重なるかばね、麗しき日々

 我々はそれぞれ体に直接赤い値札を貼られ、ジャンルごとに分けられた売り場の、一番下のカゴに無造作に放り込まれた。


 ミニカーと怪獣たちは別の売り場に運ばれたようだが、私やメックキング、変身ベルトや光線剣は一纏ひとまとまりに型落ち男児玩具だんじがんぐのクリアランス売り場に入れられたのだ。


 誰かに買って貰えるかも知れないという私のささやかな希望的観測は、すぐにそれが希望的観測のいきを出ないと知れた。


 ガラスの棚板の上の段には、最近のヒーローや海外映画のスターたちのほぼ新品の箱が綺麗に陳列され、割と定期的に売れてゆく。


 だが今のご時世、いかな捨ての買い得品であっても古い番組の傷んだ中古玩具ちゅうこおもちゃをお金を出して買おうなんてやからはそうはいない。時折、子供が私を手に取ってほんの短い時間遊ぶようなこともあったが「そんな古いのやめなさい」といった親からのたしなめを受けて、彼または彼女はすぐまた私や仲間たちを元の赤札カゴに戻すのだった。

 なんのことはない。我々はやはりすでに一度死んでいて、その死体の置き場が暗い収納から薄暗いクリアランス売り場に変わっただけだ。

 いずれ一定の猶予期間ゆうよきかんが過ぎれば、結局は燃えないゴミとして処分されるのだろう。


 それでも私は前より幾分いくぶんか気分が良かった。

 ほんの数回、ほんの数十秒とは言え、また子供に手に取って貰え、遊んで貰えたのだから。

 窮屈きゅうくつな暗い箱に詰め込まれているよりはずっとマシだ。神様とやらがくれた、本当に死ぬ前のちょっとしたサービス期間。様々な靴と靴下を履いた足首。我々を一瞥いちべつしては去ってゆく子供たち。点いては消える店の照明。通り過ぎてゆくそれらを数えるでもなく喜びも悲しみもせずただただ見送る変わり映えしない平穏な日々。

 

 また長く続くかと思われたそんな日々は、意外に少ない日数で終わりを告げた。

 再び私を持ち上げる、大きな大人の、男の手によって。

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