1-6


 目を覚ますと私はベッドの上にいた。夢も現実も同じ景色の、ベッドの上に。

「ここは……どっち?」

 かべるされている制服を見て、ここがまだ夢の中だということに気付いた。

「──そっか。続けて読むとこうなるんだ……」

 私が読んだ日記は四月十一日から四月十六日までのものだった。と、いうことは……四月十六日を迎えるまでは、この夢から目覚めないのだろうか。

「とにかく、学校に行かなくっちゃ。今日も新は休みだったよね……」

 見慣れた制服を手に取ると、慣れた手つきでそでを通す。鏡を見ながら軽く整えるとそこには──三年前の、私の姿があった。

「おはよう、私」

 小さく呟いてみるけれど、鏡の中に映るまだ少しあどけなさの残る私が返事をすることはなかった。

 ──当たり前だ。だって今は、私が三年前の私なのだから。


「おはよー」

「旭! おはよう!」

 教室に入り席に着くと、後ろの席から陽菜が声をかけてくれる。

「昨日大丈夫だった?」

「あー、うん。とりあえずはなんとかなったよ」

 ──新にも会えたし。そう続けそうになった言葉を、私はグッと飲み込んだ。陽菜の知っているは、新──鈴木君との関わりはまだ0に等しいから……。

「そっか、今日もあるの?」

「今日は……」

 何も知らない陽菜は、一人で委員会のあれこれをしなければいけない私を心配してくれる。思わず言葉にまった私の目の前で──なぜか陽菜が金魚のように口をパクパクさせているのが見えた。

「……陽菜?」

「あっ旭……! う、後ろ!」

「んー?」

 陽菜の方に身体を向けていた私の──さらに後ろを指さしながら、陽菜が焦ったような声を出した。

(どうしたんだろう?)

 そう思って振り返るとそこには、一人の男子生徒が立っていた。

「……えっと」

「竹中さん、だよね?」

「……うん」

「これ、新が返しといてって。ありがとうって言ってたよ」

 そう言って差し出されたのは、昨日新に渡したノートだった。

「あいつ新学期早々休んじゃったって落ち込んでたから、めっちゃ嬉しかったみたい。俺からもありがとう」

「……そっか! 堂浦君かー!」

「え?」

「あ、ごめん」

 いまいち誰だったかピンと来てなかったが、そうだ。この人が堂浦君だ。新の幼馴染で確か……。

「──堂浦君は今日の帰り、新の家に寄るんだっけ?」

「何か……?」

「あっ……ごめん、なんでもない!」

 いけない。それは今の私が、知るはずのないことだ。

「ごめんね、まだクラスメイトの名前と顔がきちんと覚えられてなくて」

「ああ、俺もだよ。だから気にしないで。竹中さんは学級委員だからかろうじて覚えてたけど、他はなかなか……」

「ならよかった。でも、ホントにごめんね」

「気にしないで。──それじゃあそれ、渡したから。多分あいつ来週には出てこられると思うけど……もうちょっと迷惑かけちゃうかな。ごめんね」

「うん、わかった。大丈夫だよ、わざわざありがとう」

 それだけ言うと、堂浦君は自分の席へと戻っていった。

 無意識に追った堂浦君の姿は、深雪たちが待つグループへと近付いていく。深雪たちはいぶかしげに、堂浦君と私の姿をこうに見ていた。

(そりゃそうだよね……)

 そう思いながら視線を陽菜に戻すと……なぜか陽菜は机にすようにしてジタバタしていた。

「ひ、陽菜……?」

「…………」

「どうし……」

「旭、ズルい」

「え?」

「……っ! なんでも、ない!」

「なんでもなさそうには見えないんだけど……」

「なんでもないったらなんでもないの! ……で、それ何?」

 話をそらすように──けれど気になっていたのは本当のようで、陽菜は私の手元のノートを不思議そうに見ていた。

「ああ、これ……。昨日の委員会で出た話をまとめたノートだよ」

「ふーん? でも、それをなんで堂浦君が持っていたの?」

「昨日の帰りにあら……鈴木君の家に持っていったのを、鈴木君から預かってくれたみたい」

 そういえば……日記帳の中では堂浦君が新の家に寄るのは〝今日〟のはずだった。私のした行動により、また過去が変わり始めていた。

「へー? 旭、鈴木君の家なんて知ってたんだ? ってか、わざわざ自宅まで持って行ったの? なんで?」

 不思議そうな陽菜。それもそうだ。だって、今の私は数日前初めて新と同じクラスになってたまたま同じ委員になっただけ、それだけのあいだがらなんだから。

「ううん、知らなかったから住所は田畑先生に聞いて……。ノート持っていこうか迷って田畑先生に相談したらついでに数学のプリントも持っていってくれって言われたからそれで……」

