植物だけが、知っている。(2)



 翌日、エミールはまた授業をサボって、例のテラスを訪れていた。

 案内してもらった記憶を頼りに、学食から逆に戻れば辿り着けた。

 ……の、だが。今日はテラスにはだれもいない。

 巨大樹トネリコの大きな枝葉が、屋根のように頭上に広がっているだけだ。


(そりゃ、そうだよな。いるわけないよな。)


 嘆息する。


「もう一度会いたいなぁ」


 何の気なしにそうつぶやくと「んなぁ」と足元から声がする。

 視線を下ろすと、いつのまにやら、黒猫がエミールを見上げていた。


「学長……。学長は一目惚れってどう思う?」


 ごろごろ喉を鳴らしながら、黒猫がひっくり返った。


「……知ったこっちゃない? おなかを撫でろって? はいはい」


 しゃがみこんで、黒猫の柔らかい腹を、くすぐるように撫でる。

 気持ちよさそうにうにゃうにゃ言い出した学長に、エミールは恋愛相談を……もとい、ひとりごとを……続ける。


「でもさ、デルフィーヌさまは王族でしょ? 俺みたいな普通の貴族じゃ、どう考えても釣り合わないよなぁ。……そもそも、お互いの人となりも、よくわかってないわけだし」


 一目惚れゆえに、性格までわかっていない。

 手を止めて嘆息すると、肉球でてしてしと指を叩かれた。

 催促である。


「いや、もちろん、お優しい方だってのは、わかるよ。迷子の俺を案内してくれたわけだしさ」


 知ったことかと言わんばかりに、またてしてし。

 仕方がないので、おなかわしゃわしゃを再開する。

 相手は黒猫だ。

 こちらの話を理解してくれているわけもない。


(……良くするとご利益があって、悪くすると運気を逃す、だっけか。)


 シャノワール魔術学園の言い伝え。

 というより、ただのおまじないとか、ゲン担ぎの類なのだろうが。


(不思議なのは、どの年代でも必ず黒猫がいて、学長って呼ばれてることだよな。たぶん、黒猫の血筋が繁殖して、連綿と続いてるんだろうけど。)


 だとすると、学園中が黒猫だらけになりそうな気もするが、不思議なことに同時期に二匹以上の黒猫は見ないのだとかなんとか。


(まあ、広い学園だしな。学園校舎群、庭園群、学生寮群に、根の外側には学園都市が広がっているわけだし。猫ってけっこう縄張り広いみたいだから、散らばっているのかも。あるいは……。)


 実はすべて一匹の同じ猫で、一千年のあいだ、生きてきたのかもしれない。

 そう考えてから、あまりのばかばかしさに笑ってしまう。


(ただのトネリコを、山みたいな大きさに作り替えた魔術師が作り上げた学園だし。そういう猫がいても、不思議ではない……のかもしれないけどさ。)


「学長、もしかしてすごい猫?」


 問いかけると、ふにゃあ、と気の抜けた鳴き声が返ってきた。


「……なわけないよなぁ。学長からは魔力を感じないし」


 わしわしすると無邪気に喜ぶ黒猫が、まさか長寿の魔法生物なわけあるまい。

 苦笑すると、ふい、と黒猫が起き上がって、自分勝手に走り去っていく。


(自由すぎるな、学長。)


 去っていく黒猫を目で追うと、テラスの端に立つ人影の脚にすり寄って黒い体をこすりつけ始めた。

 真っ白な肌と髪に、新緑のような瞳を持つ、美貌の庭師の脚に。

 エミールはびくっと震えた。ぜんぜん気づかなかった。


「デ、デルフィーヌさま!? どうしてここに……!?」

「呼ばれたから」

「よ、呼ばれた……?」


 まとわりつく学長を抱き上げて、デルフィーヌ・ドラクロワがすたすたとテラスを歩き、小さなテーブルについた。


「あの、だれかと待ち合わせでしょうか。だったら俺、席を外しますけど」

「違うわ。待ち合わせじゃない」


 呼ばれたんじゃないのか、と疑問するが、待ち合わせではないらしい。


「これからお相手が来たり……?」

「しないわ」


 よくわからない。

 エミールが首をかしげると、デルフィーヌも同じように首を傾けながら、学長を撫でた。


(……よくわからないけど、チャンスだ。)


