第2話

 アゼルが十八歳の時、今まで訊いてもはぐらかされていたりして、あまり追及する気にならなくて放置していた自らの出自に関して改めて興味を持ち始めていた。なぜ自分には、不老不死の呪いをかけられた母のみがいるのだろうと。父親は誰なのだろうかと。

 ある日、レイラがどこか遠出に行くような準備をしていることに気が付いた。流石に本人も最初から隠すことはできないと考えていたのか、尋ねると、なんでも皇帝の宮殿に行くのだという。呼び出されたということなのだが、不審だったのでついていくという旨を伝えると、しぶしぶといった様子で承諾した。

 蒸気機関車と路面電車を使い宮殿まで向かう途中、アゼルは自分自身の出自を聞かされることになった。そろそろ大人なんだから教えてくれたのかもしれないし、何か他の理由があったのかもしれない。ただ、もう知ってもいいだろう、知っておいた方がいいだろうという判断があったような気がする。その話を聞いたアゼルは、まず衝撃を受けた。次に、煮えたぎるような憎悪が沸き起こった。自らの不遇よりも、レイラの不遇の方が気に障った。

 宮殿に到着し、もともとアゼルは待たせておくつもりであったが、彼がついていくと言って譲らないから一緒に入ることとなった。

 城門をくぐり、謁見の間に通された。玉座に腰を下ろした皇帝と、銃剣を装備した二名の近衛の姿があった。皇帝が堕落を極めた人物であるということは既に知っている。それを証明するかのように、彼は肥え太っていた。


「久しぶりだ、レイラ」

「ええ、お久しぶりです」


 彼女の表情は硬い。


「そこにいる少年はなんだ」


 その言葉にレイラは怒りを覚える。しかし心の裡に留めて表さない。


「子どもです。あなたの」

「ふうん、まあいい」


 特に興味もないといった様子で、アゼルからは目をそらした。


「ところで、だ。レイラ、再び私のもとに戻らないか。追い出してしまったことを最近後悔するようになってね。独りじゃ寂しかったろう」


 返答に窮する。暫く間があってから、


「……それはご親切に、痛み入ります」


 くっくっくと皇帝は満足げに笑みを浮かべた。品定めするように、舐めるようにレイラを見つめる。


「ああ、レイラ、君は変わっちゃいないね。以前のように美しいままだ。いや、少しやつれたかい? 心配ではあるが、むしろ儚さ美しさが増したようじゃあないか」


 玉座から立ち上がり、レイラの方に歩き出す。彼女の前に身を屈め、髪に触れた。顔を近づける。

 アゼルは人の表情に敏感だった。だから、気丈に表情を隠す彼女の顔を見て、無意識的に口を開いていた。


「離れろよ」


 怒りに震えた声だった。自分でも驚いた。すぐに取り繕おうと思ったが、うまく声が出せなかった。皇帝の視線がアゼルに移る。


「愉快な子だな。あっちに行ってろ」


 アゼルに手を向ける。魔術陣がその手に生じたと思ったら、背中に衝撃が走り、床に腰から落ちた。すぐに背中にぶつかったものが壁だと気づき、二人と距離が離れていることにも気がついた。魔術で吹き飛ばされたらしかった。

 皇帝はゆっくりとレイラに顔を近づける。嫌悪感が背筋を冷たくした。アゼルは堪えきれずに駆け出した。懐に隠していたナイフを取り出す。


「⁉ アゼル! 待って!」


 レイラの静止の声も耳に届かなかった。ただ憎かった。目の前から消さねばならないように感じた。こいつがすべての元凶だ。過去のレイラの苦痛も日頃の苦労も、何もかも。自分の苦しさも。

 すぐさま近衛二人がライフルを構える。セミオートで弾丸が飛来するが、目線の動きから射線を予測し、次々と回避していく。


「ほう、先代皇帝からの血筋の力か。おもしろい」


 また気味の悪い笑みを漏らした。それから苛立ったように壁の電話器を取った。


「すぐに兵を寄こすように。ナイフを持っているじゃないか。門番は何をしていた。高射砲だ。高射砲で処刑しろ」


 俊敏に衛兵のうちの一人と距離を詰め、ナイフを振りかぶった直後、銃床でみぞおちを殴られた。よろめいたところに銃口を向けられる。痛みをこらえてすぐさま射線から逸れ、背後に回り込んだところで一度距離を取る。


「本当に、あの皇帝に忠誠心から仕えているのか」


 近衛二人がひるんだように震える。


「そうじゃないんだったら、そこから動くな。俺の側につけ」


 二人は顔を見合わせて、どうすればいいかわからないようにうろたえている。うまくいったようだ。

 しかし、アゼルは恐ろしい違和感を覚えていた。口が勝手に動いていた。体が勝手に動いていた。そうじゃない、そうじゃない、やめてくれと内心怯えることしかできなかった。ゆったりとした歩調で皇帝の方に歩み寄る。さすがに不気味に思ったと見えて、少し後退った。その隙をついてレイラは皇帝のもとから離れていった。


「貴様ら、なぜ動かない? なぜこいつを殺さない? 死刑だ! 死刑にしてやる!」


 子供が駄々をこねるに等しい言動をするから、より苛立ちが強くなった。衝動に任せて地を蹴る。ナイフを振りかぶった。そこで、さっきと同じ魔術陣が視界に入った。二度同じ手は食らわない。一度身を翻し回避して、振り向きざまに切っ先を突き出した。身体を穿った感触があった。一瞬遅れて手応えの先を目視する。

レイラの姿があった。思考が止まった。

 皇帝が引き攣った笑みを浮かべながら魔術を発動させた手を下ろした。


「ははっ、ははっ、残念だったな。術式の対象はお前じゃない、こいつ、ええと、レイラだ。お前が殺したんだ」


 ナイフを振り切った姿勢のまま硬直した。彼女を盾にしたらしかった。支えを失ったように、ぐったりとナイフに体重がかかった。頭がぼうっとする。誰かが部屋に駆け込む音が聞こえた。鋭い声と共に抱きとめられる。そこで記憶は途絶えた。

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