【書籍化】浮気していた彼女を振った後、学園一の美少女にお持ち帰りされました

マキダノリヤ@浮気お持ち帰り書籍発売中!

第1話 冷めた夏の日

 初夏の風に汗を垂らしていた、6月上旬のことだった。 


「ウソ……だろ……?」


 高校二年生になる僕こと旭岡新世は、休日の部活帰りに、彼女の椎名莉愛が浮気しているところを目撃してしまった。


 僕の数メートル前方にいる彼女の名前を、大声で呼びたい衝動に駆られた。

 手を繋いで隣にいる、そのチャラそうな男は誰だと、怒りのままに問い詰めたかった。


 でも──


「なんでそんなに、楽しそうなんだよ……」


 莉愛の楽しそうな横顔を見ると、金縛りにあったように体が動かなかった。


 莉愛は僕の人生で初めてできた彼女だ。

 僕なんかには勿体ないほどに可愛い彼女だ。

 誰にでも優しい、自慢の彼女だ。

 料理が上手くて、僕のお弁当を毎日作ってくれる、献身的な彼女だ。


 そんな莉愛が、浮気をするなんて……。


 思えば、ここ最近の莉愛は明らかに様子がおかしかった。

 綺麗な黒髪を金髪に染め、ピアスをつけ、スカートの丈もやたら短くなった。

 以前まで清楚系だったのに、完全にギャルになっていた。


 莉愛がイメチェンしてみたいと言っていたので、僕は何も口を挟まなかったが、要するに僕以外の男──あのチャラ男の影響を受けて変貌していたのだと、今になってわかった。

 

 胸が痛い。

 莉愛との思い出が脳裏を巡って、最後に目の前の光景で締め括られる。


 僕と莉愛の関係はここで終わったんだ、心の中でそう確信した。

 これ以上の思い出を彼女と作ることは、もうできないだろう。

 何も楽しかった思い出だけじゃない、喧嘩した思い出だってあった。

 それでも、なんだかんだで幸せだった。


 でも、これから莉愛との思い出ができるとしたら、それはきっと辛い思い出にしかならない。

 

「それにしても、どうするかな……」


 莉愛と別れる、それは揺るぎない結論だった。

 彼女に弁解の余地はない、というより、下手に言い訳をされたくない。

 むしろ、莉愛が開き直って、僕に別れを告げてくる可能性だってある。

 だったら、自分がこれ以上惨めな思いをしないように、先手を打ちたい。


 僕はズボンのポケットからスマホを取り出し、LIONEを開いた。


 僕のプロフィール画像は、莉愛とのツーショット写真だった。

 ギャルになる前の莉愛と、付き合い始めて一週間の時に撮った初々しい写真。


「やば……涙が……」


 止めどなく溢れ出た涙を抑えながら、僕は画面を操作する。


 どこで間違えたんだろう。どこですれ違ったんだろう。

 僕のどこが悪かったんだろう。莉愛は今何を考えているんだろう。


 何もわからない。けど、もうここで終わりなんだ。

 莉愛にとっては、とっくの昔に終わっていたことなのかもしれないけど。

  

 僕は今、この瞬間に終わる。


 僕は莉愛にメッセージを送った。

 『別れよう』という文面と、目の前で手を繋いでいる二人の後ろ姿を収めた写真を添えた。


 数秒後、莉愛のスマホの着信音が鳴った。

 莉愛はチャラ男と繋いでいた手をパッと離すと、鞄からスマホを取り出し、画面に指を滑らせ始めた。


「……ッ!?」


 莉愛が息を呑んだのがわかった。

 莉愛は足を止め、恐る恐るといった感じに後ろを振り返った。


「あ……」


 莉愛と目が合った。

 莉愛は焦点の定まらないような目を僕に向け、わなわなと口を動かしている。


 何か一言、文句を言ってやろうか。

 いや……余計に惨めになるだけだな。

  

 僕はそう思い、踵を返し、駆け出した。


「待って! 新世っ!」

 

 背後から、莉愛が僕の名前を呼んでいるのが聞こえたが、脇目も振らず走った。

 僕と莉愛の関係は、こうして呆気なく終わった。



⭐︎



 莉愛から逃げるように立ち去った後の僕は、人気がない公園のベンチに座っていた。


 もはや何も考えたくないのに、さっき見た光景が嫌でも頭をよぎる。

 部活の朝練帰りに莉愛の浮気現場を目撃してから、どれぐらいの時間が経っただろう。


 スマホで時刻を確認すると、午後4時過ぎだった。

 まだ一時間ぐらいしか経っていないから脳裏をよぎるのか、今後もあの光景が事あるごとに思い浮かぶのか、そう考えると嫌気が差した。


「げ……メッセージ96件って……」


 莉愛からメッセージが山のように届いていたので、見ずにブロックした。

 何か言い訳を思いついたのかどうかは知らないけど、莉愛の話に耳を傾けるつもりはない。


 とにかく、今は莉愛と距離をとりたい。精神的にも、物理的にも。


「はあ……家に帰ってシャワーを浴びたい……」


 走って汗まみれになったカッターシャツが肌にくっつき、不愉快だった。


「でも、家に帰りづらいんだよな……」

 

