第13話 ひったくりをつかまえる
翌日、冷や冷やしながら学校に行った。
どうか、昨日の人助けの話が広まっていませんように。
あの黒いロープのことが話題になっていませんように。
おれがあそこにいたなんてこと、だれにも知られませんように!
教室に足をふみいれた時だった。
「守、おはよ!」
すでに席に座っている林に声をかけられた。となりには愛音がいた。
「ねえ、聞いた? またあの黒いロープが出たんだって。」
「あ、そ、そうなんだ。」
ちらりと友樹を見た。友樹はランドセルの中のものを机の中に入れているところだったけれど、いつ、
「実はさあ。」
と、言い出すかと、冷や冷やしていた。
「徘徊してたおばあさんが、道路で動けなくなった時に、ロープが来て助けたんだって。すごいよね」
と、その時だった。
「樋口君。」
今までだまって話を聞いていた愛音がいきなり友樹に声をかけた。
「樋口君もこの話、知ってる?」
な、なんでだっ! なんで愛音がそんなこと友樹に聞くんだよ!
友樹はいきなり愛音に話しかけられておどろいたみたいだったけれど、
「あ、う、うん。」
と、変な顔で笑った。おれはじろっと友樹をにらんだ。
言うんじゃねえぞ。言うんじゃねえぞ。ぜえええええったいに、言うんじゃねえぞおおおおおお!
っという気を送った。
それが通じたのか、友樹はぎょっとした顔でおれを見たけれど「へへへ」と、笑いながら近づいてきた。
「なんか、男子小学生が助けた、って……。」
言うなああああああっ!
思い切りにらんだけど、
「助ける、ってどうやって?」
「なんか、ロープを遠くからあやつるのがうまい、って。」
ちらっと見て来た。
言うなあああああっ!
「ええ? そうなの?」
愛音がおどろいたように声を上げ、林も、
「それは知らなかった。」
と目を丸くした。
おれは思いっきりの目力で友樹を見ながら、
それ以上言うんじゃねえぞ。
と、うったえた。
「だったらその子、名乗り出ればいいのにね。」
「ほんと。有名人じゃん。」
林の言葉に友樹がびくっと体をふるわせた。そして、
「そうだな。」
と、わずかに顔を輝かせた。
その日の放課後も、友樹が、
「行くぞ。」
と、声をかけて来た。
「どこに。」
「今日はお寺と教会。」
「もう、金はねえぞ。」
「聞くだけはタダだ。」
ふたりで歩き出しながら、念のためにマスクをかけた。
「おまえさ、なんであんなこと言ったの?」
「は?」
「今朝だよ! あのおばあさんを助けたの、男子小学生だ、って。」
「それぐらいでバレたりしねえよ。」
「へへへ」と、笑った。
「バレたっておまえはいいだろうよ! けど、おれの身にもなれよ!」
「だいじょうぶだって。俺はもう仲間だ。」
「だれが仲間だ! それは、鼻から太くて長い鼻毛出してから言え!」
「鼻毛のことがバレたって、別に誰もおまえのこと笑ったりしねえよ。人助けしてるんだから。」
「それでも鼻毛が出てるのはイヤなんだよっ!」
「そうかなあ。」
割と真顔で友樹は言った。
「人助けして有名になれるなら、そっちのほうがいいじゃん。」
わかってない。友樹は全然、わかってない。
友樹もきっと何か別のことを思ったのだろう。おれたちはしばらくだまったまま歩き続けた。
おれたちはお寺にも教会にも行った。でもやっぱり、「悪いお化け(鼻毛)」を退治することはできない、と、追い返された。
それまでは大人しくしていた鼻毛も、だれにもどうにもできないとわかったとたん、
「がーっはっはっは! だから言ったろ、ムダだって。おまえらごときにこのオレ様がどうにかできると思う方が間違いなんだ。」
マスクのすき間から飛びだし、体をくねらせてよろこんだ。
おれはそれをとっさにつかまえて、マスクの中に押しこんだ。だんだんコツをつかんできたみたいだ。
「うるさいっ!」
友樹は声を張り上げた。
あまりあてにしてないつもりだったが、ひどく落ち込んでしまった。
「守、おまえ、何でこうなったのかわかんないのかよ!」
鼻毛にバカにされてムッとしたみたいだった。
「知るか。」
教会の前の道路に置かれているベンチに腰かけた。
本当はじいちゃんの鼻毛のことが気にかかっていたけれど、友樹に話しても何も解決しなそうな気がした。
それどころか、面白がってみんなに言いふらされるかもしれない。
おれのことを言われるのももちろんいやだ。けど、じいちゃんのことを悪く言われて笑われるのはもっとイヤだ。
お互いに話すこともなく、しばらくそこに座っていたけれど、
「今、何時?」
思い出したみたいに友樹が顔を上げた。
「四時。」
「俺、行くわ。」
友樹は立ち上がった。
「帰んのか?」
「まあな。」
またかよ。……まあ別に、いいけどさ。
「きゃああっ!」
と、女の人の声がした。
振り返ったら、会社員みたいな女の人が地面に倒れていて、おれのとなりを黒ずくめの人が自転車に乗って全速力で通り抜けていった。
「ドロボー! その人、ドロボーよ!」
その声を聞いたとたん、鼻毛が緊張するのが分かった。おれもマスクに手をかけた。
「行けっ!」
「おう!」
マスクを外すか外さないかのうちに、黒いロープのようになった鼻毛は自転車の男めがけて飛んでいった。
鼻毛は、その体を男に巻きつけた。
「ああっ!」
男はその体を宙に浮かせ、持ち主を失った自転車がものすごい音を立ててその場に倒れた。
「た、助けてくれ!」
男が声を上げた。鼻毛は男をぐるぐる巻きにしたまま地面に下ろした。
「オレを切れ!」
とっさに目の前のロープを両手で引きちぎった。ぶちん、と、音を立てて鼻毛は切れ、鼻毛にぐるぐる巻きにされた男だけがその場に転がった。
とっさに周囲を見た。スーツを着たおじさんが女の人に駆け寄っているのが見えた。
「つかまえたのは、君たちか⁉」
そのおじさんが声を上げた。
おれはとっさにちぎった鼻毛の先端を友樹におしつけた。
「おまえがやったことにしろよ。」
「はあっ⁉」
「有名になりたいんだろ? おまえがあのひったくり犯、つかまえたってことにすれば、ヒーローになれる。明日から人気者だ。」
なにか言いかけるのも聞かず、そのまま走って逃げた。
「いいのか?」
鼻毛が声を上げた。
「おまえだってヒーローになれるチャンスなのに。」
「じょうだんじゃねえよ。」
足を速めた。
「絶対におまえのこと、知られたくないし。別に、ヒーローになるつもりねえし。」
「ふうん。」
鼻毛はうなった。
「それより、痛かったか?」
鼻毛にたずねた。
「え?」
「おれ、思い切り引きちぎったから。」
すると鼻毛はまた、ふん、と、鼻で笑った。
「痛いわけねえだろ。髪の毛は全部、死んだ細胞だ。」
それで、ほっとした。
「じゃあ家に帰ったら短く切ってやる。」
「残念だが、すぐに元に戻れるんだよ、オレは。」
ふざけんな。
おれは、全速力で家に戻った。
でも。
友樹の、あのとまどったみたいな顔を思い出す。
ちょっとだけいい気分だった。
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