第1話

 ライン帝国。神のような力を使ったとの逸話も残る、アゼルの祖父が創った吸血鬼ヴァンパイアの近代国家だ。吸血鬼は時折純人間ヒューマニティから生まれる、最初から死んだ存在。特異なもので、生きていくためには必要ないが、成長するために生き物の血を飲まなければならない。別段人間の血にこだわることはないが、当然のこととして純人間には恐れられ、迫害された。純人間の国々に点々と存在していた吸血鬼たちを集め、何度かの統一戦争によって一国にまとめ、初代皇帝となったのがアゼルの祖父グスタフであった。しかし、彼の跡継ぎでありアゼルの父である男は、堕落した皇帝となった。二代皇帝は正妻を取らず、ただ遊ぶのみだった。そのうちの一人がアゼルの母、純人間のイグリシア帝国人、レイラだった。当時レイラは十七であり、二代皇帝がずっと己の欲を満たせるようにと、当時すでに苦痛でしかないとわかっていた不老不死の呪いをかけた。気が変わったのか何なのか、アゼルは詳細を知らないが、子を身籠った彼女は宮殿を追い出され、帝都から離れた田舎の小屋に住むこととなった。近隣住民という近隣住民はいない。しかし買い出しで街に向かう中で懇意になった中年の女性に産を助けてもらった。そうして生まれたのがアゼルである。

 生活は困窮と苦難を極めた。永遠に不変の十七歳の女手一つで赤子の世話をしつつ、労働をすることの難しさたるや。加えて吸血鬼は成長する上で動物の血を必要とする。なんとか少ない人間関係のなかで協力してもらいつつ、時には動物の死骸を引きずって家まで帰ることもあった。

 アゼルがまだ四歳だったある日、レイラはいつものように労働をして、買った食料を提げて帰宅したが、アゼルの姿が見えなかった。「アゼル、どこにいるの?」と、疲労でうまく出ない声を張り上げてみたが、返事はない。日頃からストレスの溜まっていて余裕のないレイラは、簡単に冷静さを欠く。買ってきた食料を貯蔵庫にも入れず、そのまま家を飛び出した。何者かに連れ去られたのだろうか。一人でどこかに行ってしまったのだろうか。腹は空かせていないだろうか。怪我をして動けなくなってはいないだろうか。二人の家は、林の開けたところにある。いつも二人で散歩に行く場所をしらみつぶしに探していく。靴擦れで足が痛んだ。工場長に殴られた箇所が痛んだ。それでもかすれる声で彼の名を呼びながら、二人の思い出のある場所を回っていく。やがて、少し離れたところの花畑に着いた。もはや見つかるとしたらここしかない。ここにいなかったら。

 綺麗な色彩に輝く花々を見渡す。赤みがかった白い髪と、鋭く光る赤黒い双眸を探す。


「アゼル」


 そう呼ぶと、花畑のとある場所から探していた色が飛び出した。


「アゼル!」


 苛立ちと安堵の混じった声音で呼ぶとともに駆け出した。


「母さん」


 そう呼ぶ彼はにこやかな、かわいらしい笑みを浮かべていた。


「どうして勝手に」

「はい、これ」


 叱責する母の声を遮って、アゼルは両手で持った花束を突き出した。花畑から引き抜いた花々を、草で結んで花束にしたらしい。困惑するレイラをよそに続ける。


「僕の知らないところでいつもがんばってるのわかってるから、ありがとう」


 そう言われた途端、彼女は涙を流した。初代皇帝の隔世遺伝か、彼が聡い子であることを彼女はよく知っていた。優しい子であることもよくわかっていた。気づかれていたし、気を遣われていた。気を遣わなければならないのは自分であったのに。


「ごめんね、ありがとう」


 涙ながらにそう伝え抱きしめると、アゼルは満足そうに笑った。

 のちに、彼女はそれを牛乳の瓶に差して飾った。子供の未成熟な感性で選んだらしく、色に統一性もないバラバラなものであった。花畑とは別の場所で見つけたのだろうか、小さなひまわりが明らかにその中で浮いていて、おもしろくって見るたびに笑顔がこぼれた。ひまわりだけなんだか浮いてない? と訊いてみると、首を横に振りながら、母さんみたいだから合ってる、と強く主張したから、そのままになっている。

 レイラはしばらく物置に眠っていたバイオリンを取り出した。彼女の母親の形見だった。レイラのために、分数バイオリンからフルサイズまで、すべて母が買ってくれた。当然高価なものなのだから、全て売ってしまえば生活の足しになる。しかし売る気は起きなかった。心の優しいアゼルが弾いたらどんな音が出るのだろうと気になって、彼にあったサイズのものを取り出す。それから暇を見つけては、彼にバイオリンを教えるようになった。

アゼルが好きだというから、安いものではあるけれど、度々メロンパンを買ってくることがあった。レイラはのんびりコーヒーを飲みながら、おいしそうに頬張るアゼルを見つめているのが好きだった。こういうなんてことないゆっくりとした時間が好きだったし、アゼルの表情を見るに、それは彼も同じだったのだろう。たまに、母親と同じものを飲みたいと言って駄々をこねるから、しかたなくコーヒーを少し舐めさせてみたことがあるけれど、あからさまに顔を強張らせて苦そうにしていたのが記憶に残っている。貧しくて苦しかったけれど、確かに幸福が二人を優しく包むこともあったのだ。

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