 莉愛の住んでいる家は、僕が住むマンションのすぐ近くだ。

 自宅に帰っても、待ち伏せられているか、向こうから訪ねてくる可能性がある。


 となると、家に帰りづらい。

 

「あー、今日は誰かの家に泊めてもらおうかな……」


 人知れず呟いた、その時だった。

 

「──あれ、旭岡先輩だ」


 僕の耳に、聞き慣れた少女の声が届いた。

 視線を横に向けると、同じ高校の制服を着た少女が立っていた。

 二つに束ねた長い桃色の髪が揺れ、たわわに実った柔肉が服を押し上げている。


「……なんだ、そらか」

「なんだとは何ですか! なんだとは!」


 そう言って、頬を膨らませながら近寄ってきた少女の名は、小鳥遊そら。

 彼女は中学からの後輩で、僕が所属するサッカー部のマネージャーでもあり、今日の朝練でも顔を合わせていた。


「ごめんごめん」

「全くもう……。ていうか旭岡先輩、早く家に帰ってシャワーで汗を流さないと、そのままじゃ風邪引いちゃいますよ」

「……家に帰りづらいんだよ」


 罰が悪そうに言う僕を見て、そらは小首を傾げた。


「家に帰りづらい? 家族と何かあったんですか?」 

「いや、違うけど……」

「んー……家に帰りづらくなる理由がわからないんですけど?」

「まあ、家族以外のことで、いろいろあってさ……」

「家族以外のことで、いろいろって……」


 そらは途中で言葉を切ると、「ははーん」とニヤついた笑みを見せた。


「椎名先輩と何かあったんですね〜」


 莉愛の名前を聞いて、一瞬口角が引き攣った。

 そらは僕の顔をじっと見て、「正解か〜」とくすくす笑う。


 人の気も知らないで……。


「これ以上、余計な詮索はするなよ」

「しませんよ。夫婦喧嘩は猫も食わないって言いますし」

「犬ね」

「私は猫派なんです」

「そういや、猫カフェに行くのが趣味とか言ってたな」


 だからと言って、ことわざを自分好みに変えるなと内心突っ込む。


「旭岡先輩も今から一緒にどうですか? 猫カフェ、癒されますよ〜」


 そらは「ニャンニャン」とあざとく鳴きながら、招き猫のポーズをした。


「遠慮しとくよ」

「えぇ〜っ」


 癒しが欲しいとは思うけど、今はそんな気分じゃない。

 何せ失恋が初めてだから、こういう時にどうやって気持ちを紛らわせればいいのかわからない。


 莉愛は今頃、何をしているんだろうか。

 僕に連絡を取ろうとしながら、隣にはまだあのチャラ男がいるんだろうか。

 だとしたら、心底気分が悪い。

 

「仕方ない、猫カフェデートはまた別の機会にしますか」

「そうしてくれ」


 多分行かないけどなと、心の中で呟く。


 そらは一年の男子生徒から絶大な人気を誇る女子だ。

 マネージャーのそらに釣られて、サッカー部の入部希望者が今年は増えた。

 そんな女子と猫カフェデートなんて、周りから妬まれるに決まってる。


「そういえば、話を戻しますけど。椎名先輩と喧嘩して、なんで家に帰りづらくなるんですか? もしかして、同棲でもしてるんですか〜?」


 そらは、またニヤニヤしながら聞いてくる。

 

「家が近いんだよ。帰る途中に鉢合わせたら最悪だ」

「なるほど〜……」


 そらは納得したように頷くと、思案顔になった。


「……旭岡先輩、私の家に来ます? シャワー貸しますよ」

「……いや、それはさすがに……」


 いくらなんでも、後輩の女子の家にシャワーを借りに行くのは、気が引ける。


「家にはお兄ちゃんもいますし。何も問題ないですよ」


 そらの兄こと小鳥遊翔は、僕の親友でサッカー部のチームメイトだ。

 あいつがいれば確かに何も問題は起こらない……起こすつもりもないけど。


 よくよく考えれば、翔は愚痴を聞いてもらう相手に最適だな。

 後輩のそらに、彼女に浮気されたなんて情けない話をできる筈がないし。

 シャワーを借りるついでに、気晴らしに翔と遊ぼう。


「……じゃあ、お言葉に甘えようかな」

「そうと決まれば、私のお家に〜レッツゴー!」


 屈託のない笑みを浮かべるそらを見ていると、少しだけ心が楽になった。

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