第33話 もう一度想いを伝えて欲しい彼と、楽しそうな彼女。彼は彼女の本心を知らない

 翌朝。

 デルフィーは自分の腕の中に、昨日の情事の名残りを見せるアベリアを抱きしめていた。

 もう少しこうしていたい気持ちがあったけど、それは一先ず諦めることにした。

 昨日の夜、アベリアは食堂に現れず、侍女のマネッチアにも姿を見せないまま、朝を迎えている。

 アベリアの事を心配するマネッチアが、いつもより早く彼女の部屋を訪ねて来るかもしれない。

 もし、そこで彼女が居なければ、直ぐにここへやって来るだろう。

 デルフィーは、とりあえず服を着るべきかと思い、アベリアを抱き締めていた腕を、彼女の体の下から動かした。

 それでも起きないアベリア。彼女の頭をひと撫でして、いつもの服を身に纏った。

 しばらくアベリアの寝顔に見入っていたデルフィー。

 やはり、まだまだ深い眠りの中にいるアベリア。

 マネッチアがここへ来て、アベリアの姿を見たら、何が起きたのか一目瞭然の状態だった。

 苦渋の決断だったが、アベリアが目覚めた時に動揺することを考えたら、ここで起こすしかないタイミングだった。

 


「アベリア様、そろそろ起きないと。マネッチアさんがアベリア様の部屋へ来てしまいますよ」

 全裸で眠るアベリアへ声をかけるのは、既に身支度を整えたデルフィー。

 昨日の夜よりも、今朝の方が体に残るワインのせいで、ぼんやりとしていた彼女。

 ぼーっとしつつも、目覚めて直ぐに伝える言葉は間違えなかった。


「おはよう、デルフィー。……昨日は大きなネズミが出たせいで、怖くて1人で眠れなかった。だから、あなたの所へ来たの。きっと、もうネズミは居ないから部屋へ戻るね」


 でも、彼女の心の中は、昨夜の出来事全てを思い出し、恥ずかしくてたまらなかった。

 自分1人だけ裸なのも、自分から彼を求めた事も、淫らに乱れ過ぎた自分の事も、躊躇う彼に全てをせがんだことも。それに、視線を外せば、押しかけた自分のせいで彼のシーツを汚していた。


 全部が恥ずかしくて、直ぐにでも立ち去りたかったし、昨日の情事を連想させることは極力避けたかった。

 だから、彼と目を合わせることが出来ず、至って冷静な振りをした。


「……それは災難なことで。……悪い夢は見ませんでしたか」

 デルフィーは、思った以上にアベリアが冷静に反応したせいで、少し戸惑っていた。

「大丈夫だった。寧ろ、とても良い夢を見たかな。――たぶん、未来で見る夢の中で、昨日の夢が一番幸せな夢だと思う」

「そうですか。それは良かった。私も昨夜は幸せな夢を見ました……」


 2人の熱い出来事や愛の告白には触れず、いつも通り、曖昧な言い回しをする彼女。

 そして、手早く着替えたアベリアは自分の部屋へ戻って行った。

 

 目覚めて直ぐに、2人の熱い時間を夢だと言ったアベリア。

 そしてあの夜、2人で邸を出て彼と暮らしたいと言った願い。

 彼女は、その想いを2度と伝えてくることは無かった。

 だから、デルフィーは思っていたし、自分を納得させていた。

 彼女はやはり侯爵夫人で、そうあるべきだと。

 あの、妖艶で美しい彼女も、理性を手放し感じたままの声も、自分を欲する甘えた姿も……、もう見る事が出来ない1日限りの夢だったのだと。


 この後も、2人の温かい時間はこれまでと変わることはなかった。

 デルフィーを見つめて頬を染めるアベリア。

 デルフィーが淹れてくれるリンゴハチミツの紅茶は2人で並んで、ふ~ふ~と息をかけて味わった。

 温かくて幸せな時間を過ごしていた。



 そして、お金に困った侯爵が、再びこの領地へ来ることが無いよう手を打っていたアベリア。

 王都の侯爵へ、予め用意していた多額のお金を、侯爵の要求通り、税金として送っていた。

 彼女は化粧水を売って得たお金で、領地のために必要な機械を買っていた。

 侯爵領のために多額の投資していたのだから、本当は送る必要も無いお金だった。

「アべリア様、本当にそのお金を送るのですか? そこまでする必要はありませんよ。もう少し、ご自身のことを考えても良いと思います。あのような当主へ、優し過ぎるあなたが少し心配になります」

「いいの。このお金を送っておけば、侯爵がここに来る理由はないもの。デルフィーと一緒にいられる時間を邪魔されたくないし。……本当は、優しいなんてことはないの。デルフィー……」

「どうされました?」

「いいえ、何でもない」

 ーーーー

 

 デルフィーが、その疑問に思った事を口に出す勇気があれば、2人の関係は違う形になったかもしれない。




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