非常識ですよ、生徒ケヴィン(5)
ジョゼの左手薬指には、きらりと光る銀色のリングが嵌められていた。
「……ええ。なんだか、外せなくて」
「でも、ジョゼ先生は、再婚相手を探しているんですよね? 指輪してるとまだ既婚だと思われてしまいませんか?」
ジョゼの動きが止まった。
「……先生? まさか、そのことに気づかず婚活を?」
ごほん、とごまかすように咳を打つ。
「いえ、さすがにお見合いの際は外しておりますよ。当然」
「うーん、ジョゼ先生って、本当に再婚したいんですか?」
「もちろんです。そのために毎週末お見合いを……」
「僕には、そうは見えないんですけど」
隣の席からまっすぐこちらを見て問いかけてくるものだから、ジョゼはついに観念した。この話をしないと、ケヴィンは気になって勉強どころじゃないだろうし。
……ジョゼも、ケヴィンになら話していいような気がしていた。
居住まいを正して、至近距離のケヴィンと向き合う。
「お見合いをしているのは、夫の最期の言葉が『違う人を見つけて、幸せになって』だったからです。ただ、なかなか決まらなくて……」
「そりゃ、そういう気持ちでやってちゃ、相手も渋りますよ」
十歳も年下の生徒に言われると、形無しである。
気落ちするジョゼに、ケヴィンはおそるおそる問いかけてきた。
「その、旦那さんは、どうして……」
「病気です。もともと体が弱かったのですが、流行り病にかかってしまって」
「それは……、星々の海にて安らぎを得ておりますように」
「ありがとうございます、生徒ケヴィン」
安らぎ。よくある祈りの言葉だけれど、それが亡き夫には必要だったのだろう。
彼の口癖は『仕方ない』だった。自嘲気味な笑顔で、そう言うのだ。
彼には彼の苦しみがあった。
「傍流ですが、私はドラクロワ王家の血を引きますから。彼とは政略が絡んだお見合い結婚でした。……体の弱いあの人は、実家の言うことには逆らえず、自分で何かを選択したことはほとんどなかったのだと思います」
ジョゼはその言葉を思い出すたびに、胸が締め付けられるように痛む。
「……あの人は、私と仕方なくて結婚して、仕方ないまま逝ってしまったのです」
それが悔しくて、苦しくて。どうしようもない気持ちになる。
そんなジョゼに、ケヴィンはそっと微笑んだ。
「ジョゼ先生は、好きだったんですよ。旦那さんのことが」
「そうなのだと、思います。失って気づいたことですけれど」
一年足らずの結婚生活の中で、彼に惹かれていった。
彼もそのことに気づいていて、でも彼自身はジョゼを愛してはいなかったから――ほかのひとを見つけて、と最期に言い残した。
おそらくは、仕方なく。ジョゼを前に進ませるために。
「だったら、なおさら、ジョゼ先生が婚活するのは間違っています」
うつむくジョゼに、ケヴィンがそう断言した。
「なぜそう思うのです?」
「だって、どれだけお見合いをしたって、旦那さんとは会えないじゃないですか。だから、ジョゼ先生に必要なのは、婚活じゃなくて……、いえ。すいません、偉そうなことを言って」
婚活じゃないなら、なんなのだろう。ジョゼは問わなかった。
窓際の机で寝ていた黒猫が、ふみゃあ、と鳴いて立ち上がり、開いた窓の隙間からするりと出て行くのを見届けて、まったく別の質問をした。
「生徒ケヴィンも、誰かを失った経験が?」
「カランブー村は、冬が寒くて。稼ぎが少ない年は、誰かが無理して狩りに行って、そのまま帰らないことがよくありました。……いってしまうと、もう、会えないんです」
ジョゼだって、わかっている。
過去に囚われて、お見合いで彼を探しても――会えるわけがないのだ。
だって、彼は逝ってしまったのだから。星々の海を巡る船旅へと。
「……私の夫は、繊細な皮肉屋でした。読書家でもありましたから、豊富な語彙で皮肉ばっかり言っていました」
「僕とは正反対ですね」
「そうですね。でも、彼の心の真ん中には、いつも他人をいたわる優しい心があって……。そういうところは、あなたに似ているかもしれませんね、生徒ケヴィン」
「じゃあ、僕は恋愛相手として脈ありってことですか?」
いたずらっぽく、そんなことを聞いてくる。
ジョゼは、はあ、と嘆息してみせた。
「もう。非常識ですよ、生徒ケヴィン」
「ごめんなさい、ジョゼ先生」
でも――胸の高鳴りを、自覚する。
いたずらっぽい笑みを浮かべている隣の若者もまた、頬を赤らめているし。
自分だって首まで真っ赤に違いないと、ジョゼはわかっていた。
空き教室にはもう、黒猫もいない。ジョゼとケヴィンしか、いない。
「……続きを読みましょうか」
「はい、先生」
思い出したように個別指導を再開する。けれど、絵本のページをめくるたびに、互いの手に触れようか、触れまいか……、と指先がさまよう。
自分達は鼓動の触れ合いを期待しているのだ、肌と肌で触れあいたがっているのだ――、と。ジョゼはそう気づいて、微笑む。
(……もう、やめなくてはいけませんね。)
そして、内心でそう呟いた。
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