第5話 樋口 友樹
教室に足をふみいれた時だった。
「すっげえ、人がいっぱいいる」
鼻毛が声を上げた。
「外に出んなよ!」
「これが学校かあ」
「だまれ」
「やだね。せっかく外の世界を見られるのに。こんなチャンス、めったにないんだぞ」
かちん、と、頭の中で音がした。ポケットの中から入れっぱなしでぐちゃぐちゃになっているティッシュを丸めて、鼻毛がいる方の鼻の穴につっこんだ。
「なにすんだよ! これじゃあ、なにも見えないじゃないか。っていうか、このティッシュくさいぞ! いつのだよ! 鼻水ついてるぞ!? こら、守!」
「呼びすてにするな!」
思わず声を上げた、そのときだった。
「ああああっ!」
ぎょっとして声の方を見る。
友樹だった。
やばいっ!
鼻毛に気づかれたのかと思って、全身から汗がふき出た。
やばい。やばいやばいやばいやばい。――はやく、どっか行け!
おそるおそる友樹を見た。友樹の目は、おれの手にくぎ付けになっていた。
「俺の体操服!」
「ひ、拾ったんだ」
「助かったぜ! 実はさー、学校に来たらないのに気づいてさー、失くしたら母ちゃんにおこられる、って思って、あせってたんだよ」
「へへへ」と笑いながらひとりでまくしたて、おれの手からその、ひもの切れた袋をうばった。で、
「ありがとな」
と言った友樹は、おどろいたみたいに顔をのぞきこんできた。
「……おまえ、どうしたの?」
鼻毛、出てんのか⁉
こいつにバレたら終わりだろおおおおっ!
とっさに両手で鼻をおさえた。
「鼻にティッシュなんかつめて」
セ、セ――フ!
「は……鼻血」
もう少しで「鼻毛」というところだった。あぶねー、と、心の中でつぶやく。
ほんとは「イケメン速水 守」が鼻にティッシュつめてるとかありえないんだけど、今回は非常事態だ。仕方がない。イケメンだって鼻血は出るのだ。
自分の机に向かおうとしたら、
「それより、ビッグニュース」
友樹は、わざとまわりに聞こえるくらいの大声をはり上げた。ちなみに、友樹のビッグニュースがビッグだったことは一度もない。
例えば。
桜の葉っぱは桜餅の匂いがする、とか。
校長先生が庭の手入れをしていて、雑草と間違えて植えたばかりのチューリップを抜いてしまった、とか。
校庭でハムスターが走っているのを見た、とか。
ビッグでも面白いわけでもない。ウソかほんとかもわからない。全部がビミョー。
ふだんはあんまり友達もいなくて空回りして白い目で見られている友樹は、おれと話しているとみんなから注目される、と、わかっている。
だからこうやって、おれといるときに「ビッグニュース」と言ったりする。
うぜえよ、と、突っぱねたいんだけど、イケメンで性格悪いときらわれそうだ。
それは、まずい。
仕方ないから、友樹の方に顔を向け、聞いてる振りをする。
「来週の、春の遠足。亀高山(かめたかやま)で山登りじゃん?」
「そうだけど」
「今年は『沢を渡るコース』に決まったらしいぜ」
「……それが、ビッグニュース?」
「だって、どのコース行くかなんて、まだだれも知らないんだぜ」
おまえのビッグニュースはいつでも小せえんだよ!
と思ったところで、気配を感じた。
思い切り両目をよせて下を見た。ぎゅうぎゅうにつめたティッシュと鼻のすきまから、鼻毛が顔を出していた。
目が合ったしゅんかん、頭の中がまっ白になった。
「なに見てんだよ!」
すると、ぎょっとしたように友樹がおれを見た。
「なにおこってんだよ。別におまえのことなんか見てないよ」
「別に、おまえに言ったわけじゃない!」
友樹に言ったのだが、
「おまえ、意外と気が短いな。小さい男だ」
鼻毛が笑った。
「うるさいっ!」
つい、どなった。クラス中が、しいん、と、静まり返った。おれの向かいでは、友樹が引きつった笑みを浮かべておれを見ている。
や、ヤバい。おれ、感じ悪くね? ど、どうしよう。
と、そのときだった。
「樋口くん、それ、ほんとなの⁉」
明るい声がした。
愛音だった。
愛音は気まずくなったおれたちの真ん中を切り裂くみたいに歩いてきて、
「へえ。今年は、『沢を渡るコース』に決まったんだね」
と、笑った。クラスでもちょっと残念なところにいる友樹は愛音に話しかけられたのがうれしかったみたいで、
「そうなんだよ!」
と、声を張り上げた。それからは愛音と友樹を中心に人が集まり、遠足のことで盛り上がり始めた。
おれは、ほおっ、と、ため息をついた。
助かった。
ちらっと愛音を見た。愛音もおれをちらっと見た。
でも、すぐにそらされた。
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