インターステラー・レイトレター

燈外町 猶

第1話

「あの煌めきに心を奪われるのは、きっと私がエイリアンだから、なんだろうね」

 天の河なんて見えない、か細い星々が揺らめく暗闇を眺めながら瑞稀みずきは言う。

 築五十年、錆色が目立つアパートのベランダで私達は二人、雨上がりの夏草から漂う、湿っぽい空気に包まれていた。

「……どういう意味?」

千智ちさとにはわからないよ。生きてる星が一緒なだけで、生まれた星が違うんだから」

 中学に上がってから、瑞稀のこういう発言は徐々に増え始めた。周囲を多勢、自身を無勢として諦めたように嗤う。だのに、高校生になった今も悩みや本心を決して打ち明けない。そんな瑞稀に、私は少なからず苛立ちを覚えていた。もう十年以上傍にいる幼馴染じゃないのか、と。

「違うことなんてなにもないよ。私達は地球に生まれて、日本に生まれて、ここで出会って一緒に育って、身長も体重もそう変わらない、何にも変わらない」

 確かに瑞稀は大人びていて、どこか浮世離れした雰囲気を常に纏っている。俗に言う『近づくなオーラ』を全身から漲らせている。けれど、それがなんだ。そんなものは決定的な差異になんて成り得ない。

「そっか。じゃあ、きっと上手に擬態が出来ているんだね、私は。」

 ようやく暗闇から視線を切ると、瑞稀はこちらを見て頬を緩めた。けれど三日月のように鋭い目尻は、痛々しいくらいに作り笑いの気配を滲ませている。

「瑞稀、これ」

「……あぁ」

 私が差し出したソレを、瑞稀は幼児向けのおもちゃを見るような目付きで受け取った。

「提出してないの、瑞稀だけだから」

「一種のハラスメントだと思うんだけどな、願い事を書け、だなんて」

 ソレは一枚の紙っぺら。クラスイベントの一環、教室の隅に置かれた七夕飾りに飾る短冊。

 そう重く捉えることはない。無記名でいいし、誰が何を書いたなんて騒ぎは一過性だろうし。

 けれども今日まで瑞稀は、クラス委員の私に頑として提出をしなかった。流石にいないだろうけれど、もし面白半分で枚数を数える輩が出たら、さらに面白がって犯人提出していない者を探し始めるかもしれない。そういう事態を未然に防ぐため、適当でも嘘でもいいから提出してほしかった。私が一枚書き増すという考えもなくはなかったけれど、インチキはバレた後が一層面倒になる。正攻法で解決するなら、それが一番いい。

「千智はなんて書いたの?」

 ぴらぴらと遊ばせながら興味なさげに瑞稀が問う。しばらく正解を求めて逡巡してから、私は正直に答えた。

「親友が、私を頼ってくれますように」

「親友って私のこと?」

 そんなこと聞くな。あんた以外に誰がいる。そんな想いを込めて睨め付けると、瑞稀は視線を再び夜空に戻して「かなわないなぁ」と呟いた。それが『敵わない』なのか『叶わない』なのか、私にはわからなかった。

「ねぇ、千智」

 不意に。いつもの、おちゃらけた雰囲気が一変して、語威の強まった声を出して。瑞稀は私の胸元へ飛び込んできた。

 それから背中へと、控えめに両手が回ってきて、控えめに力が込められ、彼女の声が震える。

「これでも、わからない?」

 震えているのは声音だけじゃない。肩も、膝も、瑞稀はただひたすら、何かに怯えているようだった。

「……わからないよ。ちゃんと言葉にして教えてよ」

「…………そうか、わからない……か。いや……わかっていたんだよ……わからないのは、わかっていた。十年という月日で濾された魂は、その違いを明確にしてしまったんだ。……生身で宇宙空間にいるような感覚を拭えないでいるんだ……。だからやっぱり私はエイリアンで、千智は人類で「もうやめて」

 いい加減、打ち明けてくれるんだと思った。だのに瑞稀はまた曖昧な表現で煙に巻こうとしている。いつもの苛立ちが、沸々と込み上がる。

「私はなんだって瑞稀に言えるよ。困ったことがあったら瑞稀に頼るよ。だって友達で……ううん、親友で、幼馴染なんだから」

 私も瑞稀の背に手のひらを回し、あやすように軽く叩いた。すると彼女は「違うんだ、私は……千智が……私は……」ぶつくさと、私が聞き取れない声量で滔々と呟きながら離れていく。

「……短冊は明日渡すから、今日はもう帰って」

「…………わかった」

 釈然としない気持ちが残りながら、これ以上今の瑞稀と会話をしても無駄だという諦念に負けて、ベランダから部屋に入り——やっぱり言いたいことを捲し立てて——それから逃げるように、玄関を抜けて自宅に帰った。


×


 好きな人が異性ではない。それだけのことで世間は異星人を見るような目で同胞をなじり、無礼な発言や行動を平気で行う。

 たぶん、そんな場面をテレビで見た。小学校の卒業を間際に控えていた頃、ゴールデンタイムのバラエティ番組だったと思う。きっと誰にも悪意はなかった。それでも私はその光景が網膜にこべりついて。恐ろしくて、今でも、拭えなくて。

『瑞稀は自分のことエイリアンって言うけどさ』

 ひとりぼっち。取り残されたベランダで、千智が帰り際に、やや怒り口調で放った言葉を思い出す。

『広い目で見れば地球人だって宇宙人でしょう? いや……主語が大き過ぎてピンとこないか。……少なくとも私だってエイリアンだよ。だけど奇跡的に同じ場所に居て、同じ言語を使ってんじゃん。だから……すぐじゃなくてもいいからさ、いつか必ず……ちゃんと私に、言葉で伝えてよ。瑞稀の苦しみやつらさを。……私を、瑞稀に寄り添わせてよ』

 かなわないなぁ……全く。

 生真面目で短気なくせに、甘ちゃんで優しいから、いつだって苛まれている私の……幼馴染。私の親友。いや……それだけじゃない。そんなんじゃ、そんな言葉でキミを言い表してたまるものか。

「……さて」

 ベランダから部屋に入り、彼女に渡された短冊を机に置いてシャーペンを執った。

 一文字一文字、ありったけの勇気を振り絞って綴る。まるで十三階段を上るような心持ちで、徐々に筆圧が弱まりながらも書き切った十三文字。

『キミが好きだよ、エイリアン』

 ……バカバカしい。わかるはずがない。伝わるはずがない。否定されるくらいなら、同情されるくらいなら、このまま嫌われた方がマシだ。

 願いではなく想いを込めた短冊を乱雑に破り、細かい紙の破片へと変貌させる。

 唐突に湧き出た怒りに任せてそれらを一掴みにしベランダへ出ると、反動的に込み上げた涙に力を奪われ、手のひらから溢れた想いの欠片たちが、生ぬるい夜風に乗って暗闇へ溶け込んでいく。

 そうだ。この儚く脆い天の河と同じ。私の言葉は、千智が普通に生きる星まで——異性に恋することが普通とされる星まで——きっと、辿り着くことはない。

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