非常識ですよ、生徒ケヴィン(4)



 その次の個別指導に、ジョゼは大量の本を用意した。

 おとぎ話の絵本だけではない。魔術工学の本、魔術灯に関する技術書やレポート、植物学の本、果てはただのおすすめ小説まで図書館で選び出し、台車に乗せて持ち込んだ。


(生徒ケヴィンのために、私が出来る限りのことをしましょう。)


 そう思ったからだ。

 もとより、陽光葉の研究については、専門職が取り組むようなことである。ジョゼが教える範囲ではない。ならば、教師としてのジョゼの役割は……。


「ジョゼ先生、本気で僕に魔術工学研究院を目指せって言ってるんですか? 就職面接のテスト、めちゃくちゃ難しいって聞きますけど」

「あなたなら十分目指せますよ。……ただし、苦手教科の克服は必須ですが」

「う」


 苦い顔をするケヴィンを見て、ジョゼは苦笑した。

 いつも通りの放課後の教室。いつも通りの個別指導。教壇と学習机。教卓を挟んで向かい合う、いつもの光景。

 教壇から見下ろすケヴィンの、へらり、とした表情は、ジョゼにとってはもう見慣れた景色になっていた。


(研究員になれば、陽光葉の研究にも存分に取り組めるはずです。)


 この田舎生まれの優しい少年の進路として、この上ないだろう。

 就職の難易度は高いが、決して不可能ではないとジョゼは思っている。


「いまから頑張ればよいのです。わからないところがあれば、私が教えますから」

「ジョゼ先生がそこまで言ってくれるなら、がんばりますけど。……それで、この本の山はなんです?」

「まずは興味のあるものから読んでみてください。……そもそも、あなたは文字に対する苦手意識があるでしょう、生徒ケヴィン」

「え? まあ、はい。苦手だなと思います」

「その苦手意識を払拭するために、です。音読でも構いませんよ」

「それは恥ずかしいですよ」


 笑って、ケヴィンは一番上に積まれた絵本を手に取った。そして、席に戻り……。


「あ、そうだ! 先生もこっちに座ってくださいよ」

「え?」


 言うが早いか、右隣の机を引きずって、自分の机とくっつけてしまう。


(そ――その席に座れと?)


 ジョゼは頬をひくつかせた。


「と、隣に座る必要がありますか?」

「だって、読みながら解説してほしいですもん」


 屈託ない笑みは、悪意や他意を含んでいない。……だから、だろうか。

 ジョゼは言われるがまま、おずおずとケヴィンの隣の椅子に座ってしまった。

 二人で同じ本を覗き込むというのは、なかなかに新鮮な感覚だった。左に座るケヴィンの体温や息遣いまで伝わってくるようで、こそばゆい。


「あ……、ち、近いですね、先生」


 それは、ケヴィンもまた、ジョゼの体温や息遣いを感じているということで。

 今さら、自分が教師にどんな要求をしたのかに気づいたらしく、目線を泳がせている。


「さあ、生徒ケヴィン。読みなさい」


 半ばやけくそのようにジョゼはそう言った。座った以上、立つのはもっと体裁が悪い。

 だから、せめて意識を絵本にだけ集中させるよう努めるしかない。

 どうやらケヴィンも同じような結論に至ったらしく、絵本に没頭し始めたようで、身を寄せ合う人間ひとりぶんの存在感は、次第に気にならなくなっていった。


 しばらくして、ケヴィンが絵本のあるページに描かれた白髪の少女を指さした。


「あの、もしかして、この女の子がハイ・エルフなんですか?」

「ええ、そうです。ほかにも、この英雄が登場するおとぎ話があって、後半に載っている話になるのですが――」


 ジョゼも同じように絵本に手を置いてページをめくる。解説のため、教師としての役目を果たすために。ただ、絵本に集中しすぎていたのが、逆に良くなかった。

 隣りあって座り、同じ絵本に手を置いてページをめくっているのだから、そうなるのも当然なのだが――。


 ――ジョゼの左手が、ケヴィンの右手と触れあったのだ。


 優しく触れるように、指同士がぶつかって、絡んで、すぐに離れた。

 ほんの一瞬、それだけだったけれど。


(あ……。)


 と、思う間に。

 あえて忘れていた、隣に座る人間の存在感が、急激によみがえってくる。体温と息遣いが、鮮明に感じ取れてしまう。

 それらに加えて、成長期の男の子らしい、がっしりしつつも柔らかい手指の感触と、そこから感じる血潮の鼓動さえも聞き取れそうだった。

 とっさに絵本から手を引いて、しかし、なにも言えなくて、黙ってしまう。

 なにか言わなくては、と思っても、言葉がどこかへ行ってしまったみたいに、口から出てこない。


 沈黙を破ったのは、同じように固まっていたケヴィンだった。


「……えと。先生の手、白くてすべすべですね」


 沈黙の破り方として最低だなと、ジョゼは思った。


(な――、なんてことを言うのですかっ?)


 かあ、と頬どころか首まで熱くなるのを自覚しつつ、恥ずかしさと焦りが一周回って元通りになったのか、ジョゼは言葉を取り戻した。


「非常識ですよ、生徒ケヴィン」

「ごめんなさい、ジョゼ先生」


 いつもの遣り取りで、けれど、いつもよりも距離が近い。


 ……だから、いつも通りでは済まないのは、ケヴィンも同じだったのだろう。

 ジョゼは、ケヴィンの視線が己の左手に注がれていると気づいた。


「先生、失礼だったらごめんなさい。その――」


 正確には、ジョゼの左手薬指に。


「――いつも、指輪をされていますよね」


 精一杯選んだ末の言葉だっただろうけれど。

 普段のケヴィンなら絶対にしない、踏み込んだ質問だった。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る