霊障

 次の日、僕が教室に入ると僕の席がなかった。

僕の机は教室の片隅でひっくり返っていて、机の中に入れてあった教科書やノートがその周りに散乱している。

誰の嫌がらせかはわかっていたし、僕には保健室に行くという手段があった。だから僕は教室を出ていこうとした。

「あいつだね」

 池中さんの声がした。僕が池中さんを連れて学校に行くのは初めてだった。

「君のスマホをあそこに捨てたのもあいつだね」

僕は黙っていた。わかるよ。池中さんが僕の耳元で言った。生ぬるい息が耳たぶにかかったような感覚。

「何度も何度も虐げられると、やり返す意思も消耗するよね。君たちの間になにがあったのかは知らないけど、見ていて気持ちのいいものじゃない」

 大した理由ではない。僕が中途半端な時期にバスケ部をやめたから、連帯責任から一抜けをしたからだ。しかしバスケ強豪校として2年間の洗脳じみた練習とコーチの罵倒を耐えてきたチームメイトの目には、あり得ない裏切りと映った。

僕が受けているのは、報復である。

「しかたないよ、池中さん」

「何を言う。今の君にはあたしがいる」

池中さんは「あいつを呼び止めろ」そう言った。

「谷くん」僕はかつて、ケイと呼び合っていた元チームメイトを呼んだ。

ケイはものすごい顔で僕を睨んだ。

そして、うぶ、と変な声を出した。ケイの顔面が黒ずむ。顔じゅうの血管が黒く浮き出す。うぐ、また呻いた。顔面が血まみれだった。鼻からすごい量の血が出ていた。ケイの体が揺らいで、ばたんと後ろにひっくり返った。

気が付いた女子がヒーッという湯沸かし器みたいな高音の悲鳴を上げた。悲鳴が感染する。教室から走り出ていく者、写真を撮ろうとする者。今が朝でよかった。僕は茫然としながら思った。昼休みだったら、教室中パニックで他の生徒にも被害が出たかもしれない。

うぶ、ごふ、と喉に何か詰まったようにケイは呻いていて、手足を痙攣させていた。悲鳴を聞きつけた教師が教室に飛び込んで、ケイの様子を見てすぐに「救急車!」と叫んだ。


――気管に水が詰まっていたんだって。

――今も錯乱状態。

――昨日あいつ、お化け沼に行ったらしいから……。

学校のあちこちで噂が躍る。

昼休みまでに2年4組で起きた事件はあっという間に学校の隅々に行き届いた。救急車が派手にサイレンを鳴らしてやってきたものだから、学校はもうお祭り騒ぎで、担架で運ばれるケイを一眼見ようと窓に生徒が鈴なりになった。


「すっきりした?」

「あんまり」

「死にはしないから。でも悪夢とかみるようになる」

僕はゆっくりと廊下を歩く。ケイがああなったのは、多分池中さんが僕の代わりに怒ってくれたからだ。僕が連帯責任と相互監視に耐えかねてバスケ部をやめてすぐに始まった嫌がらせは、緩慢に僕から活力とか希望とか息のしかたを奪っていった。

今はほんの少し、目の前にかかっていた薄い靄みたいなものが晴れてきた気がする。ケイには気の毒だけど。

「池中さん」

「なに」

「ありがとう」

「次はスタメン全員やってやろうか?」

「やめてね」

 池中さんがはしゃぐから、僕も少し笑った。

「池中さんは学生の頃、どんなだったのかな」

「わかんないよ。忘れちゃった」

「意外と不良だったりしてね」

「そうかもね」

僕たちはまた、少し笑った。

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