 幸運には違いないので、エミールはおそるおそる、テーブルの対面に座る。


「あの、デルフィーヌさま。少しだけおはなししても、いいでしょうか」

「そう」


 そして、いきなり会話が緩やかに停止した。

 どうしたものかと固まっていると、ややあって、学長が「なぁん」と鳴いた。

 なんとなく緊張がほぐれる。

 気を取り直して、エミールは貴族の礼を取った。


「その、昨日はありがとうございました。おかげで昼飯をくいっぱぐれずに済みました」

「そう」


 また、しばらく時間が流れる。

 デルフィーヌは右斜め上、トネリコの枝を五秒ほど見上げてから、エミールに向き直った。


「よかったわね、エミール」

「……え? どうして、俺の名前を……?」

「植物は好き?」


 話が飛んだ。

 会話の間合いというか、タイミングの取り方というか、そういうものがかなり独特だ。


(『恩恵』持ちは感覚が……って、こういうことか。)


 イアサントの言っていたことを思い出す。

 しかし、決して会話が成立していないわけではない……ような気がする。


「ええと……正直、あまり得意ではありませんでした。でも、ここの庭園は好きです」

「そう」

「領地が……あ、俺、子爵ヴィコートなんですけど」

「エペー家ね。北にある山岳地帯に領地がある」

「……俺のこと、だれかに聞きました?」

「ええ。たった今、聞いたわ」


(たった今?)


 デルフィーヌは不思議なことを言う。

 のんきな黒猫よりも、よっぽど不思議だ。


「領地の植物は、巨大樹トネリコほどじゃないですけど、北の木で、すごく背が高くて。こっちの地方じゃほとんど見ない木なんですけど。日光を遮るから、森がすっごく暗くてですね。それが怖くて怖くて……」

「そう」

「でも、ここの庭園は光に溢れていて、すごいなって。トネリコの陽光葉フォイユ・ド・ソレイユのおかげで、夜も明るいですし。太陽の光を吸い込んで、光るんですよね? ぜんぜん怖くないっていうか、むしろ温かい雰囲気の庭園っていうか」

「そう」


 デルフィーヌは学長を撫でながら、エミールをじっと見た。


「ありがとう」

「え? ……ああ、はい。どういたしまして……?」


 少し考えて、思い至る。


(庭園を褒めたから、庭園団を代表して、お礼を言った……ってことか。なるほど。)


 だんだんわかってきた。

 『恩恵』がどういうものか、本質的に理解しているわけではないが、デルフィーヌに関しては、おそらく。


(デルフィーヌさまには、俺には見えないものとか、聞こえないものとかが、わかるんだ。)


 同じ世界を、同じ面から見ていない。

 だから会話が飛んだように感じる。

 だが。


(まったく違う世界を見ているわけじゃない。角度が違うだけだ。)


 そうとわかれば簡単。


「デルフィーヌさま。庭園団の造るお庭は、とても素敵です」

「そう」


 丁寧に伝えて、丁寧に聞く。

 そうすれば、少なくともエミールの気持ちは、伝わるはずだ。


「先日のお返しをしたいのですが、なにか、欲しいものとかありますか? いや、もちろん、子爵家の息子風情の俺が贈れるものには、限りがありますが……」


 デルフィーヌはきょとんと首をかしげ、エミールを見た。


「エミールは変わり者ね」

「そうですか?」

「そう」


 この会話も、決して途切れているわけではない。

 デルフィーヌの「そう」には、おそらくもっと多くの意味が含まれているはずだ。

 辛抱強く続ければ、それでいい。


「どのあたりが、変わり者ですか?」

「よく喋るもの」


 ふむ、と顎に手を当てる。

 何秒か考えてから「あ」と気づく。


「俺みたいに、こんなにデルフィーヌさまに話しかける生徒は、珍しいんですね」

「そう」

「ひょっとして、おいやでした?」


 今度はデルフィーヌが考え込んだ。

 ややあって、翡翠の瞳がエミールに向く。


「エミール。苗が欲しいわ」

「え? 苗ですか?」

「そう」

「……お返しの贈り物は、苗がいいんですね。ええと……何の苗ですか?」

「次に会うとき、お願いね」


 そう言って、デルフィーヌは抱えていた学長を机の上に置き、歩き去っていった。


「……え? 何の苗?」


 疑問するが、当然ながら学長はなにも答えてくれない。

 だが、まあ。ともかく。


(お返しを受け取ってくれるし、次も会ってくれるってことは……いやじゃないってことだよな? 俺に話しかけられるの。てことは、今後も話しかけていいのかな? いいよな?)


「……よしっ!」


 声を上げてガッツポーズすると、テーブルの上で毛づくろいを始めていた学長が、びっくりして跳びあがった。



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