第24話 仲直り

「あぶないっ!」


 ひゅん、と音がした。


 鼻毛が飛び出して行って、もう少しで倒れそうになる愛音の体に巻きついて支えた。


「テメー、なにすんだよ!」

 すると鼻毛は、怒ったみたいな顔でおれを見た。

「こんなところで転んでケガでもしたら、何のためにオレが助けたのかわかんねーだろ。」

「ありがとう。」


 愛音は、そのビー玉みたいな目をまっすぐ見た。

 気持ち悪そうにする素振りは少しもなかった。その姿に……どきっとした。こんなの、イケメンじゃないのに。こいつは、ただの鼻毛なのに。


 鼻毛も何かを感じたのか、「おう」と小さくつぶやいて、今度は大人しく鼻の穴におさまった。


 最後に、そのぎょろついた目で意味ありげにおれを見た。

「次は、おまえがやれよ。」

 わかってるよ。わかってるけど……そういうのって、なんか、はずかしい。

 すると鼻毛はおれの鼻の穴でぼそぼそとつぶやいた。

「はずかしがってる場合じゃねえだろ。次は、助けねえぞ。」


 そういうことなのだ。


 地面を見た。岩や石が飛び出している。この間までの雨でぬかるんで、泥や葉っぱがはりついている。

 鼻毛が言うんだ、しかたない。じいちゃんにだって言われたじゃないか。


 大切な人を守れ、って。


 マジで、はずかしがってる場合じゃねーし。


「ほら。」


 思い切って、手を出した。愛音は足を止め、おどろいたみたいにおれの手を見た。困ったみたいに笑って見て、

「だいじょうぶ。ひとりでおりられる。」


 なんだよそれ。せっかく勇気出したのに。


「あぶねーじゃん。今、転びそうになったし。」

「そしたらまた、鼻毛が助けてくれるでしょ。」

 鼻毛を気持ち悪いとは思っていないみたいだ。それは、まあ、いい。


 けど。


 おれが鼻毛よりも信用されていないっつーのは、さすがにムカつく。


 気がついたら口を開いていた。


「そんなにおれのこと、いやなのかよ」

「いやじゃないよ。でもさ、守君、こういうこと、みんなにするじゃん。」


 なんなんだ、それは。


「おまえだって、するだろ。」

「あたしはしないよ。」

「けどさっき、おれのこと助けようとしてくれたじゃん。」

「あたしは、みんなにするわけじゃないの!」


 なに、おこってんだよ。

 

 言い返そうとして気がついた。

 

 みんなに優しくするわけじゃない。でも。

 おれのことは、助けようとしてくれた。


 なんか、胸の中が熱くなった。


「おれだって、別に、みんなになんかしねえよ。」

「絶対危ない、ってわかってんのに、川に入っていった。」

「だって、危なそうだったから。」

「それでおぼれちゃ、意味ないじゃん。」

 そこで、口ごもった。やっぱりおこったみたいに見て来た。

「守君はそうなのよ。困った人、ほっとけない。自分のことほっぽりだして助けようとする。そんなことしてたら、一生、死ぬまで鼻毛が出続けるんだからね!」

 歩く速度を上げた。

「おまえまでのろいをかけるようなこと言うなよ!」

「別に、のろってないし。」


 うん。わかってる。


 これは「のろい」じゃない。「願い」だ。


「あっ!」

 速度を上げた愛音の足がまた、少しすべった。でも今度は、自分でちゃんと体勢を立て直した。

「ほら、あぶねーだろ。」

「あたしはだいじょうぶなの!」

 一人で先に行こうとする。その前に回り込んだら、おこったみたいに見てきた。

「だったら、ほら。」

 もう一度手を差し出した。

「今、困ってんのは、おれのほうなんだよ。」

 無理やり手を取った。

 バチッと音がしそうに目が合った。

「えっ……。」

 愛音の顔がいっしゅんで真っ赤になった。マラソンおわった後とか、寒い日に外に出たときみたいに。


 そんなことに気づいたら、どっきん、と、心臓が音を立てた。


やっぱり……はずかしいんですけど!


「だいじょうぶ。山から下りたらちゃんと手ははなすから。」

 気がついたら口の中でもごもごと言ってて、愛音も、「うん」と、照れたみたいにうなずいた。

 でも、おれの手はちゃんとにぎりかえしてくれた。

 愛音の手はあったかくて、細くて、やわらかかった。

 おれ今、絶対顔が赤くなってる。


 おそるおそる愛音を見る。愛音も赤い顔のままおれを見た。笑ってるみたいに見えたのは気のせいだろうか。

 

そのままだまって歩いた。


 これが、愛音の本当に楽しいときの顔だったらいいな、と思いながら。


 と、その時だった。


「うわあっ!」

「きゃあ!」


 飛び出た岩をふんだおれの足が、ずるっ、とすべった。で、手をつないでいた愛音もつられてすべった。


 ひゅん、と音がして、がくん、と、首が上を向いた。つぎのしゅんかんには、ふたりでつながったまま木の枝にぶらさがっていた。


「気をつけろよ!」

 鼻毛だった。

「早く下ろせ。ぐ、ぐるじい……。」

 鼻毛もそれに気づいたみたいで、ゆっくりと地面に下ろしてくれた。

「あーあ。これでおれも、イケメン速水 守じゃなくなるな。」

「なんで?」

「だって、鼻毛飼ってんだぞ。」

「飼うとか言うな!」

「……たしかにそうだね。」

 鼻毛が反論するも、愛音も神妙にうなずいた。それで鼻毛も「うっ」と言葉につまったが、


「心配するな。いじめられたらオレが仕返ししてやる。」


 鼻の穴からぼそっとつぶやいた。愛音も笑った。


「そうなったら、今度はあたしがいっしょに遊んであげる。」


 それも悪くないかもな。


 そう思ったけれど、口には出さない。ただ、つないだ手は離さなかった。

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