第20話 親戚一号


「……え?」


 全身に鳥肌が立った。


 さっき、触れたと思ったのは。

 愛音の手?

 でもそれは、指の間をすり抜けて行ってしまった。


 全身に震えが走った。


 なんでだ⁉ なんでそんなことすんだよ!

 先生だってダメだって言ったじゃないか! 川が危ない、って言ったのは愛音自身なのに!


 ふざけんな!


 いけない、と思うのに熱いかたまりがこみ上げてくる。


「ど、どこだよ!」

「今探してる。」

 探してる、って……溺れた?

 目の前が真っ暗になった気がした。

 おれも川の流れに目を凝らした。

「あそこだ!」

 鼻毛が叫ぶ。

「どこだよ!」

「今、連れてってやる。」

 おれの体は鼻毛にぶら下がったまま振り子のように大きくゆれた。一番大きく振り切ったところで、軽くなった気がした。


 鼻毛が枝から離れたのだ。鼻毛はそのまま毛先を少し先の枝に巻き付けた。

「どこだ⁉ 愛音はどこだよ!」

「あそこだ!」

 下流の方に流れていく姿があった。体を浮かせ、流れに身を任せているみたいだった。

「い、生きてるよな⁉」

「おぼれたわけじゃない」

 だいじょうぶだとわかっていても、心配で手に汗をにぎる。激流にもまれ、体が沈んでは浮く。それを繰り返していた。


 川の流れはそれほど急には見えない。けれど、ものすごい速さで流されていた。

「助けてくれ!」

 おれは、鼻毛に頼んだ。

「頼む! お願いだから愛音を!」

「見られてもいいんだな?」

 そのとき、さっきのじいちゃんの声が頭の奥によみがえった。



「だからおまえも、大切な人を守るんだぞ。」



 この鼻毛を愛音に見られたって。それを見て愛音がおれのことをきらいになったって。


 それでも、おれは愛音を助ける。助けなきゃいけないんだ。


「構うもんか!」

 おれは声を上げた。すると今度、鼻毛が声を上げた。


「行け! 親戚一号!」

 ……は?

 一瞬、頭の中をクエスチョンマークがよぎった。

 親戚……。


 そのとたん、左側の鼻の穴から、太くて長いロープのようなものが飛び出した。


 えっ。ええええーっ!


 おれはいま、右の鼻の穴から出た鼻毛にぶら下がっていて、左の鼻の穴からは別の鼻毛が出ている。


 や、やめてくれーっ!


 親戚一号、と呼ばれた鼻毛は一直線に愛音の方へと向かった。かと思ったら、水の中に突っ込んでいった。


あっというまに愛音の体が宙に浮いた。その体には、太くて黒いロープのような鼻毛がぐるぐるに巻きついていた。


 その光景を見たときのおれの気持ち、わかってもらえるだろうか。


 マジ、やめてくれよ……。


「愛音は⁉」

「だいじょうぶだ! 水も飲んでない!」

 親戚一号は、鼻毛と同じ声で教えてくれた。


 最初、愛音はよくわからないみたいだった。ずっと息を止めていたのか、水から上がったとわかると、「はあっ」と、大きく息をした。


 それで思い出した。愛音はスイミングスクールに通っている。水にも慣れている。長い間息を止めることもできるのだろう。


 愛音は空中に浮かんだまま、しばらく肩で息をしていた。落ち着いたとたん、はっとしたように周囲を見回した。それを見計らったように、親戚一号がリールを巻くように短くなった。近づいてくる途中、

「きゃああああああっ。」

 と、声を上げた。


両手両足をばたつかせているけれど、親戚一号はびくともしない。


「な、なに! なんなの⁉」

 じたばたと手足を動かす。

「怖い! 怖いって!」

「お、落ち着け!」

「あんた誰よ! 離しなさいよ! なんでこんなことになってんのよ!」

「愛音!」

「いやあああっ!」


「愛音!」

 そこで、おれの声が耳に入ったみたいだった。


 愛音はぶるっと体を震わせた。動きを止めた後、こっちを見た。


 目が合った。


 愛音はおれを見た。それから……俺の両方の鼻の穴から出ている太いロープのようなものを。


 一本は、おれがしがみついていて。

 もう一本は、愛音の体をぐるぐる巻きにしていて。


 顔が引きつった。

 これ、ダメなやつだ。


 愛音は思い切り目を閉じた。

「いやああああああああっ!」

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