第2話 友人達

 数十分後、僕は小鳥遊家の浴室でシャワーを浴びていた。

 汗と一緒に嫌な思い出も流せればいいのに、なんてついつい思ってしまう。


「……現実なんだよな、莉愛が浮気していたのって」


 心の中で、あれは夢の中の出来事だと、逃避しようとしている自分がいた。

 認めたくなかった。信じたくなかった。

 自分の目を疑いたかったし、莉愛のことを信じたかった。


 なのに、生暖かい水の感触が、これは現実だと突きつけてくるように降り注いでくる。


 明日は学校だ。莉愛と僕は同じクラスだ。嫌でも顔を合わせる。

 どんな顔をすればいい? 何を話せばいい? 


「分からないな……さっぱり……」


 今までは、顔を合わせば、笑顔で話していた。

 でも、今後二度と、笑顔で談笑なんてことにはならないだろう。


 浮気して、僕を裏切った莉愛と、目を合わせて話すことすら難しいだろう。

 口を聞けすらしないかもしれない。


 幸せだった日常が、一転してしまった。

 僕はこれから先、どんな学生生活を送ることになるんだろうか。


「莉愛と高校生活の楽しい思い出、もっと作りたかったな……」


 その願いはもう叶わない。



⭐︎



 脱衣所に出て、タオルで体を拭いていると、脱衣所のドアが開かれた。


「着替え、持ってきてやったぞ〜」


 姿を現したのは、そらの兄で僕の親友の小鳥遊翔だった。


「着替えまで貸してもらっていいの?」

「いいも何も……汗まみれの服に着替え直すつもりかよ? 本末転倒じゃねーか」


 呆れたように言う翔に、「確かに」と言葉を返した。


「それ、翔の私服……だよな?」


 藍色の開襟シャツに、黒のスキニー。

 値段はそこそこ高そうで、サッカー部屈指のイケメンは私服もお洒落だ。

 翔とは背格好が変わらないので、僕でも問題なく着れるだろう。

 顔の出来は全然違うけど。


「ああ、そうだよ。ちゃんと替えの下着もあるぞ」

「え、下着は流石にちょっと……」


 僕が友人の下着を履くことを渋っていると、廊下から「私が近くのコンビニで買ってきた、新品の下着ですよー!」と、そらの声が聞こえてきた。

 

「そういうこと」

「何から何まで悪いな……」

「いいってことよ。それに、お前には、これから付き合ってもらうからな」

「付き合う? 何に?」

「話は後でするから、さっさと服を着ろよ」


 翔は僕に服を押し付けると、脱衣所のドアをバタンと閉めた。


「……着替えるか……」


 そらが買ってきてくれた下着を手にして、なんとなく眺める。

 後輩の女子に下着を買ってきてもらうなんて、変な気分だ。

 下着の色がピンクなのは、そらの好みなんだろうか。

 そらの髪の色と同じだしな。


 そういえば、以前、莉愛の下着を買いに行くのに付き合ったことがあった。


『新世が好きな下着を選んで』


 莉愛にそう言われた僕は、ランジェリーショップに居づらかったのもあって、適当に白のベビードールを選んだのを覚えている。


『童貞っぽい趣味だね』


 童貞じゃないことを知ってる癖に、というかお互いにはじめての相手だったというのに、莉愛はそう煽ってきた。

 今思えば、あの頃にはすでに莉愛はギャルと化していて、清楚キャラだった頃は童貞なんて言葉を人前で使わなかった。


 行為だって、以前はどちらかといえば恥ずかしがっていたのに、最近では積極的になって、二人きりになると向こうから誘ってきたりしていた。


 あれは結局、あのチャラ男好みに莉愛は塗り替えられていた……ということなんだろう。

 

「はあ……情けないな……」


 莉愛を寝取られた僕が不甲斐ないのか、他の男に尻尾を振った莉愛が全面的に悪いのか、判断するには難しい。


 人の心は不変じゃないし、いつどう揺れ動くかはわからない。

 でもきっと、あの頃から既に莉愛の心は僕から離れはじめていたんだろう。


 服を着て脱衣所から出ると、そらが待ち伏せていた。


「わざわざ下着を買ってきてくれて、ありがとな」

「どういたしまして。それより、どうですか? 私色の下着は」

「どうって……」


 変な質問をしてくるなと戸惑っていたら、そらは顔を近づけ、僕の耳元で囁いてきた。


「その下着を見る度に、私のことを思い出してくださいね」

「思い出してどうするんだよ」

「私をオカズに、エッチな妄想でもしてください」

「なっ!?」

 

 反射的に顔が赤くなった僕を見てクスッと笑ったそらは、くるっと方向転換すると、「それじゃ」と階段を上がっていく。


「小悪魔だな、あいつ……」


 階段を上がっていくそらの後ろ姿を見ながら、僕は呟く。


 そらが履いている短いスカートがひらひら揺れ、白いパンツと健康的な太ももがチラリと見えたところで、僕は視線を逸らした。


「ん、どうしたんだ? 新世」


 そらと入れ替わるように、翔がやってきた。


「いや、なんでもない」

「そっか。なら、いいや」


 さすがに、お前の妹に誘惑されたなんて言えないしな。


「なあ新世、この後暇だよな?」


 暇かどうかで言えば暇だし、今は翔に愚痴を聞いてもらいたい気分だ。


「暇だよ」

「じゃあ、これから合コンに行こうぜ」

「……は?」


 彼女持ちの人間を合コンへ誘うとは。

 いや、僕はもう彼女持ちじゃないのか。

 僕は莉愛に別れようと告げたんだから。

 莉愛も、それを拒める立場じゃないだろう。


「わかってるわかってる。お前には椎名がいるもんな。でも、男子のメンツが一人欠けちゃっててさ」

「数合わせで来いってこと?」

「そーだよ。あと一人誰を呼ぼうか悩んでたところに、新世が都合よく家に来てくれたから、これも何かの縁だと思って。数合わせで合コンに参加するぐらい、別に浮気にはならないだろ?」

