植物だけが、知っている。(3)



 問題は、イアサントが求めるものが何の苗か、まったくわからないことである。


「どうしよう。俺、どうしたらいい?」


 真顔でそう聞くと、相談相手はけらけら笑った。

 例によって食堂で、相手は平民の女シェフ、イアサントである。


「エミールおまえ、それアレだよ。よくあるおとぎ話じゃねえか、姫の無理難題を聞けたら付き合ってやるってやつ。試練だな。で、大抵の場合は姫が結婚したくないから無理難題ふっかけてんの」


(白馬の王子は否定するのに、おとぎ話は読むんだな……。)


 そう思ったが、藪をつつきたくはないので指摘しない。


「そうかもしれないけどさ。でも、俺にはそういう風にも思えないんだよな」

「盲目になってるだけだろ。恋愛ってのは脳を蒸し煮ブレゼするからな」


 うーん、と唸って、エミールは首を横に振った。


「デルフィーヌさまはさ。話が通じないわけじゃないし、たぶん……まあ、これはただの勘なんだけど……他人を試したりはしないひとだよ。もっと、まっすぐなひとだと思う。わかりづらいだけで」

「でも、なにの苗を渡せばいいのか、教えてもらってないんだろ? どうあれ、おまえにとっての試練には違いねえ」

「そうなんだよなぁ」


 腕を組んで考え込む。

 イアサントはめんどくさそうに自分の爪を眺めた。


「単におまえが聞き逃しただけじゃねえの? それか、忘れちまったか」

「そんなことはないと思うんだけど……。そもそも、植物の話自体してないし」

「ほんとうにしてねえのか? 庭園魔術師の棟梁相手だろ、庭園の話とかしたんじゃねえのか」

「庭園の話はしたけど、個別の植物や苗の話は……あっ」


 気づく。

 イアサントが半目になった。


「ほれ見ろ」

「あはは……」


(そうか。デルフィーヌさまは、俺に欲しい苗を教えなかったんじゃなくて、もう言ってあったんだ。)


 やはり、視点や角度が違うのだ。

 デルフィーヌにとっては自明のことで、けれど、エミールにとっては不明なこと。


(あの日の会話の中で、出てきた植物。トネリコの街ヴィレ・ド・トネリコでは目にしない、ちょっと珍しいもの。)


 ひとつしかない。

 エミールはさっと立ち上がって、食堂の出口へと駆け出した。


「イアサント、ありがとう! シェフと仲良くね! ツンツンしすぎると嫌われるよ!」

「あァ!? おいこら、それどういう意味で……おい! どこ行くんだよ!」



 ●



 そして、三週間ほどが経過した。

 用意した小さな鉢には、すらりと細長い苗木が生えている。


(そうだ、そうだった。土が黒いんだよな、あっちは。)


 敷かれた土を眺めるだけでも、懐かしさを感じてしまう。

 例のテラスで、鉢をテーブルに置いてのんびりと待つ。

 巨大樹トネリコの陽光葉が、溜め込んだ太陽の魔力を使って、ぼんやりと光っている。

 実際には巨大な木陰にいて、日光を遮っているはずなのだが、そう感じさせない光量だ。


(もともと、巨大樹トネリコがあまりにも大きく育ちすぎて、太陽光を遮ってしまうから、始祖ゾーエは太陽の神と植物の神に願って陽光葉が生えてくるようにしてもらったとかなんとか……。)


 そういう伝説だが、おそらく事実だろう。

 スケールが大きすぎてよくわからないが、おかげでトネリコの枝葉の下はとても心地が良い。

 思わずうとうとしていると、テーブルの対面に白い人影が座った。


(……と。)


 慌てて居住まいを正す。

 待っていた相手が、現れた。


「届いたのね」

「……デルフィーヌさま。これ、届いてすぐに持って来たんですけど、やっぱり俺の動向をだれかに聞いてます?」

「みんなよ」


 みんなが教えてくれている、らしい。

 首をかしげつつ、鉢をデルフィーヌのほうへ押す。


「どうぞ。実家に送ってもらいました。うちの領地の、暗い森の木の苗です」

「そう」


 端的だが否定ではない返事に、ほっとする。


(簡単な話だったんだな。)


