第8話 鼻毛、怒る

 友樹は、ひきつった笑みを顔に張り付けた。


「なんだよ、今の。」

「な、何言ってんだよ。」

「なに、あれ? なんで鼻の穴からロープ出してんだよ。どんな手品だよ。」


 いつものように「へへへ」と、笑った。

 こいつは、口から生まれたおしゃべり男だ。


 ざあああっと音を立てて全身から血の気が引いて行った。


「なんでお前がこんなところに居るんだよ!」

「いっしょに帰ろう、って言おうと思ったらものすごい速さでいなくなるから、必死についてきたんだ。」

「こうなる前に話しかけることだってできただろ⁉」

「お前が早く歩きすぎるせいだ!」

「おまえがおせーんだよ!」


 そう、声を荒らげた時だった。友樹の笑顔が意地悪くゆがんだ。


「みんなに教えてやろ。イケメン、速水 守の真実!」

 そこで、かあっと頭に血がのぼった。

「……いい加減なこと言うな!」

「見ちゃったもんね。鼻から出したロープで……。」

「ふざけんな!」


 何かを感じたのか、こうなることがわかっていて言ったのか。


 おれがとびかかろうとした時にはすでに、友樹は背中を向けて走り出した後だった。おれは全速力で友樹を追いかけた。


「オレがつかまえてやろうか?」

 鼻毛が言うのへ、

「バカ! こんなところでお前が出たらみんなに見られる! 友樹にも見られるってことなんだぞ!」

「まあ、たしかにな。」


 ふざけんな、友樹! おまえの体操服拾ってやったのおれだぞ! そのお返しがこれって、どーゆ―ことなんだよ!


 友樹はそのまま路地を抜けて大通りに出た。もう少しで追いつく、という時だった。友樹はすでに点滅しはじめた横断歩道を渡り始めた。おれも行きかけて、


「やめろ!」

 鼻毛の声で足を止めた。

「途中で赤になる。今度こそひかれるぞ。」


 突然今朝のことを思い出し、足がすくんだ。まるで鼻毛が予言でもしたかのように、こっちの信号が赤になったとたん、車道の車がものすごい勢いで通り過ぎて行った。


 友樹はすでに横断歩道を渡り終えていた。

 だめだ。これじゃあ追いつけない!


 頭の中がぐらっとした。

 と、その時だった。


「オレに任せろ!」


 甲高い声がしたかと思うと、ビュン、と、黒い風が舞った。


 おれの体から出た黒いロープのようなものが目にもとまらぬ速さで信号に巻きついた。


 いやな予感に世界がぐらっと揺れた。……と思ったら、鼻毛に引っ張られて顔が上を向いた。


 だから、これ、ダメなやつだろおおおおおおっ!


 と思った時には、おれの体は宙を舞っていた。

 ダメだ。こんなの、スマホで撮影されて拡散されたらおれの人生、終わりだ。


 そんなおれの気持ちも知らずに、鼻毛は声を上げた。

「いた! あっちだ! 先回りだ!」


 友樹は大通りを渡った向こうにある「しらさぎ公園」に向かっていた。


 遊具はないけれど、木や茂みがあって、真ん中には噴水がある。子供はあまりいないけど、朝とか夕方にはジョギングしたり散歩をしたりする人がいる、そういうところだ。


 友樹は噴水の前を通りすぎ、小さな山のようになっている方へ走っていった。背の高い木が歩道の両側に植えられていて、人気はない。


 鼻毛はどこかに体を巻きつけ、おれを宙に放り上げてから巻きつけていた体を離し、少し進んだところにある木に体を巻きつけ、またおれを放り投げて前に進める。


 言ってみれば、うんていをするときみたいな感じでおれを運んでくれてる感じなんだが、上に行ったり下に行ったりで、胃がひっくり返りそうだ。最初に学校まで連れて行かれた時は死にそうにこわかったけど、恐ろしいことにだんだん慣れ始めている自分がいた。その証拠に、今はしっかり目を開けて友樹がどこにいるのか確認することができた。


 友樹は、人の顔がたくさんついた鉄の像がある小さな広場に向かっているようだった。


「下ろすぞ。」

「わかった。」

 そして、この感じで鼻毛が像のある広場におれを下ろそうとしているのもわかった。地面が近づいてきて、足がついた。衝撃をかわそうとしてしゃがみこんだのだが。


 両手を広げてバランスを取ったら、

「何カッコつけてんの?」

 鼻毛が大爆笑した。

「めっちゃポーズ作ってる。」

「うるせええっ! いいからお前は早くかくれろ!」


 鼻毛もそのつもりだったのか、おれが言い終わる前にすでに鼻の穴におさまった。おれは像の陰に体をかくした。息を切らせて友樹がかけこんできた。はあ、はあ、と、息を切らせながら後ろを振り返った。


「おい!」

 おれは、像の陰からすがたを現した。友樹は目を丸くして、

「ひゃああああああっ!」

 と、まぬけな声を上げた。

 とたんに真っ青になり、

「な、なんでこんなとこにいるんだよ。」

 そして、またひきつった顔で「へへへ」と、笑った。


「また、さっきの手品、使ったのか?」

「……だれにも言うなよ。」

 おれは友樹につめ寄った。友樹は後ずさった。

「さあ、どうだろうな。みんな大喜びするぜ。学校一のイケメン、速水 守が鼻からロープを出す手品で子供を救った、なんて話。俺は、この目で見たんだ。」

 顔が引きつっている。その意地悪に笑う表情に、かっ、と、頭に血がのぼった。

「てっめえ……!

