第12話 おばあさんを助ける

 おれたちは言葉もなく歩いた。


 おれなんかは、あの五百円をムダにしてしまったことを後悔していた。


 五百円あったらアイス五回食える。ポテトチップス四袋買える。セットにしなきゃハンバーガーだって食えるのに!


 そもそも、あれは緊急用のお金だったから、何と親に説明しようかと考えていた。



 大通りに出たところで、友樹が小さく「あ」と声を上げた。

「なんだよ。」

「今何時?」

 スマホで時間を見た。

「四時。」

「やべえ。俺、行くわ。じゃあな。」

 いきなり走りだした。

「こら、友樹!」


 なんなんだよ!


 人のこと勝手に連れまわして、ほしくもないお守り買わせて、鼻毛のことも解決できないまま理由もなくいきなり家に帰るとか、ひどくねえか?


 走っていく友樹の後姿をぼんやり見つめた。


 ……仕方ない。帰るか。


 松田にまた誘われた時のために、もう一度あのゲーム、練習した方がいいかな、などと思っていた時だった。


「おい、守。」

 いきなり鼻毛が顔を出した。

「出るなっ!」

 あわてて鼻をおさえた。鼻毛は叫んだ。

「見ろよ!」


 青信号が点滅している。その横断歩道の真ん中で、おばあさんが立ちつくしているのだった。


「早く渡んねえとあぶねえぞ。」


 確かにそうだ。おばあさんはわたるでも戻るでもなく、ぼんやりとそこに立っていた。


「どうする?」

 道路の両端にいる人たちも、おろおろとその様子を見ていた。


「おばあちゃん!」


 後ろから声がした。うちのお母さんぐらいの年の女の人が声をかぎりに叫んびながら、おれたちのとなりを走り抜けていった。


 その人が横断歩道に差し掛かる前に、信号が赤になった。


「おばあちゃん、危ない!」


 女の人は、泣き叫んだ。車道側の信号が青になり、おばあさんをよけるようにして車が走り出した。盛大にクラクションを鳴らしながら、すれすれのところを走り抜けていく。


 女の人は横断歩道を渡ろうとするけれど、車に邪魔されて渡れずにいる。


 おばあさんは何が起こっているのかわからない様子で、ただ、左右を見回している。


 そしてなんと、車が通っている方に歩き始めたのだ。


「鼻毛、行け!」

「見られるぞ。」


 鼻毛が出るのを見られたらまずい。でも、あのおばあさんがひかれるのはもっとまずい。


「とにかく行け!」

 おれは片手で鼻をおさえた。 


 ヒュン!

 黒い風が舞った。


 と、そのときだった。


 誰かがおれの前に立った。


 全身から血の気がひいた。おそるおそる目を向ける。


 ぜい、ぜい、とはげしく肩で息をしている。ショートパンツにランドセル。そのランドセルには青と白の布でできた体操袋がちぎれたひもでくくりつけられていた。


 友樹だった。


「友樹、おまえ。」

「見られたら困るだろ。」


 友樹はおれの顔をかくすように前に立ち、両手で鼻毛をつかんだ。


 まるで、友樹が黒いロープをあやつってるみたいに。


「……ありがと。」

 ちょっと、じん、ときた。


 まさか友樹がこういうことしてくれる奴だと思わなかったから。


 その間にも鼻毛はおばあさんの体をぐるぐる巻きにして空中に持ち上げた。


「うわあっ」という声がして、おばあさんはそのまま空を飛んでこっち側の歩道に下ろされた。


「ひっこめ鼻毛!」


 すると、ものすごい速さで鼻毛がおれの鼻におさまった。


「おばあちゃん!」


 女の人がそのおばあさんを抱きしめた。おばあさんはおどろいたみたいに周囲を見回すだけだ。


「なんだ、今の。」

「黒いロープだ!」

「どこから出たんだ?」


 まわりの人が何事かと見ている。スマホで撮影している人もいて、頭の後ろがひりっとした。


 こっちにスマホを向けようとしたので、おれたちは急いで背を向けた。


「さっきのロープ、どこいった?」

「あの小学生が持ってたんじゃない?」

 じろじろと見られている。


「行こうぜ」その人たちと反対側に歩きだしながら、


「ありがとな。」

 思わず声をかけると、友樹は小さく笑った。そして、

「じゃあ俺、行くわ。」

 と、走って行ってしまった。


 おれは、速足で歩き出した。

 歩きながらこっそり振り返る。


 女の人が泣きながらおばあさんをだきしめていて、おばあさんはわけがわからないといったようにこっちを見た。


 目が合った気がした。すると、おばあさんは何を思ったのか、深くおじぎをした。


 いや、それ、いいですから!


 おれも小さく頭を下げて、走ってその場を後にした。

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