植物だけが、知っている。(1)



 美しい。ただ、美しい。


 エミール・エペーがその女性を見たとき、脳内はシンプルな言葉で埋め尽くされた。

 白く透き通るような肌に、色素の薄い白絹のような髪、鮮やかな緑色の瞳。

 特徴的なのは、木の葉のような形の長い耳だ。


(英雄種への先祖返り、『恩恵』だ。すごい、はじめて見た。)


 ごくり、と唾を呑む。

 エミールはシャノワール魔術学園の学生だ。

 ごく一般的な……いや、少々成績は悪いし、サボり癖もあるが……特に変わったところのない、普通の生徒だ。

 そんな生徒が、午前の授業を終えて、食堂への近道を試みて庭園に入ったのがまずかった。

 ただ、限定メニューを逃したくなかっただけなのだが。

 巨大樹トネリコの太く隆起した根っこの上に作られた庭園は、学食へなど続いておらず、入り組んだ生垣や花壇のせいもあって、盛大に迷ってしまったのだ。

 迷子になっているあいだに限定メニューはもう出尽くしただろうし、帰り道もわからない。

 途方に暮れながら歩いて辿り着いたテラスに、その女性はたたずんでいた。


(……生徒? いや、学生服じゃない。緑のマントだから、先生でもない。)


 その女性はエミールを見て、首をかしげた。

 美しさに圧倒されてなにも言えないエミールに、女性は五秒ほどしてから、うなずいた。


「そう。こっちよ」


 言って、歩き出す先には、別の庭園に続く細い道がある。


「……え?」


 すたすたと歩く女性に、慌ててついて行く。


「あ、あの、こっちって……どこに行くんですか?」

「ほんとうに困ったときは、黒猫を追うといいわ」

「く、黒猫? 学長ですか?」


 疑問するが、返事はない。

 揺れる白髪のあとを、エミールはついていく。

 ほんの十分ほどで、入り組んだ庭園を抜けて、学生食堂の裏側に出た。

 思わず、エミールは走って女性の前に行き、周囲をきょろきょろと確認する。


「うわぁ。こんなところに繋がる道あったんだ。ありがとうございま――す?」


 案内してくれた女性に礼を言うために振り返ると、女性は姿を消していた。

 まるで妖精みたいに、忽然と。



 ●



 ガリアンセーズ王国の西部に、一本の巨大なトネリコの木がある。

 宇宙そらに届きそうなほど高く、山のように太いトネリコの樹皮や盛り上がった根には、いくつもの建物が建設されている。

 それは一千年の歴史を持つ、求道者のための学び舎の群れ。

 魔術の始祖、『知恵』のゾーエ・ザーニが作り上げた、シャノワール魔術学園である。


 その、一画。

 敷地内に数多ある学生食堂の中でも、もっとも古く、もっとも安いことで有名な食堂のテーブルに、ふたりの若者がいた。

 ひとりは、制服を着た平凡な男子生徒。エミール・エペーだ。

 もうひとりは、白いコックコートに赤い腰エプロンを巻いた、獰猛な顔つきで赤毛の女性。

 女シェフはテーブルに肘をついて、呆れ顔で言った。


「一目惚れだぁ?」

「ちょ、ちょっと! 声が大きいよ」


 焦るエミールに対して、女シェフはたじろぎもしない。


「しかも、迷子だとも、食堂に行きたいとも言っていないのに道案内してくれた、とんでもなく美人な『恩恵』持ちだって?」

「イアサント。信じられないかもしれないけど、ほんとうなんだよ」


 イアサントと呼ばれた女シェフは、にやりと笑った。


「おいおい、エミール。だれも信じねえとは言ってねえだろ。緑のマントを着た『恩恵』持ちなんて、ひとりしかいねえ。庭園魔術師のデルフィーヌさまだ」

「知ってるのっ!? て、庭園魔術師……?」

「シャノワール魔術学園の庭園群を代々取り仕切ってる庭園団ブリガード・ド・ジャルダンの魔術師だよ」

「へえ……」


 ようは庭師か、と理解する。

 それなら入り組んだ庭園に詳しかったのも納得だ、と思ったのも束の間。


「んで、デルフィーヌさまは今代の棟梁。すげえよなあ、王族なのに、しっかり働いているんだぜ」

「お、王族っ!? 庭師なのにっ?」


 納得できない情報が出てきた。

 イアサントは怪訝そうに首をかしげた。


「ここはシャノワール魔術学園だぜ? 王族なんて山ほどいるっつーの。直系以外も含めりゃ王家の血筋だらけだ。……まあ、デルフィーヌさまは直系の王女だし、その上『恩恵』持ちだから、レアっちゃレアだが」

