非常識ですよ、生徒ケヴィン(3)
伝説の時代の話。それは史学の基礎であり、おとぎ話でもある。
ケヴィンは「ええと……」と少し考えた。言葉をまとめているようだ。
「始祖ゾーエ・ザーニがシャノワール魔術学園を開いた時代……、ですよね? 伝説の魔術師が英雄を育てたっていう、一騎当千の英雄たちの時代」
「及第点としましょう。伝説の時代とは、およそ一千年前、始祖ゾーエ・ザーニが存命であった頃を指します。今に伝わるおとぎ話の大半は、シャノワール魔術学園が創られてから百年のうちに起きた史実が元になっている……とされています」
本当に史実かどうか、確かめられる人間はいない。どれだけ長生きできても、人間の寿命はせいぜい百年かそこらだ。エルフや吸血鬼でも五百年を生きれば大往生。
おとぎ話として語られたものが編纂され、成文化されたものが今日まで伝わっている伝説の時代のお話だ。
黒板にチョークで縦線を引いて、現在と一千年前を示すしるしをつける。
「これは、そんなおとぎ話のひとつ。シャノワール魔術学園の始まり――。ある日、ある若い魔術師が、一本の小さなトネリコの下で青空教室を開きました」
「若い魔術師って、始祖ゾーエ・ザーニですか? ……小さなトネリコ?」
ケヴィンが首をかしげた。そう、最初は小さなトネリコだったのだ。
このおとぎ話は、魔術学園周辺では有名だが、それ以外の地域ではあまり語られていないのだろう。農村出身なら、なおさら聞いたことがないかもしれない。
(各地の教会で開かれている文字習熟の教室へ、手習い程度に文字を習いに行き、魔術の才を見出され、シャノワールに招かれる。平民特待生は、幼少期から教育を受けている貴族とは前提から違うのですよね。)
ケヴィンも恐らくそうだろう。おとぎ話の本や小説などを用意して、学ぶ入り口にしてもいいかもしれない。次から用意しておこう、とジョゼは内心で決めた。
「青空教室には多くの生徒が集いました。その全員が、いずれ英雄として名を馳せることになるのですが……、ある夏の日、生徒のひとりである吸血鬼の少女が、日差しの強さに耐え兼ねて教室から逃げ出しました」
「……吸血鬼って、日に当たったら死んじゃうんですよね? そりゃ逃げるでしょう」
「そうですね。その通りです。それを見かねた始祖ゾーエ・ザーニはトネリコに魔法をかけました。大きく育ち、生徒たちを守れと。そして、その枝葉を日よけとしたのです」
最初はせいぜい、小屋ほどの大きさだっただろうと思う。しかし。
「日が経ち、生徒が増えるごとに、トネリコは大きくなりました。……大きすぎるほどに。伝説の時代の終わり、始祖の没後には、山ほどの大きさになっていたそうです。そして、太すぎる幹や街ひとつ覆うほどに広がる枝葉が太陽を遮ってしまい……」
「あ、周辺地域に日が当たらなくなっちゃったんですね? 農家は困りますね、それ」
「その通り。そこで、卒業生たる英雄のひとり、ハイ・エルフの大魔導師がトネリコに魔法を重ねて陽光葉を生み出したのです。陽の光を影の下まで届けるために」
九百年前のところに"伝説の時代の終わり"と"陽光葉の発明"と書き込む。
これが本当にあった話なのかどうか、ジョゼには判断できない。吸血鬼にハイ・エルフ。どちらもおとぎ話の登場人物で、伝説の英雄たちだ。
両者とも死のエピソードが伝わっていないため、夢見がちな学者は「まだ生きているに違いない」なんて主張していたりする。
「さて、ここまでがおとぎ話。ここからは単なる事実ですが、安定的な灯りを手に入れたことで、シャノワール魔術学園は世界一の学園都市として成立したと考えられています」
「……人間の活動時間が伸びて、いろんなことの効率が上がったんですね?」
「そうです。枝からもいでも数時間は光る陽光葉は、ろうそくよりも安上がりで手軽ですから。シャノワール周辺の農家は、昼は畑仕事に励み、夜は陽光葉の灯りを頼って手工業に従事する生活を送り、人口を増やして発展したのです」
「なるほど。あ、じゃあ、僕のやろうとしていることって……」
ケヴィンの気づきに、ジョゼは黒板から振り返って微笑みで答えた。
「ええ、生徒ケヴィン。あなたが陽光葉の仕組みを解明し、シャノワール周辺以外にも持ち出すことができれば、地方もまた学園都市同様に発展していくことでしょう」
「そんな大それたことを考えていたわけじゃ……」
「世の偉人は、みんなそうです。ひとりの少女のために日よけを作った始祖も、そうだったのではないかと思います。ちょっとした思いやりが、多くの人のためになるのですよ」
ケヴィンは大真面目な顔で「たしかにそうです」とうなずいた。
「始祖ゾーエ・ザーニとは縁もゆかりもない僕でも、陽光葉の恩恵を受けていますもんね」
「その通り。生徒はみな、陽光葉があるからこそ、勉学が出来るのです。今の時間もこうして講義ができるのは、灯りのおかげですよ」
「もちろん、勉強についてもそうなんですけど……」
大真面目な顔が、へらりといたずらっぽい笑みに変わる。
「放課後でもジョゼ先生のカワイイお顔をはっきりと見れるのは、陽光葉のおかげです」
「……まったく」
ジョゼは嘆息して、黒板に向き直った。
「教師をからかうなと、以前も言ったでしょう。非常識ですよ、生徒ケヴィン」
「ごめんなさい、ジョゼ先生。……でも、本音ですよ?」
「馬鹿を言っていないで、講義を続けますよ」
ジョゼはいつも通り、板書を描く。
ただ、いつも通りではないことがひとつだけ。
なぜか、頬が熱かった。
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