 苦しい。こんな言い訳、どう聞いても苦しい。

「ふーん、そっか! 旭いい人だもんね! でも、あんまりいい人すぎると禿げるよー!」

せた……)

 笑いながら言う陽菜にホッとする。深追いしてほしくない時には、スッと引いてくれる。おしゃべりが大好きで、明るくて、女の子らしくて、可愛らしい大好きな私の親友。

「ほっといてくださいー!」

「あはは、じょうだんだよー」

 冗談を言い合って、笑い合って。私は当たり前のように〝三年前〟の時を過ごしていた。


「よーし、みんなそろってるなー」

 田畑先生の声が聞こえて、慌てて私は身体の向きを直す。手にしたノートも机の中に入れようと動かした拍子に、中から一枚の紙が落ちた。


「あ……」

 そういえば、昨日新がもしも寝込んでいた時のために──と、メモを挟んだことを思い出した。必要なかったな、と思いながら拾い上げた紙には──私のものとは違うひっせきで一言。

『──ありがとう。ノートもメモも嬉しかった!』

 そう書かれていた。

(新……)

 どうしようもなく、新に会いたい。会って、好きだよって大好きだよって伝えてギュッと抱きしめたい。

 ──できないもどかしさを誤魔化すかのように私は、新からのメッセージが書かれた紙を強く強く抱きしめた。


「そうしたら、悪いが頼むな」

「はーい」

「旭ごめんねー!」

「大丈夫だよー」

 そんなに悪いと思ってなさそうな田畑先生と、申し訳なさでいっぱいという顔をした陽菜が、私の目の前に置かれた山のようなプリントを見ながら言う。

(大丈夫じゃないけど……でも……)

 大丈夫だって、今の私は知っていた。なぜなら……。

「──私、手伝おうか?」

(来た……)

「……いいの?」

(あの時と、同じだ……)

 先生と陽菜が去った後、声をかけてきたのは……かえたくを終えた深雪、だった。

「うん、今日特に予定ないし」

「そうしたら……お願いしても、いいかな?」

 私が過ごしてきた過去も、そして再び過ごしている今も変わらない。

 これが、私と深雪の始まりだった。


 ──パチン、パチンと教室にホチキスを止める音がひびく。

 目の前では深雪が、山のように重なったプリントを一束一束ていねいまとめていってくれている。

(ああ、あの時と同じだ──)

 過去を繰り返しているのだから、当たり前なのかもしれないけれど……三年前のあの時も、こうやって私たちは無言でホチキスを止める作業をしていた。

 たまに会話をしようとしてみても、上手うまく続けられず……結局ほとんどの時間が、無言のままだった。当時の私はそんな時間に、ほんの少しごこの悪さを感じていたのだけれども……。

「できたわ」

「え……?」

 ボーっと深雪の姿を見つめていた間に、気付けばプリントは全て片付いていた。

「ご、ごめん! ありがとう!」

「どういたしまして。それじゃあ……」

 そう言って深雪はカバンを持つと、教室を出ようとする。

「──ま、待って!」

「何か……?」

「校門まで、一緒に行こう?」

 なんとなく、このままにしたくなくて思わず声をかけた私に──驚いたような表情を見せた後、深雪は言った。

「でも、竹中さん田畑先生に報告に行かなきゃいけないんじゃあ?」

「あ……」

 忘れていた。作業が終わったら報告に行かなければいけなかった……。

「そうだった……」

「──職員室の前まで、一緒に行く?」

「いいの?」

「どうせ玄関に出るのに通るから……」

「ちょっと待ってて! すぐ準備するね!」

 慌ててカバンと作った資料を持つと、扉のところで待ってくれている深雪の元へと向かった。

「ごめん、待たせちゃった」

「──それ、持つわ」

 言い終わるより早く、私の手にあった資料は半分深雪の手の中にあった。

「……ありがとう」

「──別に、これぐらい……」

 そう言った深雪の顔は、どこか照れくさそうに見えた。

「…………」

「…………」

 その後も、特に会話らしい会話はなかった。けれど、その沈黙は当時教室で感じたような居心地の悪いものではなかった。

「──それじゃあ、ここで」

 職員室の前で、深雪から資料を受け取る。

「今日はありがとう」

「ううん──また、何かあったら手伝うから言ってね」

 もう一度お礼を言って手を振ると、深雪も嬉しそうな顔をして手を振り返してくれる。

 新の日記を読んで過ごす過去の中──けれど新とは関係のないところで、過去が少しだけ形を変えたのを私は感じた。


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