第2話:もう1つの世界

「ただいまー。えっ、アンタ何してんの?」

 あの後逃げ帰った俺は、家のソファに倒れ込んだまま動けずにいた。

「…。」

 姉貴はでかいため息をついて、

「さっき北条さんから連絡あったよ。後で家に来るってさー。」

「その件なんだけど…。」

 さっきの件を切り出そうとしたところでインターホンが鳴った。


「お久しぶりです。」

「北条さん、紅茶でいいですかー?」

「ええ、いつもありがとうございます。茜さんの淹れてくださる紅茶は美味しいですすからね。」

 目の前に座っている男。全身真っ黒な身なりで、背が高くて切れ長で…。絵に描いたような、イケメンってやつだ。

 俺はこの人はとっつきにくくて苦手だ。

「で、今日もいつもの話っすか?今回の件も正直心当たりなんてありませんけど―」

「ああ、今日は龍騎君に用がございまして。本日貴方の学校に草野ミドリさんという方がいらっしゃったはずです。」

 驚いて勢いよく立ち上がる。椅子がガタッと音を立てた。


「…やっぱり、あいつは俺らと同じなんすか。」

「厳密には違います。彼はなんですよ。」

「はあ!?…てかあいつに俺を会わせたのもアンタらなんだろ?あっちの人間がいるってことは行く方法があるって事なんだよな?なあ、教えてくれよ!!俺も…!」

「落ち着け、ボケ。」

 頭を小突かれる。紅茶を持ってきた姉貴だった。


「…すんません。」

 紅茶をすすりながら会話が続いていく。

「いえ、突然の事ですから驚かれるのも無理ないでしょう。ミドリさんが貴方に接触したのは我々が情報を提供したからなのです。ご報告が遅れてしまって申し訳ございません。」

 姉貴も卓について、紅茶をぐるぐるしながら答えた。

「はあ、あっちからこっちに自由に来ることなんてできるんですね。」

「そのようですが、逆はリスクが大きいから辞めたほうがいいと言われていましてね。私も行ったことはないのですよ。」

「…。」


「そうですね、最初からお話をしましょう。我々がずっと貴方達にご相談させていただいている、『神隠し』について。あれが発生してしばらく経った頃、あちらの世界の方から接触があったのですよ。」

「私もそれまではもう1つの世界があることなんて半信半疑でしたが、彼らのおかげで確信に変わりました。それから警察本部では特別本部を立ち上げて、その方と色々とやり取りをさせていただくうちに、神隠し…もとい連続行方不明事件の原因があちらの世界にあることを教えてもらったのです。」

「その方の一人がミドリさんなのですよ。」


「それから、あたし達に連絡が来るようになったということですか?」

「そういう事です。貴方達は現時点で、あちらの世界からの帰還者ですからね。」


「…最近になって行方不明事件の頻度が増えてきました。ですが我々はあちらの世界に干渉ができない分、かなり打つ手が無いという状況なのです。そこで、ミドリさんがこちらの世界で協力してくれることになったんですね。」


「俺たちがあっちの世界に行くことはできねえのか?リスクとかなんとか言ってるけどよ…あっちに行けたら早いじゃねえか。」

「リスクについては貴方が一番お分かりでしょう。…世界間の移動時に記憶を失うことがあるんです。」

「!!」

「当時の君はお姉さんがいたから良かったものの、あちらの世界で記憶喪失になんてなったらどうやって戻ってくるというのですか。私も行けたとて、任務を忘れてしまったら本末転倒なんですよ。そのようなリスクは残念ながら負うことはできません。もちろん、貴方達に負わせることもできませんよ。」


 言われた通り―

 俺には幼少期の記憶が一切無かった。

 覚えていたのは自分の名前や年齢、姉貴の事くらいだけだった。

 姉貴も断片的に記憶を無くしたそうで、昔の事は今でも殆ど分からないままだ。


 俺の表情を見て、北条さんは苦笑いをして言った。

「お分かりいただけましたね?私からお伝えできるのは今はこれまでです。」

 後はミドリさんの話を聞けと言われ、北条さんは帰っていった。


 俺はまたソファーになだれこんだ。

「…なあ、姉貴はあっちの世界に戻りたいって思うか。」

「…再三言ったじゃん。あたしはこっちの世界の人間だから。あんただってそうなんだからさ。

 …まだ戻りたいって思ってるの?」

「いや…俺ももう面倒なのはゴメンだって思ってるよ…。」


 嘘。


 記憶が無いからこそ、俺はあっちで過ごした生活が当たり前だと思っていた。

 こっちに戻ってきてからの生活は退屈で、平凡。おまけに窮屈。

 だが、徐々に慣れ親しんできた環境でもあった。


 だから葛藤していた。

 面倒事に巻き込まれたくないという気持ちと、

 またあの世界に行けるんじゃないかという期待―。


 だが、事態はまたあっちの世界に遊びに行ける、とかそんな軽いもんじゃなかった。



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