第6話 困った鼻毛

 ほんとにその日は散々だった。


 算数のテストがあったのだけれど、おれが必死に計算しているのに、鼻毛がいきなり、

「おい、一の位の計算、間違ってるぞ。」

 などと言い出した。


「だまれ!」

 思わず声を上げたら、担任の辻先生から、

「どうした、速水?」

 と、言われた。


 辻先生は三十五歳くらいの男の先生で、体も声も大きいからふつうに言われただけで思わずびくっとしてしまう。


「なんでもありません」と、もごもご言ってうつむいた。まわりの子たちが「変なの」というように笑っている。で、終わったばかりの計算をし直したら、たしかに間違っていたのだった。


 なんだよ! お前に言われなくたって、見直しすればわかることなんだよ!


 ムカッとしながらも答えを書き直した。そしたら、足元に誰かの消しゴムが転がってきた。拾おうとした時だった。


 ヒュン。


 何か黒いものが横切った気がした。


 鼻毛だ。床に落ちていた消しゴムを拾って、おれの机の上に置いたのだった。


 おもわず、全身に鳥肌が立った。


 鼻毛のやつ! なんで学校でこんなことするんだっ! だれかに見られたらどーすんだっ!


「……テメー、なにやってんだよっ!」

 鼻毛に言った時だった。

「ご、ごめん。つい、手がすべっちゃったんだ。」

 斜め後ろからびくついた声がした。


 ハッとして振り返る。友樹が「へへへ」と笑った。


「それ、俺の消しゴム。」


「別に、お前に言ってるわけじゃねえから。」

 と、こっちもひくついた笑顔で返したら、

「こら、しゃべるな!」

 と、先生に怒られた。すると、

「こうなったら困ると思ったから、わざわざ拾ってやったのに。」

 鼻毛が笑った。


「だまれ!」

 と言ったら、

「おまえがだまれ。」

 と、先生におこられた。


 それだけじゃない。


 今週は給食当番だ。男女二人ずつで、女子のうちの一人は愛音で、もう一人の男子は友樹。


 昨日まで何の疑問もなくこのメンバーでふつうに給食当番をしていたのに、今日に限っては「なんでこうなんだよ!」と、叫び出したい気分だった。


 ワゴンからおかずの入った入れ物を出し、ふたをあけたとたん、

「すっげー、うまそー!」

 と、鼻毛が叫んだ。中に入っていたのは大量の唐揚げだった。残りの三人がぎょっとして、


「なんだ? 今の声。」

 と顔を見合わせた。愛音もぎょっとしたみたいにおれを見たけれど、となりにいた林 朋美がおれを見て、


「今の守君が言ったの?」

 と、笑った。本当はギクッとして冷汗たらたらだったけど、

「えー、なんでおれなんだよ。」

 と笑って見せた。

「だよねー。守君はあんな変な声、出さないよね。」

 林はもうひとつのおかずの入った入れ物に手をかけた。これ以上色々言われたら面倒だと思って、

「あ、いいよ。これ、重たそうだからおれがやる。林はあっちのデザートカップ、トレーに乗せといてよ。」

「わかった。」


 林は、テーブルの端の方へと向かった。

「なんか、おまえっていつも女子にやさしいよな。」

 友樹がバカにするでもなく言ってきた。イラっと来たので、

「じゃあお前もあっちでミルクをトレーに乗せろよ。こっちはおれがやるからいい。」

 と、追いはらった。周りに人がいなくなるのを確かめ、ビニールの手袋に手をつっこんだ。


「テメー、声出すな、って言ったろ!」

 唐揚げを二つずつ皿に入れながら、マスクの下から鼻毛に文句を言った。けれども鼻毛はこりる様子もなく、


「だって、すっげえうまそうだから。」

「鼻毛が唐揚げ食ったらおかしいだろ!」

「しかたねえだろ、いいにおいなんだから。食えないのが残念だ。」

「だから、だまれってば!」

 思わず声を上げてしまった。


 はっとして顔を上げる。冷たい視線がつきささる、と思ったら、パンの箱に手をかけていた愛音が半分怒ったみたいな顔でおれを見ていた。


「あたし、何もしゃべってないけど。」

「あっ、あっ、ごめん。あの、そうじゃなくて。」


 愛音は乱暴なため息をついて、「うんっ」と、ワゴンからその入れ物を持ち上げた。手伝おうか、と言おうと思った時にはもう机の上に移した後だった。


「おまえ、要領悪いな。」

 鼻毛が笑った。

「なにがだよ!」

「今のは愛音を手伝うところだったな。林のことは手伝ったんだからさ。」

 ちょうど思っていたことを言い当てられたのでムカッとした。

「だまれっ!」


 また、声を上げてしまった。愛音の冷たい視線がつきささった。


「あたし、しゃべってないけど⁉」

「ご、ごめん。」

「あたしもあっち行こうか⁉」

 声がおこっている。

「ごめん。手伝ってください、お願いします。」


 愛音はじろっとおれを見た後「ふうううううっ」と、イラついたため息を残して手袋に手をつっこんだ。

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