 もう一度近づいた。友樹が飛びすさる。

「こいつ、あほだな。」

 いきなり鼻毛が言った。

「そこまでして人気者になりたいのか。」

「あほとか言うな!」

 友樹はどなった。そして、「ん?」と、動きを止めた。

「今、おまえがしゃべった?」

 ぎくっ。

「お、おう。」

「おまえ、頭までどうかしちゃたの?」

 友樹はまた、「へへへ」と笑って見せた。

「おまえ、今朝からおかしいもんな。一人でぶつぶつしゃべって。」

「そ、そんなこと。」

「言いふらしちゃおっかな。」

「ふざけんな。」

「イケメン、速水 守はあ!」

「だまれよっ!」

「やめろ、守!」


 鼻毛の声が聞こえた気がした。でもそのときはすでに、友樹の胸ぐらをつかんでいた。

「だまれ、っつてんだよ!」

「鼻からロープを出してえ。」

 そのへらついた顔を見ていたら、かっと頭に血がのぼった。

「おまえ、そんなんだから友達いねーんだよ!」


 気がついたら口に出していた。友樹の顔がこわばり、両目に怒りがにじんだ。ものすごい強い視線でおれをにらみつけ、

「おまえに何がわかるんだよっ!」

 おれの胸ぐらをつかみ返してきた。


 ふざけんな! 最初に言いふらそうとしたの、おまえだろ!

 えらそうにすんじゃねーよ。友樹のくせに!


「おまえのことなんか、知りたくもねえよ!」

 こぶしを振り上げた、その時だった。


 びゅん、と音がして、黒い風がおれたちの間に割って入った。

 しゅううう、と風を切り、鼻毛がおれの鼻の穴から飛び出した。

「ひ、ひ、ひえええええっ!」

 友樹が情けない声を上げる。鼻毛の毛先がいきおいよく空に向かった。


 全身から、ざーっ、と、音を立てて血の気が引いて行った。鼻毛は一定の高さまであがったところで、一度止まり、今度はものすごい速さでもどってきた。


 どんっ!


「ひいいっ!」


 友樹は、黒い風に胸を突かれて、おれから離れた。


「守! ここはオレに任せろ!」

 甲高い声がさけんだ。

「それだけはやめてくれっ!」

 けれど鼻毛はいかり心頭のようだった。

「おまえが何と言おうと、オレはこのヘタレをゆるさねえーーっ!」


 黒い風になった鼻毛は、あっというまに友記をぐるぐるまきにして持ち上げた。

「ひえええっ。な、な、な、なんなんだよ、これはっ!」


 おれにはわかる。なにがどうなっているのかは。しかし、どうやって止めるかなどわかるはずもない。だっておれ自身、あまりのおそろしさに体がすくんで動けないのだから。


「オレは、ロープじゃないっ!」

 鼻毛は叫んだ。

「鼻毛様だああああああああっ!」

 そして空中で何度もぐるぐる友樹を振り回した。


 だからそれ、ダメなやつだろおおおおっ!

「やめろ、鼻毛!」

「なんでだ⁉ こいつはお前をおどしたんだぞ!」

「と、とにかくやめるんだ!」

「オレをロープ扱いしたんだぞ! こんなのただでおくわけにはいかねええええええっ!」


「ぎゃあああっ」と、空中で悲鳴を上げる友樹を見ながら、おれは思った。


 そこ、怒るポイントじゃねーだろ。


 怒りくるう鼻毛と、それに振り回される友樹を見た。鼻毛が自分の鼻から出ているにもかかわらず、冷静になっていくのを感じていた。


 まずい。絶対にまずい。友樹にだけは知られてはいけなかったのに。


 絶望的なため息がこぼれる。


「イケメン、速水 守」はその地位を失ってしまった。明日からは「鼻毛出してる速水 守」になって、みんなからバカにされ、からかわれ、いじめられるのだ。


 まだ、友樹は宙を回り続けている。おれもそれを見ながら、頭がくらくらするのを感じていた。

 ああ、ダメだ。目が回る。見なきゃいいんだ。そうなんだけど。


 目が。目が……。


 そのまま意識がなくなった。

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