植物だけが、知っている。(4)
テラスで授業をサボっていると、デルフィーヌがやってきて、おしゃべりをする。
エミールは毎日、昼前か昼後の授業をサボるようになった。
よくないことだが、デルフィーヌとの時間のほうが大事だと思ってしまったのだ。
そんなデルフィーヌとの会話は、基本的にエミールが受け身にならざるを得ない。
最初のうちは、こんな風だった。
「エミール。選んでほしいの」
「ええと、なにをですか?」
「厳しくするか、優しくするか」
ふむ、と少し考えてから、答える。
「僕は優しくしてほしいですけど……」
「違うわ」
違うらしい。
(俺の話じゃないのか。)
だと、すると。
「……最近、庭園団に入った新人下男のことですね? 学生の間でも話題になってます」
「そう」
当たりだ。
新人への対応で悩んでいる、と。
「仕事ですから、いつも通りでいいのでは。どちらにせよ、デルフィーヌさまから直接指導することは、あまりないでしょうし」
(庭園魔術師としての実力はともかく、指導には向いてない性格だもんなぁ。)
『恩恵』のせいで、デルフィーヌとのコミュニケーションはコツがいる。
口にしていない主語や述語、ひとつ飛ばされた話題などをきちんと聞いて、内容を推し量りながらゆっくり話せばいいのだが、微に入り細を穿つ指導はむずかしいだろう。
庭園団の副棟梁と知り合ってわかったが、庭園団の庭園魔術師は全員がデルフィーヌより年上で――デルフィーヌは学園の卒業生で、エミールの四つ上だった――しかも、デルフィーヌの在り方に慣れている者たちだという。
完全に新人の下男は、今回が初めて。
そうは見えないが、デルフィーヌにも不安があるのだろう。
(不安があるから、俺に相談してくれてるんだろうし。)
だから、エミールなりに精いっぱい考えて、答える。
「ただ、例の新人は元貴族ですから、指導を担当する庭師さんの中には、委縮してしまうひともいるかもしれません。……人間関係でトラブルを起こして、廃嫡された方ですし。性格的には、あまり良いとは言い難いでしょうね」
「そう」
「ですから、仕事においての上司、部下の関係とか、そういうものを大切にするべきかもしれません。厳しい、優しいではなくて、同じ仕事に取り組む一団としての在り方というか……すいません。俺、働いてもいないのに、こんな偉そうなこと言って」
「そう。偉いわ」
「……どういたしまして?」
とまあ。
こんな時間を過ごすうちに、エミールの側も、デルフィーヌとのコミュニケーションにかなり慣れてきた。
辛抱強く聞き続けた成果である。
たとえば、こんな会話もあった。
「エミール。選んでほしいの」
「なにをです?」
「夏よ」
「……黄色い花でしょうか。俺の好みですけど」
「そう」
夏に向けた庭園デザインの相談であったり。
「エミール。選んでほしいの」
「なにをです?」
「遠乗りよ」
「……デルフィーヌさまなら、どんなリボンでもお似合いだと思いますが……白い肌に映えるのは、黒かと」
「そう」
馬に乗って出かける際に、何色のリボンを付けるかの相談であったり。
副棟梁には、「エミールくんほど棟梁と通じ合っているひとは、それこそ親兄弟、王家の方々くらいじゃないかなぁ」と言われたほどだ。
もっとも。
「エミールは黒が好きなのね」
「……まあ、俺の好みも含まれていることは、否定しません」
「黒ね。黒なのね」
「あの、今日はずいぶん黒にこだわりますね……」
「エミールのえっち」
「なんでですか!?」
完全にわかりあっているわけではないのだが。
半年も経つころには、エミールは数少ない『デルフィーヌと正面から会話ができるひと』になっていた。
そして、半年の間に、エミールはさらにデルフィーヌに惹かれていって。
惹かれるほどに、遠のいていくような気がしてしまうのだった。
「はぁ……」
学長を持ち上げて、嘆息する。
その日も、授業をサボってテラスに来てみれば、学長がいたのだ。
逃げもしない黒猫を抱きしめて、久々の恋愛相談である。
「なあ、学長。デルフィーヌさまに王位継承権がないとはいえ、子爵と王族じゃ身分が違いすぎるよな?」
にゃお? と学長が黒くて小さい顔を斜めにした。
「学長はわかんないか。俺は子爵で、デルフィーヌさまは王族。階級がぜんぜん違うんだよ」
にゃあ、と返事をされる。
「俺がデルフィーヌさまに婚姻を申し込めるとしたら、それこそ子爵でもなれる役職での最高位……宰相とかまで上り詰めるか、あるいはデルフィーヌさまが王族から離脱するか、どっちかしかないんだよな」
ぼやいても、黒猫の顔は当然ながらきょとんとしたままである。
エミールはまた、はあ、と大きな溜息を吐いた。
「でも、俺の成績じゃ無理なんだよ。宰相なんて、ちっちゃい頃から家庭教師付けて英才教育受けまくってたような、本物のお坊ちゃんじゃないとさぁ」
かといって、だ。
「デルフィーヌさまに、俺と結婚してほしいから王族から離脱してくれ、なんて言えないだろ。プロポーズとしちゃ、最低最悪だ。……俺のプライド的にもイヤだ。なにより、デルフィーヌさまはご家族と仲が良いんだ。離脱してほしくない」
学長がてしてしとエミールの手を叩いた。
おろせ、ということらしい。
地面におろしてやると、学長は大あくびをして髭をくしくしし始めた。
「……学長、俺どうしたらいい?」
にゃおん。
「そうだよなぁ。プロポーズするなら、死ぬ気で宰相まで上り詰めるしかないよなぁ。でもさぁ、たとえ俺がそれだけがんばったとしても、デルフィーヌさまが受けてくれるとは限らないし……」
なーん。
「そう言うなよぉ」
指を甘噛みしてきたので、地面におろす。
黒猫は走り去っていった。
テーブルについて、ぼうっと陽光葉を見上げていると、ややあってからデルフィーヌがやってきた。
「ごきげんよう、デルフィーヌさま」
「エミール。選んでくれる?」
開口一番、それだった。
「あ、はい。ええと……どの花ですか? それともリボン? あ、ドレスの色ですか?」
「私が王家を離れて位階を落とすか、エミールが出世して位階を上げるか。どっちがいいかしら」
腰が抜けそうになった。
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