の笑顔は、やっぱり可愛かった。

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