 エミール自身が言ったセリフだ。

 『こっちの地方じゃほとんど見ない木』と。

 つまり、シャノワール魔術学園ではそれなりに珍しい木の苗である。

 庭園魔術師への贈り物として、これほど適したものもない。

 デルフィーヌは小さな鉢を両手で持って、じっと苗を見た。

 表情に変化はない。

 もしかすると笑顔を見られるかも……なんて期待していたから、少し残念に思っていると、翡翠の瞳がいきなりエミールを射抜いた。


「ありがとう、エミール」

「え……あ、いえ! お返しですから! えへへ」


 お礼を言われただけで舞い上がってしまう自分は、ひどく単純だと思う。

 誤魔化すように、エミールは添えられていた手紙の内容を伝える。


「こほん。領地の山師からの伝言ですが、春と夏、凍土から溶け出した水分を吸って育つから、こっちではうまく育たないかも……とのことです。デルフィーヌさまには、言うまでもないことかもしれませんが」

「そう」


 デルフィーヌは苗に視線を戻す。

 五秒ほどして、うなずく。


「……年中、雪がある土地なのね」

「ええ。まあ、山岳に限りますが。こっちよりは、年中ずっと寒いです」

「寂しがっておられるわ」

「……はい?」

「入学してから三年間、一度も戻っていないと嘆いていたそうよ」


 なんの話だろう、と少し考えて、すぐに気づく。


「……俺の、母の話ですか」

「そう」

「たしかに一度も戻ってないですけど……。なんで、わかるんですか?」

「みんなよ」


 またしても『みんな』だ。


(王族の調査部隊でもあるのかな。いまも見張られてたりして。)


 きょろきょろしてみるが、視線は感じない。

 ……隠れた相手を探る能力があるわけでもないから、当然だが。


「エミール。授業は?」

「あ、ええと、サボって……あ」


 サボりは怒られるだろうか。

 庭園団は、いちおう学園の職員だったはず。

 デルフィーヌの顔を伺うと、真顔で「そう」と呟いただけだった。

 王女は立ち上がって、テラスに続く階段を見た。

 新緑色のローブを纏った壮年の魔術師が、上がってきている。


「お、いたいた。棟梁! そろそろ仕事に戻ってくださいよ!」

「そう」


 庭園団の仲間らしい。


(……棟梁だもんな。そりゃ、仲間くらいいるか。)


 なんだか、少しだけ残念な気がしてしまうのは、やはり脳が蒸し煮されているからだろうか。

 テーブルまで辿り着いた壮年の庭園魔術師は、ちらりとエミールを見た。


「あれ、棟梁。そちらの学生さんは?」

「エミールよ」

「よろしく、エミールくん。私は副棟梁だ。……棟梁、その苗は?」

「六層よ」

「……トネリコ六層の庭園に使うって? そいつは北のほうの木だろう。育つかどうかは……まあ、棟梁ならいけるかもしれんが」

「育てるわ」

「断言か」


 慣れた様子で会話をして、副棟梁がエミールに笑いかけた。


「きみの持ってきた苗だから、だろうな。気に入られたな、エミールくん」

「え!? そ、そうなん……ですか?」


 デルフィーヌを見ると、白と緑の姫はいつも通りの表情で、トネリコの枝を眺めている。

 ややあって、デルフィーヌは口を開いた。


「このテラス。サボるには、いい場所よ」

「え? あ、はい。それじゃ……その、また来ますね。サボりに」


 副棟梁が「おいおい」という顔をしたが、ひとまず無視する。


「そう」


 デルフィーヌは端的にそう言って、庭園団の仕事へと戻っていった。

 その日は、それっきりだったのだが……。


 ……それから、エミールがテラスでサボっていると、どこで聞きつけたのか、必ずデルフィーヌがやって来るようになった。



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