池中さんは池の中

いぬきつねこ

憑依

 池中いけなかさんは濁った池の中に沈んでいた。

僕が池に落としたスマホを探して膝まで水に浸かってジャバジャバやっていたら、彼女が水面に立って「私の体、その辺に沈んでない?」と言ったのだ。

僕がまたジャバジャバやって見つけたのは、明らかに頭蓋骨で、目の所の穴からエビが這い出てきた。

「見つけてくれてありがとう。今日から一緒だね」

池中さんはそうして僕に憑りついた。

池中さんは顔色が悪くて血管が浮いてるけど、胸の大きい、なかなかの美人だった。「嫌です」と言ったらめちゃくちゃ鼻血が出てきて、このままじゃ死ぬなって悪寒がしたので、僕は受け入れたわけだ。

 池中さんは昔の人だった。もうあんまり流行っていないタピオカを見て「何これ。カエルの卵?」、スマホを見て「ケータイが折り畳みじゃない!」と驚き、町ゆく人の服を見て「今年もブーツカットが流行ってんのか」なんて言った。僕は池中さんと意識の一部を共有していた。取り憑くってそういうことらしい。池中さんという名前は僕が決めた。彼女は自分の死に関する記憶を全部失くしていて、名前さえ思い出せなかったからだ。池の中にいたので池中さん。これが森だったら森中さんで、幽霊屋敷だったら家中さんになっていただろう。

「君は健康のためにも学校をサボるべき」

 池中さんが言ったので、僕はそれに従うことにした。

サボって何をやればいいんだといたら、池中さんは、にやーっと笑った。

「デートだよ」

 能天気な幽霊が提案したのは真昼間の海だった。冬の海には人気ひとけがない。空は灰色で、波も灰色で、波打ち際には魚の死体が打ち上げられていた。僕は塩気を含んだ海風で池中さんが消滅する可能性を考えたけれど、それは起こらなかった。

「あそこに一人でたたずんでる、訳ありそうな女の子がいるでしょ」

僕の体を操って指を指させる。波打ち際に突っ立っている、制服姿の女の子。僕も制服姿の訳ありそうな男子高生なんですけどね。

「声をかけて」

「は?嫌なんだけど」鼻血攻撃が僕を襲う。そうだった。この幽霊は人を呪える。

結局、僕は「すいませーん」と声をかけ、

「こんにちは佐々木くん。君とこうして向かい合うのは初めてだね!」

頭の中に響いていた池中さんの声が、目の前の女の子も口から聞こえた。

 電話の子機みたいなもんで、と池中さんが説明した。子機?と訊くと、池中さんはボリュームのあるボブヘアを振って「平成うまれがよ」と毒づいた。

その電話の子機状態の池中さんは、今はこの子の中にいる。小柄で少し肉付きの良い、ボブヘアの女子高生。

「やるぞ。海岸を走るやつを」

 池中さんは駆けだして、僕が続かなかったので20メートルくらい走ってばったり倒れた。糸が切れるみたいに。

「君があんまり離れたらだめなんだって。親機は子機と離れたら通信できないんだから」不満げな池中さんの声。ついでに鼻血も出た。

そういうことかと僕は思った。池中さんは完全にこの子の中に存在できるわけではなくて、あくまで本体の僕を通して操っている。

「不便じゃない?」

「生きてる者の中に入ることはできないの」

「僕には入れるのに?」

「君はあたしの骨を見つけた。あれが契約になってるから」

池中さんは制服の砂を手で払い、「やるぞ。砂浜を走るやつ」また言った。

 結局僕らは1時間ほど池中さんご要望の、砂浜で追いかけっこという前時代的な遊びに興じた。池中さんはゲラゲラ笑いながら波打ち際で水をかけてくるし。テトラポットに蠢いている謎の貝とかフジツボを剥がしては僕に投げつけてくるから、捕まえたカニを投げたら楽しそうにギャアギャア叫んだ。でも池の中でエビとカニに食べられた話はしてくれなくてもよかったのに。

楽しくなかったかというと、それは嘘になる。

 あの子はどうしただろうか。池中さんは流木に座ると、僕の中に帰ってきた。背骨に沿って寒さが走って、意識の片隅に池中さんが戻る。あの子は流木の上で座ったまま眠っているようだった。気を失って目が覚めたら、いつの間にか時間が経っている。そして制服が砂まみれで胸ポケットにカニが入ってるという経験は、新しい怪談として世を騒がせるかもしれない。

 



 

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