第7話 いきなりバディ⁉

 おれは授業が終わると、走って学校からとび出した。下校途中の奴らの間をすり抜けるみたいにして、通学路とはちがう道に入った。


 大きなマンションが立ち並ぶ一角だった。

「こら、どこ行くんだ。おまえんちはこっちじゃないだろ。」

「おまえのことをみんなに見られたくないからだろ!」

 おれはうなった。

「明日は、学校でマスクつけてやる。」

「ふふん。マスクをつけようがつけまいが、オレには関係ないけどな。」

 鼻毛のくせに鼻で笑った。

「だまれ、鼻毛!」

 と、その時だった。


「おい、あれ!」

 男子の声がした。下校途中の何人かが立ち止まって上を見上げている。おれも、何だろう、と思って声の方を見た。

 マンションの上の方。十階とか、それくらい。

 ベランダの柵に、何かがひっかかっていた。

 もぞもぞ動いている。


 子供……⁉


 手に冷たい汗が浮いた。

 近くにいたベビーカーを押した女の人が立ち止まり、

「あれ、子供じゃない⁉」

 と、一緒にいた別の子連れの女の人に言った。


 ……やっぱり!

 全身に鳥肌が立った。


 もう一度目を凝らして見てみる。三歳ぐらいの女の子だろうか。ベランダの柵から両手を下の方に突き出し、体を半分くらい前に乗り出していのだった。


 頭の毛が全部逆立つような気がした。


「警察呼ばなきゃ! 救急車⁉」

「わかんない!」


 大人までがパニックになっている声を聞いて、自分まであせりはじめる。


「親、気がついてないのかな。」

「ベランダには誰もいないよ!」

 あまり人通りの多くないこの通りに、人だかりができた。


 助けなきゃ。でも、どうやって⁉

 今まで上半身を乗り出していただけの女の子が、片足で柵をまたいだ。


「ああっ!」

 悲鳴が上がった。

「あれじゃ、落ちちゃうよ!」

「警察に電話する。」

 女の人は決心したみたいにスマホを耳に当てた。


 女の子はそこでようやく下を見たようだった。今までもぞもぞしていたのが、動きを止めた。


 気がついたら体が動いていた。

「おい、鼻毛。」

「なんだ。」

「あの子、助けるぞ。」

「おう。」


 鼻毛もわかっていたみたいだった。おれは近くの路地にかけこんだ。人気がないのを確認する。


 部屋の中からお母さんらしき人が出て来た。何か声を上げて子供の腕をつかんだ。もう片方をつかもうした、その時だった。


 女の子の体がすべって柵を超えた。


 その重みのせいで、おかあさんの手が女の子の腕から離れた。


「きゃあああああっ!」


 その場が悲鳴に包まれた。


「行けえっ!」

「おう。」


 しゅうううっと風を切り、鼻毛が伸びた。


 ものすごい速さで落ちる女の子。鼻毛は真っ黒い風のようにおれの鼻の穴から飛び出した。一直線にマンションの屋上に向かう。


「おまえ、何やってんだよ!」

「いいから!」


 鼻毛は屋上に立っている棒みたいなものに体を巻きつけた。そしてものすごい速さでその毛先が落ちる女の子を追った。そして。


 女の子の体は一度ずんっ、と引っかかるみたいに落ちて、そのまま空中で止まった。


 いつの間にか鼻毛が女の子に体にぐるぐるに巻きついていた。目にも見えない早業だった。


「おおおおっ。」

「止まったぞ。」

「どーなってんだ⁉」

「ロープじゃないか?」

 群衆から声が上がる。


「これ、どうする⁉」

 鼻毛が聞いてきた。

「お母さんのところに戻してやれ!」

「承知!」


 空中で止まっていた女の子が、また、一直線に上に登り始めた。


「な、なんで⁉」

「飛んでる⁉」

 またみんなが声を上げ始めた。


 鼻毛に抱えられた女の子がベランダの柵の内側に入った、と思ったら、鼻毛が言った。


「お母さん、っていってごらん。」


 その後すぐ、鼻毛の先端が軽くなるのを感じた。

 ビュン。

 次の瞬間、鼻毛はものすごい勢いで戻ってきておれの鼻の穴に引っ込んだ。


 すべてが一瞬の出来事だった。これだったら、誰にも見られてないと思う。


 ほうっと息をついた。


「ちゃんとお母さんに渡したか⁉」

「ああ。落ちたと思って一階に行こうとしてたんで、窓から入って、あの子に声をかけさせたんだ。」

「お母さん、どうだった?」

「ぎゅって抱きしめてた。泣いてたと思う。」

 なんか、じん、とした。

「……よかったな。」


 その時、お母さんが一人でベランダに出て来た。手を柵にかけて、上を見たり下を見たりしている。命の恩人のすがたを探しているようだった。


 それを見たら、本当に助かったんだ、と、ほっとした。


「助かったよ。」

 声をかけると、

「ああ。」

 鼻毛も興奮を隠せないようだった。


 遠くからパトカーのサイレンが聞こえて来た。


「すげえな。オレたちバディじゃん。」

「バディ言うな! おれは人間、おまえは鼻毛!」

「いいじゃん。人間と鼻毛のバディ。」

「ふざけんな。」


 そんな軽口をたたきながらも、それほどいやな気分ではなかった。本気で、鼻毛が伸びたり縮んだりしゃべったりすんのはイヤだしキモい。でも……あの女の子を助けることができたのは、バディが誰であったとしても気分がよかった。


 機嫌よく路地から出ようとした、そのときだった。

「おい、守。」

 聞きなれた声がした。

 ぎょっとして動きを止めた。

 もしかして、今の、見られた……⁉


 このまま知らん顔して逃げ出すか。


 振り返って顔を確かめるか。


 確かめた方がいいだろう。


 おそるおそる振り返る。最初に目に入ったのは、ランドセルの脇に、結び直したひもでくくりつけた、青と白のチェックのプリント生地の袋。


 ゆっくり視線を顔に向ける。


 友樹だった。


 いい気分になっていたのが、一気に突き落とされた。


 なんでおまえがここにいるんだーっ!

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