「でも、王族って、王族でしょ?」


 なに言ってんだコイツ、という顔をされたが、めげずに言葉を続ける。


「王族ってことは、国政に携わるんでしょ? 庭師にはならないんじゃないの?」


 ほんとうになに言ってんだコイツ、という顔をされた。めげそうになる。


「てめえ、貴族のくせに知らないのかよ? 『恩恵』持ちは王位継承権を失うんだ。……感覚が人間よりも英雄種に、つまり神さまや精霊の類に近づいちまって、民の気持ちがわからなくなるんだと」


 『恩恵』とは、とどのつまり先祖返りである。

 遠い先祖にいたエルフやドワーフ、ドルイドなどの形質を強く発現したもののことを言う。

 強弱はあるが、その多くは特別な才覚を得るとされている。


「だから、『恩恵』による秀でた能力はあっても、根本的に国政に向いてないとかなんとか」

「へー。イアサント、平民なのに詳しいんだね」

「うちのシェフも王族だからな。傍流のジャックノミー家だが。いろいろ話は聞いてんだ。……ていうか、てめえが知らなさすぎる。貴族のぼっちゃんだろ、勉強しろよ」


 エミールは目を逸らした。


「勉強は苦手で……」

「はん。気楽でいいねぇ。またサボりか、てめえ」


 まったく「気楽でいい」とは思っていなさそうな口調で言われた。

 つまり嫌味だ。そういうひとなのだ、イアサントは。

 それが不思議と悪く感じない人柄なので、仲良くなったのだが。


「ま、アレだ。アタシも一回喋ったことあるけど、デルフィーヌさまは『恩恵』持ちの中でも特に不思議ちゃんだぜ。庭園を通りがかったら、なにも言ってないのにハーブとオレガノの籠を渡してくれてよ。で、厨房に戻ったら、シェフが『ちょうどオレガノが欲しかったんだよ』って。ぶっちゃけ怖いよな」

「不敬だよ、イアサント」


 たしなめると、半目で睨まれた。


「王族だと知ったとたんにソレかよ。忘れたのか。おまえ、道案内させたんだぞ。王族サマに」

「あ。……あ、あはは……どうしよう。不敬罪で死刑かなぁ」

「極刑が過ぎるだろ。いや、量刑がどうとかは知らねえけどさ。勉学に不真面目で不良なおまえが一目惚れした相手がお姫さまってのは、なんつーか、夢見すぎな展開でおもしれえけど」

「うるさいやい。不良じゃないよ、ちょっとサボり癖があるだけ」


 というか、だ。


「あのさ。逆にイアサントは王族に憧れとか、ないの? 白馬の王子さまが迎えに来てくれる……的な。女の子でしょ」

「あ? 女がみんなそんな浮ついた夢を見てるなんて思うなよ。アタシはごめんだぜ、王族なんて面倒そうだ。そもそも恋愛自体がめんどくせえし、時間の無駄だっての。アタシは料理の世界でテッペン取るんだ、恋愛にウツツを抜かしてる暇はねえ」


 自分だけ一目惚れ話を開示したのは、少しおさまりが悪い。

 エミールは意地悪く、もう少し深掘りすることにした。


「じゃあ、気になる人とかいないの? いるでしょ、ひとりくらい。恋愛以外でもいいよ」

「……まあ、いるぜ」

「だれ?」

「うちのシェフだ。アイツを倒さねえとテッペンは取れねえからな」


 料理ってそういう世界なのか、怖いな……と、エミールは思った。

 ……よく考えてみれば、誤魔化されただけだと、あとで気づいた。


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