「……浮気……か……」


 僕はその単語に思わず反応してしまった。

 げんなりとした僕の表情を見て、翔は「何かあったのか?」と聞いてくる。


「……実はさ、今日、莉愛と別れたんだ」

「……え? マジで?」


 翔は鳩に豆鉄砲を食らったような顔をした。

 莉愛と僕、それに翔は中学からの仲だ。

 僕と莉愛の関係性をよく知っている。

 それだけに、意外だったのかもしれない。


「まさか、浮気って言葉に反応したのって……」

「うん、部活帰りに、莉愛が浮気してるところに鉢合わせた」

「そうか……椎名と喧嘩したらしいってのは、そらから聞いてたんだけど、まさか浮気とはな……」


 翔が莉愛と喧嘩中の僕を合コンに誘うはずがない。彼女持ちの男が合コンに行くなんて、喧嘩中なら火に油を注ぐようなものだからだ。

 だから翔は、いつもの取るに足らない痴話喧嘩程度に思ってたんだろう。


「……よし! それなら新世、やっぱり合コンに行こうぜ!」

「え?」


 話の流れ的に、とても合コンに行く空気じゃなかったと思うんだけど。

 いや、むしろ、失恋の直後だからこそなのか?


「こんな時は、嫌なこと忘れる為に目一杯遊ぶんだよ。それに、今の新世をほったらかして、自分だけ合コンに行くわけにもいかないしな」


 なるほど、彼なりに気を遣ってくれているということは伝わった。

 僕も正直、家に帰る気分じゃないし、かといって、翔が出かけた後の小鳥遊家に留まっているわけにもいかない。


「じゃあ、僕も参加させてもらうよ」

「おう! 新世の新しい恋が始まるように、俺が上手いこと手伝ってやるから、任せとけ!」


 自信ありげに胸を張る翔を見て、僕は苦笑した。



⭐︎



 僕は合コンというものに参加するのは初めてだ。

 そもそも、高校生で合コンというのが、あまりイメージが湧かない。

 

 翔曰く、大学生や社会人なら一次会で居酒屋に行き、お酒で緊張も解れたところで、二次会にカラオケへ行って口説くのが鉄板らしい。

 未成年の僕らがお酒の力に頼るわけにもいかず、合コンが開かれる場所はカラオケだった。


「翔が連れてきた助っ人って、旭岡かよ」


 意外そうな顔で僕を出迎えてくれたのは、これまたサッカー部の佐藤葵だ。


「彼女持ちの人間が来る場所じゃねーよ。帰った帰った」

「そう言ってやるなよ葵。こいつ、椎名と別れたんだから」

「……ま、マジで?」


 翔と似たような反応をした佐藤だけど、口元が少しだけ緩んでいた。

 それもそのはず、過去に佐藤は、莉愛のことが好きだったからだ。

 僕が莉愛と付き合っていることを知った時、佐藤が苦虫を噛み潰したような顔になったのを覚えている。


 多分、僕が莉愛と別れたのなら、自分にもチャンスがあると思ったんだろう。


「お前、何嬉しそうにしてんだよ。不謹慎だろ」

「べ、別に、嬉しそうになんて……」

「僕としては、佐藤が莉愛にまだ未練があったことの方が驚きだよ」

「なっ、み、未練なんて……」


 佐藤の態度はわかりやすく、隠し事ができないタイプだ。

 その証拠に、目が泳いでいる。


「わかってるわかってる。友達の彼女だから、気持ちを表に出すことを我慢してたんだよな。でも、椎名の名前が出る度にお前の耳が動いてたの、俺は見逃してなかったから」

「う、うるさいな! いいだろ別に!」


 それは知らなかった。翔はよく周りを見てるな。

 

「て、てかさ。いつ別れたんだよ? 一昨日も仲良さそうに一緒に帰ってたじゃねーか。椎名なんて、旭岡が部活終わるまでいつも待ってるし」

「ついさっきだよ。莉愛が浮気してるところを見ちゃってさ」

「……浮気って、マジかよ……」


 自分が好きな人が浮気をしていた。

 それが自分の恋人じゃない場合、その事実をどう受け取るかは人それぞれだ。

 

 佐藤はどう受け取るんだろう。


「……ひでぇな。いくらなんでも、浮気なんて。どんな理由があっても、人を裏切っていい理由なんてないし。あいつ、そんな奴だったんだな」


 佐藤は、好きな人の不貞行為だからといって、盲目的に擁護するわけじゃないらしい。


 これで莉愛のことを庇われたら、家に帰るところだった。

 今は、莉愛のせいで家に帰りづらいんだけど。


「俺の家はさ、母親が浮気したせいで家庭環境が滅茶苦茶になったから、そういうの許せねぇんだよな」

「……そうだったんだ」

「はじめて聞いたわ……」


 急にずっしりと、空気が重くなった。

 もはや、今から合コンなんて雰囲気じゃなくなってしまった。

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