【距離30センチ】初彼女

 水戸から提示された『付き合う条件』は俺にとって簡単過ぎるものだった。本当にそれでいいのか何度も聞いてしまった程だ。


「松田くんにとって最高の彼女でしょ? 」

 と笑みを浮かべながら聞く彼女は間違いなく、俺にとって最適かつ最高の彼女だ。


 その日は連絡先を交換して別れた。


 ◇


 翌日は土曜日で俺は部活に行った。部活の前に、柔剣道場の入り口でばったりと会った圭吾に俺は嬉しくて抱きついてしまう。


「なんだ? やめろ、あちぃ! 」


 圭吾は全身で嫌がっていた。そんな彼の耳元で俺は囁く。


「圭吾ぉ、俺……彼女できちゃった」


 その言葉を聞いた圭吾は俺を乱暴に突き放した。


「ああっ? 誰と? 」

「水戸ちゃんに決まってるだろ? 告白したらオッケーだった」


 小躍りしかねない様子の俺に、圭吾は少しの間呆然としていた。親友から祝福して貰えると思っていた俺に掛けられたのは意外な言葉。


「光太郎、夜道には気をつけろ。

 あと、マジ見損なったわ。はぁ……」


 呆れた顔をして、ため息をつきながら圭吾は去っていった。思いがけぬ言葉に俺は意味がわからず立ち尽くす。


 そのうち、美優が目の前を通り過ぎたので、俺は彼女に声をかけた。


「美優、おはよっ」

「お、おはよ……」


 挨拶しただけなのに、美優は緊張しているかのように見える。以前だったら、話題が尽きない程におしゃべりできたのに、間が空いてしまう。


(ちゃんと言わないと、このままじゃダメだ)


 俺は意を決して美優に自分の気持ちを話した。


「美優、こないだは変なこと言ってごめん。中二病とか人から言われたくないよな。指摘してあげるのも幼馴染みの務めかと思ったんだけど……傷つけて本当にごめん。

 美優は何かを『頑張ってた』んだよな。よくわかんないけど、美優は真面目だから端からみたら変に思えるほどに突っぱしっちゃったんだよな」


「光ちゃん」


「しばらくさ、美優と話せなくて寂しかった。変だよな。『えんれん』しようって言ったのは俺からなのに……」


「わたしも、寂しかったよ?」


 少し潤んだ美優の瞳、艶やかな長い髪が風になびいて揺れる。


「おいっ! お前ら、いちゃいちゃすんな! 練習遅れっぞ? 」


 やってきた剣道部顧問の吉野の声によって、俺たちのラブシーンは阻害された。

 別にラブラブしていた訳じゃないけれど、久々に美優を至近距離で見られて話せて俺は死ぬほど嬉しかったのだ。


「「すみません! 」」


 そう言って、美優と俺は更衣室に向かう。男女別だから行く部屋は違うけれど、ドアノブに手をかけた俺は、同じく少し離れた部屋に入ろうとしている美優と目が合う。


 美優は白い歯を覗かせて笑って、指先だけで手を振って、部屋の中に消えていった。


(ああ……やっぱり俺はみーちゃんが好き)


 今更ながら実感して固まった俺は、ドアの前で立ち尽くしていてまた吉野にどやされた。


 部活の後は何もなかったように、美優と2人で帰る。腕が当たるほどの距離で今まで歩いていた俺たちの距離は30センチ程。

 いつもは遠慮なく距離を詰めてきていた美優は、近いけれど少しだけ距離をとっていた。


「光ちゃんと一緒に勉強しなかったから、私今回のテストかなり自信ないよぉ……」


 美優は甘えたような声を出し、隣を歩く俺を見つめる。


「別に俺がいなくても大丈夫だろ? そもそもいつも教えたりもしてないんだから」


 それは事実だ。同じ空間で勉強するだけで、俺たちは教え合ったりはしない。圭吾のように美優が俺のノートを見ることもない。


「全然違うよ~。私、光ちゃんに追い付きたいからずっと頑張ってるんだもん。なんでも」


 追い付くも何も、俺よりも美優の方が優れていることはたくさんある。


「なーに言ってんだ? 俺は調べないと何も出来ないけど、美優は最初から割りとなんでも出来るだろ? 」


「そんなことないよ。

光ちゃんはずっと私の憧れ。光ちゃん、もう『えんれん』止めていい? 離れてたら私、暴走しちゃうから、ずっと傍にいて見てて欲しいの」


 美優は立ち止まり、俺の目を見つめておねだりするように言葉を発する。白い肌に汗のが流れ、白いセーラー服に消えていく。


 俺の胸は『美優が好きだ』と拍動していた。

 痛いほどに突き刺さる感情の渦に、このまま気持ちのままに言葉を発したくなる。


「いいよ。『えんれん』はもうおしまいな。距離をとらなくてもよくなったから」


「えっ、ほんと? そうだよね、私達ずっと近くにいればいいもんね! 私はずーっと光ちゃんの側から離れないから練習なんてする必要ないよ」


 心底嬉しそうな美優の声。彼女は距離を詰めてきて、お互いの腕が当たる。彼女の右手は俺の左手を触り、遠慮がちにつんっと弾いた。少しの間隔を空けて何回か。


 隣を見ると美優が物凄く恥ずかしそうにうつむいている。顔は耳まで真っ赤だ。


「美優……? 」


 俺が訝しげに覗きこむと、美優は俺の方を見てきた。物凄く小声で何か言う。


「光ちゃん……、て――――たい」

「へっ、なんて? 」


 俺が聞き返すと美優は何も言わずに、俺の左手の小指だけを、指先で控えめに握ってゆっくり歩き出す。


「おうち帰ろ……? 」


 これは『手を繋いだ』の内に入るのだろうか?


 水戸の条件の範囲内だろうか?


 それを判断出来ない俺は、無言で歩く美優と同じ歩幅で彼女の隣を歩いた。その手を振り払うこともなく、繋ぎ返すこともしない。


 俺の家のドア前まで来たところで、美優は俺の小指を解放した。


「光ちゃん……あの、これからも仲良くしてくれる? 」


 必死な目で俺を見つめる美優はとんでもなく可愛かった。そのままキスしたいくらいに。


「当たり前だろ? 」


 俺の言葉を聞いた美優は満面の笑みになって、セーラー服をなびかせて家の中に消えていった。


 自分の部屋の中に入り、ベットに倒れ込んだ俺は脱力してしまう。


 想定外の事態に俺はめっぽう弱い。


 テストなどの情報収集をして対策できることならば、得意分野ではある。しかし、緊急事態に対応できない俺では美優を守れない。


 実際、一度守れなかったのだ。


「あー、くそっ。みーちゃん反則! 可愛すぎっ」


 つい、口に出して悶えてしまう。

 彼女を諦める決心がゆるみかける。


 不意にスマホを見ると水戸からメッセージが来ていた。


【明日、デートしない?  今後の付き合い方の相談もふくめて話したいな】


 そうだ、俺には最高かつ最適な彼女がいる。俺の全てを認めてくれるのは水戸ちゃんだ。


 今日の出来事についても、条件内かを確認しなくてはいけない。


【わかった。俺も相談したいことがあるんだ。どこ行く? 】


 その後、水戸からかかってきた電話は楽しくて、俺は明日の初デートが楽しみになった。

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