玖話目

 

 倉庫の整理を終え、土井も帰った夕暮れ時、夕餉の準備をしていた美冬は、戸棚から小さな味噌壺を取り出す。

 これまた秋彩が、知り合いの妖から依頼の対価として貰った味噌壺だが、中々に便利で重宝している。中で仕込まれている味噌は、使う具材や料理によって、味も風味も変わる代物なのだ。例えば同じ味噌汁でも、使われている具材が違えば、使う量が同じでも味ががらりと変わる。

 これが世に出てしまえば大騒ぎどころの話では無いのだろうな、と美冬は使う度に思う。


 閑話休題。

 夕餉前には帰る、と言っていたはずの秋彩だったが、まだ帰宅していない。秦郡路の所へ行くのに、そう時間は掛からない筈だが、向こうで何かあったんだろうか。

 そこまで考えて、美冬は「あっ」と声を上げる。味噌壺に手を突っ込もうとしていたアヤカシ達は、驚いて逃げ散る。


「…、まさかね」


 一瞬嫌な予感が頭を過ったものの、普段から苦言を呈している事だから、と頭から思考を消す。

 一先ず、師匠の言葉を信じて、美冬は夕餉作りを再開したのだった。





「ふぅ、やっと終わった」


 秋彩は夕陽の沈みかけた空を見て呟く。秦郡路の遣いであるアヤカシに、美冬への伝言を頼んだのは、ほんの数刻前。伝言を頼んだ時はもう少し掛かると思っていたけれど、早く終わったのは嬉しい誤算だった。


「とは言え、夕餉の時間はとっくに過ぎてしまったな」


 婆様と爺様二人が帰ってから、秦郡路や真子、彼女らに遣えている妖怪達と、あーでもないこーでもないと話していたら、すっかり遅くなってしまった。


「悪いな、秋彩。だが、収穫はあったろう?」


「まあね。…ただ、まだ根本的な事までは分からないからね」


 宝石の壺を盗んだのは人間で間違いはないだろう、というのが秋彩の見解だ。

 ただ、秦郡路の弟子である真子が霊力も何も感じ取れていない所を見るに、盗んだ者には“視る”チカラはあっても、それらをどうにかするチカラは備わっていないのだろう。

 盗んだ者に協力したとされる裏切り者――という表現は適切かは置いておいて――もまだ分かっていない。


 只でさえ、外から来た警察に疑われて、心身が少しだけ気怠く感じているというのに。

 秋彩はそろそろ沈みそうな夕陽を見遣って、早く帰らなければと腰を上げる。


「まあ、そこらは追追だな。…なに、次の月に間に合えば、お上サマも何か言ってくる事はないだろ」


「お前ね…、そういう事ばかり言ってるから、最近外の目が厳しいんだよ」


 秋彩の苦言に堪えた風もなく、秦郡路はからりと笑う。


「言いたい奴等には言わせておけ。お前も私もコトワリだ。…次代に継ぐまでは好き勝手やればいい。頼んだぞ、名探偵」


 反省する気が無いらしい。

 そう悟った秋彩は、ため息を零したくなるのを耐えて、彼女に別れを告げて神社を後にした。





 …次代に継ぐまでは、か。

 それがいつになるかは、秋彩にも分からない。けれど、どうか。


 …どうか、未来の彼等が笑顔で過ごせますようにと、強く、強く願うのだった。

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