第2話 鼻毛との出会い

 異変に気付いたのは、朝だった。


 いつものように早く起きて、髪を洗ってドライヤーで髪を乾かそうとした。いつものように何気なく右ななめ横からの一番カッコよく見えるポジションから鏡をのぞきこんだ。


 と。


 ぎょっとした。


 右側の鼻の穴から鼻毛が出ていた。それも、すっげえ長いやつ。くちびるまでとどくぐらいのすごいやつ。


 イケメンにあるまじき事態!


 体中に寒気が走った。お父さんの使ってる鼻毛切り用のはさみできれいさっぱり根元の方から切った。


 髪を乾かし、いつもようにワックスで、ねーちゃんに教えてもらったとおりにかっこよくセットした。


 で、いつものように朝飯食ってたんだけど、いつものように遅刻しそうになった。あわててランドセルを背負って、


「行ってきます!」

 と、家を飛び出した。すでに通学途中の生徒たちのすがたもない。


 いつものように「飛び出し注意」と書かれた看板のところから道路を渡ろうとして気づいた。


 車道の真ん中に、袋が落ちていた。青と白のチェックの布でできている。体操服の入った袋かな、と、思った。


 だれのかわからない。わからないけど、歩道に落ちていたのを面白がってふんだり蹴ったりされて、とうとう車道に蹴りだされた、って感じだった。


 気がついたら飛び出していた。ここは住宅地の道路だから、車なんかほとんど来ない。

 拾い上げたら、案の定、だれかに蹴られたみたいに靴あとがついていた。


 持ち主が少し気の毒になって、名前を見た。


 六年二組 樋口 友樹


 あいつかよ。

 あのへらへらした笑顔が頭に浮かんだ。


 友樹とは、同じクラスだ。


 あいつは、とにかくおしゃべりだ。クラス一、いや、学校一、と言ってもいい。チャラくて、なんとなくどこにもなじめずにビミョーに浮いている。口が軽いから信用もされていないし、みんなもあんまり話したがらない。でも本人は全然気づかずに話に割り込んでくる。


 こんなところにこんなものを落としていても、うっかり蹴られても「あいつなら、ありえる」と、思ってしまう。


 教室で渡せばいいか。


 ひもの部分を手首にかけようとして、気づいた。切れている。それで落ちたのか。仕方なく口のところをつかんだ、その時だった。


 エンジン音がした。


 こんな細い路地には危ないくらいのスピードを出した車がタイヤをきしませて曲がってきた。パパパパパーというクラクションの音。


 おれは、イケメンというだけでなく、スポーツ万能。ふだんならこんなの、ぱっとよけられる。……のはずなのに。


 体がすくんでしまった。


 動かなきゃ。わかってる。わかってんだけど。


 ヘッドライトのまぶしい光が視界をさえぎり、同時に、キイイッというブレーキ音に包まれた。


 ぶつかる!

 と、その時だった。

「あぶない!」


 甲高い声がして、とっさに目の前に黒いロープが舞った。と思ったら、がくん、と顔が上を向いた。そのままつり竿に引っかかった魚みたいに体が浮いた。


 な、なんなんだ!


 そう思った時には、歩道に下ろされていた。車はブレーキ音をきしませながら、にげるみたいに角を曲がった後だった。


 こわかった。


 足がふるえた。それで、やっと思い出した。どういうわけだか助かった。お礼を言おうとして気づいた。


 そのロープが、おれの体がから出ていた。おれの……鼻の穴から。


「ひいいいっ!」


 あわてて飛びすさった。けれど、ロープは宙に浮いたままついてきた。あんまりキモくて、全身から冷汗が吹き出した。そこで気づいた。


 こんなのほかの人に見られたら、おれのイケメン人生は終わってしまう!


 とっさにあいた方の手でつかんで引っ張った。


「いてっ!」

 さっきの甲高い声とともに、鼻のおくがつーん、とする感じにいたんだ。


「てめー、命の恩人に何すんだよ!」

 そのキンキン声が言ったかと思うと、そのロープはおれの手の中でうねった。


「ぎゃああああっ!」


 ぎょっとして手をはなしたら、ひもの先たんが目の高さまで来て、ぴたりと止まった。そして、


「ううううううんっ!」

 びりびりふるえたかと思うと、ぽんっ、と音がした。


 目が合った。……目⁉


 ひもの先たんに、それはあった。ぎょろっとした大きなビー玉みたいなものが二つ。


「ぎゃあああああああっ!」

「ひいいいいいいいいっ!」


 おれの声と、さっきの声が重なった。いつの間にか、さっきのひもの先たんに大きな目玉がふたつついていて、おれを見ているのだった。


「ななななっ、なんだよ、これ!」

「すっげえ。」


 声は言った。ひもの先たんに現れた目は、きょろきょろとひととおりまわりを見まわした。まるで、自分でもこうなることを知らなかったみたいな言い方だった。そのビー玉みたいな目はキラキラと輝きながらもう一度周りを見回した後、おれに向き直った。


「オレが、車にひかれそうになったおまえを持ちあげて助けてやったんだ。」

 あまりのキモさに、体がすくんだ。

「な、なんなんだよ、おまえ。」

「鼻毛だ。」


 わかっていたような、いなかったような。


 いや、わかってなかったんじゃない。


 信じたくなかったんだ。


 おれはその、ビー玉みたいなふたつの目を見ながら考えた。


 なぜ、目がある?

 なぜ、しゃべる?

 なぜ、こんなに長い?


 そこで気づいてしまった。

 鼻毛と言えば。


 じいちゃんだ。

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